着任
宇宙生命体と呼ばれる、真空空間でも平気で生きていられる、宇宙船級の大型生体兵器とのファーストコンタクトから十三年。
海王星調査船団が全滅してからは十二年。国連航宙軍の前身である国連宇宙平和維持軍が木星軌道上で宇宙生命体に敗北してから既に十年が経つ。
「よくもまぁ、飽きずに戦争してられる」
今年任官したばかりの濱西惟少尉は最近よくそう毒づく。とは言え、彼女は“飽きずに戦争”している理由を承知している。
そうしなければ皆死ぬから。
敵手たる宇宙生命体に言葉など通じないし、慈悲もない。
地球の軌道を基点として外縁まで行きつくのに三ヶ月しか掛からない人類の生存圏。
その境界線である小惑星帯を守る拠点の一つであるK基地群は、その多くに開戦前に造られた設備を含む比較的古い基地だった。
背の低い、典型的な東洋人の容姿を持った、大して美人でもないパッとしない顔立ちの新品少尉の濱西は、同様に士官学校を出て任官されたばかりの二人と共に、そこに着任した。
二人の内、一人は士官学校でも親しかった友人だったが、もう一人は最悪だった。学年次席のフェラール中尉である。
傲慢で、他人を蔑み、人種差別と言っていい価値観を備えている彼は、濱西にとって最悪の相手だった。
おまけに着任するまでは、長い旅路を経なければならなかった。
月のルナシティから輸送船に乗って一ヶ月。火星の衛星軌道上のコンビナートを経由し、さらに二ヶ月をかけてようやくK基地群に着いた。
その間、フェラールとは何度も顔を合わせたが、その度に濱西は仏頂面で敬礼した。言葉を交わす気などさらさら無かった。
もっとも、相手も同様の感情を抱いているらしく、蔑む目で彼女を見ながら通り過ぎていった。
任地に着いても当然試練は続く。まず三人揃って着任の挨拶を基地群司令にしなければならなかった。
司令はエリクソンという中年の大佐で、無気力が前面に出てきていた。エリートコースである再建中の機動艦隊から外れ、重要ではあるが閑職に等しい最果ての防人として流された男。
だが濱西は、同情には値しないと思った。同じ境遇の士官は掃いて捨てるほどいるのだ。
一方のフェラールの目にも感情の色はない。理由はおそらく、濱西とは違うだろうが。
翌日濱西が配置されたのは、K基地群の港湾ステーションであるK-4ステーションだった。
そこでようやく忌々しいフェラールとは別れる事になった。彼は司令部たるK-1ステーションにある防衛衛星のコントロールルームに配属となったからだ。
「まあ、ちょっと実戦に参加させて箔を付けてから中央に呼び戻そうって魂胆だろうな、人事の連中」
任地着任から三日後。八時間の当直が終わり、武器弾薬を満載した輸送船の入港を休憩室の肉視窓で眺めながら、共にK-4に配属された友人のケインズ少尉が呟いた。
その傍らには濱西がいて、二人とも宙に浮いている。港湾施設の集合体であるK-4ステーションでは、人工重力を作り出す回転モジュールは居住区のみとなっている。
ケインズ少尉は若干顔の造形がよろしくない男子の典型で、事実、士官学校に在学中も何ら浮いた話の無い人間だった。
成績はそれなりに優秀な部類に入っており、濱西としても彼には一定の信頼を置いている。
「しっかし、何もここに来る必要は無いだろうに……」
頬杖をついた濱西はそう言うと、大きな溜息を漏らした。その手にはコーヒーパックが握られている。圧倒的多数から酷評されていることで有名なエンデヴァー・ブレンドだ。
とはいえコーヒーの味というものが分からない濱西には、他の者たちが何故コーヒーパックを悪く言うのか知らない。
「そういえばフェラールの野郎、カンニングをしたっていう噂があったな」
それとなくケインズが話を振る。
「ああ、そういえばそんなこともあったな」
ストローでコーヒーパックを啜りながら濱西は答えた。
士官学校でカンニングといえば、退学への片道切符同然である。そのカンニングをしたという疑惑が一度フェラールに浮上した事があった。
確か証拠不十分で不問に付されたっけ、などと思い出しながら、濱西はボンヤリと輸送船から搬出される貨物を眺める。
放射能標識の描かれたコンテナだった。それを見ても濱西にこれといった感情は浮かばなかった。濱西は日本の出身であるが、現実問題として核兵器は必要不可欠であるからだ。
木星軌道上の会戦で、艦隊が敗走から壊乱への下り坂を転がり落ちなかったのは、それまで封印されていた戦略・戦術級核兵器が大量使用されたからだった。
以来、対外的には非常手段としてのみ用いられる事になっている核兵器は、遠い過去となった東西冷戦時代以上の量が生産され、地表の実験で使用された何倍もの数が宇宙空間で炸裂していた。
当然の事ながら軍広報部はそれを否定し、数少ない例外でも“やむを得ず”使用したとしている。そういえば……。
「そういえば、有坂は広報に行ったんだったっけ」
