エルフのシルヴァ
「問題ありません。敵には馬がありませんから、総攻撃でも大した衝撃力は――」
「て、撤退だ! 早く逃げろ!」
「……何を言っているんですか。バラバラに逃げたら各個撃破されるだけです」
「こんなところで死んでたまるか! 死にたいのか貴様は!」
「はぁ……。もうダメですね」
実際、連合軍の戦力はまだ一万以上残っている。ポメレニア辺境伯軍の三千強が馬にも乗らず突撃してきたところで、本来であれば崩されるわけがない。だが、恐慌状態に陥っている諸侯は、ブレスニツェ公を含め我先にと逃げ出し、統制は完全に失われてしまった。
「まったく。私もとっとと帰るとするか」
エルフのシルヴァは右腕を除く四肢が義肢になっており、まともに歩くことはできない。どうやって移動するのかというと、魔法でほんの少しだけ浮き上がり、右手に持った杖の先を地面に突き刺して、身体を引っ張るのである。
魔法というのは奇妙なところで物理的な制約に縛られており、魔法で浮かぶことはできても、空中で移動することはできない。
そんな調子であるから、シルヴァは馬に乗らないと非常にゆっくりとしか移動できない。本陣の者は皆逃げ出し、引っ張ってくれる者もいないため、シルヴァは一人だけその場に取り残されてしまった。
山から駆け下りてきた辺境伯軍と宮中伯軍は、大した戦闘もなしに連合軍を粉砕した。正確には、連合軍が勝手に崩壊したと言うべきであろう。
とにかく、その軍勢とシルヴァは鉢合わせになった。
「エルフ? お前、敵か味方か!」
シルヴァは数人の騎士に取り囲まれた。エルフであることは、特徴的な長い耳を見れば誰でもすぐに分かる。
「ポスナニア公に雇われていたから、敵ということになるかな」
「そうか。素直に投降すれば、捕虜として丁重に扱ってやるぞ?」
「投降? よりにもよってお前たちのところに下るのは絶対に拒否する」
表情一つ動かさず、声にも抑揚がないが、絶対に拒否するという意思だけは相手によく伝わった。
「正気か? 降伏しないなら殺すしかないが」
「ただの人間に、私が殺せるとは思わないで欲しい」
シルヴァは地面に杖の先を叩きつけた。次の瞬間、シルヴァを囲んでいた騎士たちの足元が氷に覆われた。すっかり地面に固着して、動くことができなくなる。
「く、クソッ! なんだこれ!」
「魔法か……。エルフは魔法に秀でていると聞くが、こんな器用なことができるとはな……」
「死にたくなければ、私に関わらないで」
再び杖を地面に叩きつけると、今度は地面から棘のような氷塊がいくつも生えた。もし人間の腹を貫けば、ほぼ即死だろう。シルヴァと騎士たちの間を遮る氷の壁が作られた。
「はぁ……。どこかに馬が残ってるかな」
シルヴァは死にかけの老人のような速度で移動を再開した。
○
相手に相当な手練の魔法使いがいることは、すぐにポメレニア辺境伯の耳に入った。辺境伯は本陣の要員ごと山の中腹まで下りてきている。
「――エルフがこんなところにいるとは珍しい。確かにエルフは人間とは比べ物にならないほど魔法に秀でている。相手にするべきではないな」
「で、では、見逃すということでしょうか……?」
「エルフがここにいる理由を知りたい。生け捕りにはしたいものだ。ここはヴィルヘルミナ殿に頼みたいものですが」
「だから、どうして私が協力しなくちゃいけないんだ」
「このままだとエルフを殺すしかありません。生け捕りにできるのはヴィルヘルミナ殿だけです」
――こいつ……すっかり味を占めてるな。
「はいはい、わかったよ。行けばいいんでしょ、行けば」
殺すだけなら飛び道具で押し潰せば簡単だが、犠牲を出さずに生け捕りにするのはヴィルヘルミナでないと難しいだろう。そういうわけで、彼女はシルヴァの捕獲に向かった。
「――君を生け捕りするように言われてきたんだ。とっとと降伏してくれるかな?」
「何度も言わせるな。拒否すると言っている」
「だったら実力行使するまでだ」
ヴィルヘルミナはシルヴァに向かって淡々と歩いていく。
「それ以上近づいたら殺す」
「私を殺せるなら、やってみるといい」
「……後悔しても知らない」
シルヴァは地面に杖を叩きつけ、ヴィルヘルミナの腹部を貫通するように巨大な氷の槍を作り出した。腹部に大穴が開き、大量の血が溢れ出す。だが、ヴィルヘルミナはいとも簡単にそれをへし折り、ゆっくりと歩き出した。
「やはり、吸血鬼……」
「ご名答。私は吸血鬼だ」
「なら、こうするだけ」
再び氷の棘が地面から伸びてきて、ヴィルヘルミナの心臓を貫いた。いや、心臓どころではなく、胸部の半分くらいが抉られた。シルヴァは勝利を確信したが、ヴィルヘルミナが平然と氷を引き抜いたのを見ると、さすがに余裕が崩れる。
「心臓を破壊したのに、死なない……?」
「はは。君が思ってるより私は強いよ。どうする? まだ戦うかい?」
「もちろん」
「氷か」
ヴィルヘルミナの足元に氷が生じた。膝まで氷で覆い尽くされ、地面に張り付き、取れそうもない。吸血鬼の怪力でもびくともしなかった。
「なかなか頑丈な氷だね。やるじゃないか」
「動けなければ、どうということはない」
「これは困ったね」
――さて、どうしようかな。
「……じゃあ、私も同じことをしようか。君の脚が遅いのを利用させてもらおう」
「ッ……!」
シルヴァの歩みが止まった。彼女の靴の裏に、地面から生えた血でできた棘が突き刺さっていた。
「血で作った棘だ。地中を介してなら、日光を気にしなくてもいい。出すのが遅いから、普通は使えないんだけどね」
本来、走っている人間相手ですら間に合わない技だ。今回はシルヴァの移動が遅かったから、たまたま発動することができた。
ヴィルヘルミナもシルヴァも、その場から動けなくなってしまった。
「無事に逃げ延びるという可能性は潰えたわけだ。ここで死ぬか、捕虜になるか、どちらを選ぶ?」
「……私が生きていれば、お前を引き留めておくことができる。ポスナニア公に多少の恩は返せる。いいよ、降伏する」
「賢明な判断だ。さすがは長生きしてるだけあるね」
「やかましい」
シルヴァが死ぬまで戦うようなタイプではなくて、ヴィルヘルミナは内心では安堵していた。




