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逆さの水槽

梅雨の雨音にまぎれて、何かが入ってくる。

そんな気がしたことはありませんか?


今日の物語は、部屋の片隅に残された古い水槽。

覗いた先に映っていたのは、自分ではなかったかもしれません。

 ひとり暮らしを始めたアパートの部屋に、水槽がついていた。


 ガラス張りの四角い枠。前の住人が置いていったものらしく、砂と濁った水だけが残っている。


 


 「処分には費用がかかりますよ」と大家に言われて、しばらくそのままにしていた。


 


 それは、梅雨に入ったばかりの頃だった。


 


 雨音が天井を叩き、部屋の中までじっとりと湿っていた。


 ふと、水槽の中に何かが見えた。


 


 ……人影?


 


 確かに、濁った水の奥で誰かが立っていた。


 水槽の向こう側に“もう一つの部屋”があり、そこから誰かがこちらを見ているように見えたのだ。


 


 思わず背筋が冷えた。


 だが、目をこらすと――何もいなかった。水面に映った自分の顔だけ。


 


 「……気のせいか」


 


 


 次の日の夜、また雨が降った。


 雨音と、どこかで聞こえる“コポコポ”という泡の音。


 


 水槽の前に立つと、水の中にまた人影があった。


 今度ははっきりとわかった。


 


 それは、自分だった。


 けれど――“こちら”を動かすより先に、“そっち”が動いた。


 


 水槽の中の“僕”が、先に首をかしげ、先に微笑んだ。


 


 


 雨が強くなるたびに、水槽の中の世界はくっきりと現れた。


 向こうの部屋は、こちらとそっくりだった。


 ただひとつ違うのは、水槽の“外側”に、自分が閉じ込められているということ。


 


 ある朝、目が覚めると、部屋が静かだった。


 雨は止んでいた。


 


 窓の外を見ると、アパートの前を誰かが歩いていた。


 傘もささずに、顔も見えないその人物は、水槽の中の“僕”にそっくりだった。


 


 その日から、部屋の空気が少しずつ変わっていった。


 カーテンの閉じ方、鏡の角度、玄関に置かれた靴の位置。


 


 “僕”のふりをした誰かが、この部屋にいる。


 


 


 そして今日、久しぶりに雨が降った。


 水槽の中には、誰もいなかった。


 代わりに――僕が、こちら側にいる。


 


 それが、正しいのかどうかは、もうわからない。


 



“向こう側”は、いつでもじっとこちらを見ています。

雨の日、水面が静かに揺れるたび、世界は少しだけ入れ替わる。


もし、あなたの部屋の空気が少し変わったとしたら――

それは、誰かが“戻ってきた”からかもしれません。

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