濱西は独り言の様な声でケインズに聞いた。
「ああ。今頃月の司令部だろう」彼はそう言った。
有坂香澄少尉は、高校三年の夏に美術大学から士官学校に希望を変更し、あまつさえ合格したという変わり者だ。
二年次に知り合って以来、同級生の日本人の中では唯一友人と言える存在だった。
「今頃、写真の合成を楽しんでいるだろうさ」
ケインズはそう付け加えた。
一応濱西は笑ったが、かなり際どいジョークだった。
濱西は飲み終わったパックを再利用するため洗浄機にセットしながら言う。
「それじゃあ私は部屋に引き上げるけど、そっちはどうする?」
聞かれたケインズはパックをティーメーカーにセットしながら答える。
「もうしばらくここにいる。ディケンズ中尉から電子ポーカーに誘われてるんだ」
十六時間の非番の後、濱西はK-4ステーションの指令室に出頭した。
彼女を呼んだK-4ステーションの最先任士官であるスタンフォード少佐は、暇そうにパネルに映し出された映像を眺めていた。
階段状の指令室、その正面のメインパネルには基地防衛艦隊のフリゲートの入港する様子が映し出されている。
「スタンフォード少佐。濱西少尉、出頭しました」
彼も基地群司令と同じく覇気の感じられない顔をしていた。
濱西は、まあ私も人の事は言えない顔だが、などと考えながら相手の反応を待った。
スタンフォード少佐は彼女の方を向き直って言った。
「貴官、高速艇の指揮はできるな?」
「はい」
「よろしい。K-1から連絡があった。三時間前に外縁側の監視衛星一基からの通信が途絶した。故障だろう。そのためフェラール中尉の指揮する雑用艇が修理班を載せて出発した」
へへ、あの野郎も下働きか。意地悪くもそう思いながら、少佐の次の言葉を待つ。
「だが二時間前の定時連絡を最後に消息が途絶えた」
「敵ですか」
濱西は眉を潜めた。
「そう急ぐな。通信機器の故障かもしれないし、或いは事故が起こったかもしれん。敵の可能性も無論あるが、今現在敵の根拠地たる木星はここの反対側だ。わざわざ敵がやってくるとも思えない」
濱西は少佐に対する評価に早速“楽観的”を加えた。
「君は高速艇を指揮してこれを調査しろ。すでに一隻準備中で、念のためにミサイルも搭載させた。クルーも選定してある。できるな?」
「はい」
「よろしい、行きたまえ」
「はっ」
濱西とケインズの二人はともに宇宙服姿で、直接宇宙空間に繋がる港にいた。
先程入港中だったフリゲートは既に係留されて、点検が開始されている。
「ハハ、奴の尻拭いか」
設備の安全確認を終えたばかりのケインズはそう評した。彼は“おかげでお互い仕事が増える”と付け加えた。
それに対し肩を竦めながら濱西が答える。
「まあ下っ端な訳だし、しょうがない。お互いに」
彼女がそう言うと、ケインズはヘルメットの向こうで苦笑を浮かべながら言った。
「そうだな。一年も生き残れば昇進してるだろうから、その時、今の分以上に新品少尉をこき使ってやるさ」
「その調子じゃ、十年後の新品少尉たちは配属後一週間で過労死だな」
「それもまた名誉の戦死、さ」
「二階級特進の理由が過労じゃ格好がつくまいよ」
濱西が気が抜けた言い方でそう言うと、一瞬間をおいて二人は笑い出した。
高速艇は雑用艇とはまた違った形で重用されている。積載量こそ劣るもの、武装が付いているし、加速性能も遥かに良い。それが今濱西の目の前にある。
T-055と名付けられたその高速艇は、天井からのアームによって係留され、いわば食べ終わった後に残る、魚の骨の様な形をした船体の中央部には、存在感の薄い防護カバーで覆われた、二発のミサイルが搭載されていた。
濱西が壁を蹴り、開いたままの乗降口の手摺りに掴まると、中から下士官が顔を出して、敬礼してきた。
「濱西少尉でありますか」
彼はそう聞いてきた。濱西は答えながら下士官の階級章に目をやる。曹長だった。
「そうだ。貴官は?」
「今回航法を務める、ロジャー曹長であります」
「そうか。よろしく頼む」
「ハッ!」
二人は艇内に消えた。
高速艇の居住スペースは二つ、操縦室と、寝台を備えた待機室だけだ。
今は乗員の全員が操縦室にいる。中央に艇長を務める濱西、その正面に航法担当のロジャー曹長、右に機器・火器管制の伍長、左に機関担当の軍曹だ。
正面のモニターには外の様子が映し出されている。進路を遮るものはない。作業員も他の艦の整備に移っている。
不意に、正面のモニター右上に通信呼びかけを示す表示が出た。一緒に呼び出し音も鳴る。
『管制よりT-055』
「T-055より管制、感明良好」
ヘルメットを脱いだだけで、宇宙服のままの濱西がヘッドセットで答えた。
戦闘の危険性もあるし、何より着替える時間がなかった。
『管制より。発進を許可する』
「了解。T-055、発進する。終わり」
そう言って濱西は通信を切り、正面を居据えたまま命ずる。
「固定アーム外せ。前進微速」