#水のある風景
写真を撮って、何気なくSNSに投稿する。
誰かに見てほしい――そんな想いが、もし“見てはいけないもの”まで呼び寄せていたとしたら。
今回お届けするのは、タグと水がつなぐ現代の怪。
その“いいね”は、誰が押したのでしょうか?
それは、梅雨が明けたころだった。
写真投稿SNSで流行っていたタグがあった。
#水のある風景
池、川、水たまり、噴水、なんでもいい。
“水が写っていればOK”という緩さが受けたのか、投稿が急激に増えていた。
ある日、友人の仁志がこんなDMを送ってきた。
《お前、あのタグ使うなよ。おかしいの混ざってる》
なにが? と返信すると、画像が一枚届いた。
彼が投稿した、近所の公園の池を写した一枚。
よく見ると、水面に何かが映っていた。
……首だけ。
肌の色が不自然に白く、目だけがこちらを向いている。
「投稿したときは映ってなかった。あとから写った」と彼は言った。
怖くなって、僕はスマホからタグを外した。
けれど、翌日。仁志のアカウントが消えていた。
LINEも、電話も繋がらない。
しばらくして、別のユーザーが似たような写真を投稿していた。
別の公園、別の水たまり――けれど、映っている“顔”は同じだった。
コメント欄には、決まってこう書かれていた。
《あ、この人知ってる》《最近見ないね》《これ、いつ撮ったの?》
それから僕は、#水のある風景 の新着を覗かなくなった。
けれどある日、通知が届いた。
《あなたの写真がトレンド入りしました》
開くと、投稿した覚えのない一枚がアップされていた。
場所は、仁志が消える前に行った池。
そして、水面には――僕の顔が浮かんでいた。
無表情で、白く濁った目が、真っ直ぐカメラを見ていた。
今もその投稿は、静かに「いいね」を集め続けている。
映っていたのは水ではなく、記録されてはいけない顔。
投稿されたはずのない写真が、静かに拡散されていく。
SNSが残すのは記憶か、痕跡か――
今日、あなたの水辺の投稿に“何か”が映っていませんように。