ヴィアドルス宮中伯
ヴィルヘルミナがヴェロニカの治療に四苦八苦し、特に何の成果も得られていない頃、グダンツに客人が訪れていた。
「お久しぶりです、宮中伯殿下」
「あ、ああ、久しぶりだな、ポメレニア辺境伯」
応接間で余裕綽々に腰掛けている辺境伯に対し、冷や汗を垂らしているこの男は、ヴィアドルス宮中伯コンラートである。
宮中伯というのは、北方帝が地方の諸侯を監視するために派遣した皇帝直属の貴族のことだが、ヴィアドルス宮中伯以外の宮中伯は全て没落して跡形もなくなってしまった。よって、彼が北方帝領で唯一の宮中伯であり、宮中伯と言えば彼を指す。
ヴィアドルス宮中伯領はポメレニア辺境伯領のすぐ西にある。そして宮中伯はポメレニア辺境伯家がグダンツ伯家だった頃の主君であり、家格としては明らかに宮中伯が上である。国力としては辺境伯領の方が遥かに上なのだが。
「早速ですが、新領土についての皇帝陛下への口利きについて――」
「あ、ああ、それはよいのだ。そんなことより、どうも、南の諸侯が不穏な動きを見せ始めているらしいのだ」
「不穏な動き?」
「ど、どうやら、ポスナニア公が周辺諸侯を誘い、卿の領地を掠め取るつもりのようなのだ」
「なるほど。それは貴重な情報です。私は全く察知できておりませんでした」
北方帝領で最大の諸侯であり、勇者の末裔でもあるポメレニア辺境伯は、何かと周囲から警戒されがちである。トワングステの城壁が破壊されたという千載一遇の好機に、辺境伯の勢力と威信を削ごうとするのは自然なことだ。
「ま、まあ、一応私も宮中伯だからな」
「しかし、私が戦争をしている背後から襲いかかるとは、騎士道もへったくれもありませんね」
国家存亡の危機を告げられたというのに、辺境伯アドルフはまるでボードゲームでもしているかのような調子で言う。
「敵は恐らく……無理な動員をかけずとも、ざっと一万二千は出してくるだろう」
「同感です。それに対して私は、精々千五百しか出せません。困りましたね。宮中伯殿下には是非とも援軍をお願いしたいところですが」
「あ、ああ。それはよいのだが……私の方から出せるのは、騎士四百を含む二千ほどだぞ?」
「それは、援軍だから手抜きをするということですか?」
辺境伯が笑顔で尋ねると、宮中伯は大慌てで否定した。
「いやいやいや、そんなことはない!」
「本当ですか?」
「ち、近頃は、当家も大変なのだ……。騎士たちは今や、自分の領地のことしか興味がなく、戦に出ることを拒否する者ばかり。農民兵も同様、自らの土地を離れるのを嫌がる者ばかりだ。騎士も農民も、敵が攻め込んできた時にしか招集に応じん……。これでも、無理をして金を払って集めた場合の数字なのだ。分かってくれ」
「確かに、近頃はどの諸侯も同じような状況でしょうね。頻繁に戦を行う我が国が特殊なだけかもしれません」
「そ、そうなのだ……。すまぬな」
原則的には騎士や農民が兵役に応じるのは君主に対する義務であると考えられているが、近頃は何かと理由をつけて徴兵を拒否されることが多い。ヴィアドルス宮中伯もまた集まりの悪い兵に苦労していた。
「ほ、他に、援軍の当てはあるか?」
「いいえ、特には」
「で、では、どうするのだ? 相手はおよそ一万二千なのに対し、我らは合わせても四千も出ないのだぞ? どこかの城に籠れば、勝ちの目はあるのかもしれんが……」
「ええ、確かに、籠城戦であれば敵の十分の一未満の兵力で凌ぐことも不可能ではありません。通常であれば、私もその手を選ぶでしょう」
「それは……どういうことかな?」
「さすがに二方面で長期戦をするわけにはいきませんからね。ポスナニア公らが本当に攻め込んでくるのであれば、とっとと撃滅しなければならないのです」
「ま、まさか、これほどの兵力差で野戦をする気か?」
「ええ、もちろんです。野戦で敵を打ち払えば、領民に被害も出ません。いいことしかないではありませんか」
辺境伯アドルフはさも当然のように言い切った。
「いやいやいや、こんな兵力差で野戦など、正気ではないぞ!」
「もちろん勝算はあります」
「ほ、本当か……? 卿が無類の戦上手なのは知っているが……いくらなんでも……」
「この勝負、勝ちの目は十分にあります。いやむしろ、敵の性質を考えれば、我々の方が有利とすら言ってもいい。勝てますよ、宮中伯殿下」
不安の欠片すら感じさせない辺境伯の堂々たる態度に、宮中伯は何も言い返せなかった。
「よ、よかろう。私の方から出せるだけの援軍は出そう。兵の指揮は卿に任せる」
「そう仰ってくださるのが、何よりありがたい。兵の指揮を一本にまとめることこそ、最も重要なことです。それさえ叶えば、兵の数はそれほど重要ではありません」
「そういうものか……? まあ、卿が言うのならそうなのだろうな」
「それで、敵はいつ頃攻めてくると思われますか?」
「実際に出陣してくるまでは、一ヶ月は掛かるだろうな。それだけの時間があれば、我らの方でも問題なく兵を集められるぞ」
「それは僥倖です。それだけの時間があれば、状況を整えられます」
「そ、それはよかった……」
宮中伯は辺境伯にもう何も言わないことに決めた。




