とある村の些細な壊滅
帝国暦1252年。四百年前に魔王討伐の勇者として名を馳せた英雄グダンツ伯アドルフが与えられた領地、ポメレニア辺境伯領。その南西部、都市ブロベルク近郊でのことである。
「血の匂いが強い。色んな血が混ざっているようだし、村人が皆殺しにでもされたのかな」
噎せ返るような血の匂いは間違いなくここから来ている。もちろん、ただの人間には微かに異臭がするかしないか程度だろうが。
「土塁と柵に、見張り櫓が幾つか。悪くない防備だ。魔物に襲われたとは考えにくい」
――さっさと辺境伯を詰めに行きたいんだが、さすがに見過ごせないな。
少女は死臭漂う村に足を踏み入れた。
松明の一つも持たず、黒い外套を纏った姿は、簡単に夜闇に溶けてしまいそうだ。荷物は腰に提げた鞄のみで非常に軽装。彼女の肌と髪は病的に白く、目は鮮血のように赤い。
家々の間を歩いてもおよそ生者の気配はなかったが、暫く歩いて村の中央部に達すると、ようやく生きている人間と会うことができた。
数人の村人が中央の広場に数十の死体を並べていた。大人の死体はもちろん、子供の死体も何体か混じっている。
「やあ、君達。これは一体どうなっているんだい?」
少女が重苦しい空気を気にする様子もなく問いかけると、誰もが憔悴した目で彼女を睨みつけた。警戒している様子も見られたが、それよりも遥かに疲労の色の方が濃い。
暫くの間、彼らは少女を睨み続けていたが、ようやく一人の老人が少女に話しかけてきた。
「旅人ですかな? それなら残念だが、人を泊めている余裕なんてありません。他所をあたってくだされ」
「他所の村なんて行ってたら朝になっちゃうと思うけど。そんなことより、私は何があったのか聞いているんだけど?」
老人は深く溜息を吐き、恨めしそうに零した。
「……吸血鬼です。今日の日が落ちてすぐ、吸血鬼の群れが襲ってきたのです。ただの魔物相手なら戦えますが、吸血鬼の相手なんぞ無理というもの。奴らに……村の半分が食い殺されました。男も女も、老人も子供も問わずに……」
「そう。吸血鬼。それなら納得だ」
少女は興味深げに目を細めた。
「でしたら、とっとと出ていってくだされ」
「そういう場合、吸血鬼はまたすぐに来る可能性が高い。きっと明日の夜にはまた来るだろうね」
「……ああ。奴らもそう言っていましたな」
「その時は、私がそいつらを撃退してあげよう」
「あなたが一人で、ですか?」
「ああ、もちろん」
少女は自信満々に不敵な笑みを浮かべる。こんな状況で、しかも女一人で不遜な態度をとる少女に、老人はただならぬ気配を感じたようであった。
「……どうせ、明日には全員死ぬのです。最期に酔狂にくらい付き合ってもいいでしょう。儂はカール。ヴレデック村の村長です」
「私はヴィルヘルミナ。そういうバカな吸血鬼が嫌いで、真っ当な人間が好きな傭兵だ。よろしく」
――私を知ってる人間なんてもう残ってないだろうね。
かつて魔王として北方帝領と西方帝領を支配した吸血鬼ヴィルヘルミナ。しかし彼女の素顔を知る者は当時から少なかったし、四百年の時が流れた今、彼女を魔王と認識できる人間など存在しないだろう。
「辺境伯が戦争なんてやってるせいで、治安維持がおざなりになっているのかな」
「さて。我々のような村人に、そんなことはわかりません」
「そうかい。早速だけど、洞窟とかないかな? 落ち着ける場所が欲しいんだけど」
「洞窟? 近くにありますが……」
「案内してくれ。明日までそこにいるよ」
「全くわけがわかりませんが……好きにしなされ。村の者に案内させましょう」
ヴィルヘルミナは村長に紹介された洞窟に入り、それきり丸一日、姿を見せることはなかった。
「――なんなんだ、あいつ? 別に洞窟を貸して俺達に損はないが」
「なんだっていいさ。何もしなければ、どうせこの村は終わりだ。他に頼れるものもない。今はあの傭兵とやらに村の運命を掛けてみようじゃないか」
この村は深い森の中に孤立しており、隣の村まで丸一日以上かかる。魔導通信で領主のブロベルク伯に状況は伝わっているが、救援など期待できない。
「いくら傭兵でも、吸血鬼の群れに勝てるとは思えないが」
「さあな。だが、あいつには自信があるように見えた。少なくとも儂の目にはな」
不可避の滅亡を前にして自暴自棄になっているように見えて、村長カールはヴィルヘルミナに希望を見出していた。
○
翌晩、ヴィルヘルミナは洞窟から姿を現した。村のあちらこちらには松明が立てられ、揺らめく炎が力なく村人らを照らしている。彼らはほとんど全員が剣や槍を携えていたが、吸血鬼相手にはまず役に立たないだろう。
「やあ、おはよう。カールだっけ?」
「ええ。村長のカールです」
「敵が来たら、すぐに伝えてくれ。私が全員ぶっ殺すよ」
「……左様ですか」
と言った矢先のことであった。村の北部から角笛の音が響いた。




