月沈む水庭(つきしずむ みずにわ)
月の映る水面を、のぞいたことはありますか?
そこに自分の顔が映っているのではなく――誰かに“見られていた”としたら。
今宵お届けするのは、月と目と水が交わる、静かな中庭の怪。
その視線が、あなたに向いていないとは限りません。
祖父が亡くなり、取り壊しの決まった旧家の片づけに行くことになった。
久しぶりに訪れたその家は、木造平屋の日本家屋で、真ん中に小さな池を囲んだ中庭があった。
水面には蓮が咲き、夏の月が静かに映っていた。
夜、泊まりがけで整理をしていると、庭の方から水音がした。
ぴしゃり、と。誰かが指先で水を弾いたような音。
古い家特有の軋む音と違い、それは確かに“生きた音”だった。
そっと障子を開けると、中庭の池に月が映っていた。
風もなく、波もない、まるで凪いだ鏡。
その水面の中に――“目”があった。
いや、水に映る月の奥、そのさらに奥。
底の底に、“こちらを見上げる目”があった。
金色のような、濁ったような光が、暗闇の中でゆっくりと動いていた。
思わず障子を閉めて、その夜は明かりをつけたまま過ごした。
翌朝、池を覗くと、水面はいつも通り静かだった。
だが、なぜか視線を外すことができなかった。
よく見ると、水中にひと筋の髪のようなものが揺れていた。
風が吹いてもいないのに、ふわり、ふわりと漂っている。
その日の夜も、水音がした。
ぴちゃり、ぴちゃりと、まるで誰かが“手招き”をしているように。
そして、池の中に映る月が、少しずつ沈んでいった。
まるで、底に引きずりこまれるように。
光が消えるたび、“目”が浮かび上がってくる。
その目が言っていた。
――「代わって」
取り壊しの日、業者が池を埋める前に底をさらった。
泥の中から、丸い手鏡が見つかったという。
そこに写っていたのは、月でも水でもない、“誰かの目”だった。
水は映すだけではなく、見ているのかもしれません。
月が沈み、光が消えたときにだけ現れる“目”は、ずっと底で待っていたのです。
もし今、鏡や水に目が合ったら――それは合図かもしれません。
そろそろ、「代わり」の番です。