救ってくれた宮廷道化師さんが物凄いネガティブだったのですが
「すみません、すみません。俺なんかがソフィアの嫁ぎ先で……こんなゴミ屑が……。でもそれ以外方法がなくて……」
宮廷道化師さんこと、つい先程旦那様になった人が部屋の隅っこに座り込んで泣きながら、何やらブツブツと呪いか何かのように呟いているのですが。
……ああ、どうしてこんなことに。
*
────事の発端は数日前に遡る。あれは、蒸し暑い雨の日の午後、いつものように屋敷の窓を磨いていた時だった。
「ああ、ソフィア。お前の嫁ぎ先が決まったぞ」
通りすがりに父からそう告げられ、私は固まる。
「お前は宮廷道化師に嫁がせることになった」
宮廷道化師、それは王に雇われた道化師であり、その愚かさ故に自由な言動を認められている存在だ。つまりは王を楽しませ、批判するのが仕事の従者。王宮に出入りしているにも関わらず身分は平民と同じで、所謂狂人。まずまともな人間ではないことは確かだった。
「国王陛下が大貴族以外の令嬢を探していてな。宮廷道化師になど……と本来なら考えるべきだが、我が家にはお前がいる」
……いくら私を忌み嫌っていたとしてもそこまでするなんて。
無理やり政略結婚させられた父は、亡き母によく似た私を心底憎んでいた。
最初は嫌われる程度で済んでいたが、幼い時に婚約を破棄されてからはエスカレートする一方だった。向こうの家の都合で慰謝料も貰ったというのに、そもそも私が婚約破棄させないような美貌を持っていないことが悪いらしい。
「やっとこの無能を家から追い出せる」
私はその時からずっと家の役に立たない無能として扱われ、メイドと同じように働かせられていた。
……苦じゃなかったと言えば嘘になる。それでも側から見たら普通の子爵令嬢だっただろうし、学園にも通わせてもらえた。それに、七歳の頃から始まって、もう十一年。慣れたものだ。
「婚姻は三日後だ。準備しておくように」
逆に考えれば、この生活に終止符が打たれたわけで。メイド生活のおかげで家事は一通りできる。宮廷道化師……平民に嫁いだとしても大丈夫なはずだ。
「わかりました」
どうせ拒否なんてできないのだから、とそう考えることにした。お母様譲りのポジティブで良かったと思う。
ああ、でもどうせなら、貴族のうちに我が家の書庫の本を全て読み切ってしまいたかった。あの人たちは勉学なんて何の役にも立たないというけれど、私は先人たちの知識を愛しているの。あんな人たちのせいで埃を被ってしまう本が勿体無くて仕方がないわ。
「宮廷道化師……ディラン」
その後、私はあらゆる手段を使って情報を集め始めた……が、めぼしいものは見つけられなかった。
わかったことといえば、雇われたのは十年前……現国王の即位と同時で、三十路手前くらいの若さであること。奇術が得意で、狂言ばかりの愚か者らしいこと。そのくらいだった。
……けれど、そこで私はあることに気がついた。
「やあやあ、初めましてお嬢さん。家族に虐げられた末に道化師に嫁ぐ悲劇のヒロイン」
そして三日後、大広間にいたのは陛下と数人の貴族、いかにもな道化師だった。
思わず身震いをするような笑み、芝居がかった口調。先端に鈴のつく二又に分かれた帽子や派手な衣装に、元々高い身長をより高くしている爪先の尖ったヒール。元の顔がわからないほど奇抜な化粧とくるくると変わる不気味な表情。
「ああ、なんたる光栄。なんと滑稽」
「……道化師、静かにしろ」
「哀れな少女に祝福を」
道化師は何処からともなくトランプを取り出し、ジョーカーを赤いアネモネに変えた。まさに奇術。しんとしていた場が華やぐ。
ほんの一瞬、私には道化師の顔が苦しそうに見えた。けれど、寝耳に水、衝撃的なことを告げられたことで私はすぐに忘れてしまう。
「ソフィア・フローレンス子爵令嬢と、ディラン・グリンデルバルド伯爵の婚姻を認める」
は、伯爵? 道化師なのに?
驚いている私をよそに、道化師は仰々しく傅いて、その花をすっと差し出した。
「これからよろしくお願いしますネ」
見つめてきた紫色の瞳が、予想外に綺麗で。つい見惚れてしまう。
……なんだか、見覚えがあるような。
「はい、よろしくお願いします」
こうして私はディラン様の手を取った。
それ以降は書類にサインするだけの淡白な婚姻だった。
*
「すみません……すみません……俺なんかが……すぐ離婚できるよう手配しますので!」
そして現在、グリンデンバルド伯爵邸にて。とりあえずお互い楽な格好に着替えてこようということで、部屋を案内され、着替えて応接間に戻ってきただけのはずだった。
「……消えてしまいたい」
……もはや誰です?
奇怪な道化師姿はどこにもなく、そこにいるのは肩で揃えた黒髪を垂らし、しょぼくれて座り込んでいる成人男性。
心地良い初夏の晴天でしたよね、今日。なんだか湿度が上がった気がするのですが。
「というかそもそも俺は伯爵家も一度抜けていて……庶子で……一族が流行病で全員死んでしまったと思ったら陛下に無理やり爵位継がされて……ソフィアとなんか釣り合わないんだ……」
なんてずーっとブツブツ話している情報をまとめると、伯爵とメイドの間に生まれた……要するに庶子であるディラン様は、学院を卒業した後、宮廷道化師をしていた母方の叔父様の後を継ごうと家を抜けたらしい。
「うぅぅ……こんな非生産的な存在がこの世界の空気を吸ってごめんなさい……」
そして八年前の流行病で遠い親戚を除き一族が全滅し、無理やり家に戻されたと。故に形ばかりの爵位で、このことをしっているのは陛下以外ではごく少数の貴族だけ。
……なるほど、だから屋敷に使用人が一人もいなくて、応接間と数部屋以外がこんなに汚いのですね。
「こんなネズミでも住まないようなところに嫁がせてしまって本当にすみません……。それに……こんな根暗な人間以下のゴミ付きで……こんなの騙していたようなものです……」
いや、狂人ではなくて逆に安心したのですが。そもそも騙す騙さない以前に情報がほぼなかったですし。
……それに。
「陛下は“ディラン様”との婚姻を認めると仰っていました。つまり私は宮廷道化師ではなくディラン様に嫁いだわけで、貴方が根暗などんよりキノコでも私はまったく気にしません」
「ソフィア、辛辣……」
というわけで立ってくださいと、ひっぱりあげる。
やっとメイクなしの顔が見え……見え……本日二回目ですが、誰です?
「ど、どうかしましたか? あ、今化粧していないから……こんなナメクジみたいな顔を見せてすみません……」
いや、どこが……。ナメクジが可哀想ですよ。
長いまつ毛、スッと通った鼻筋、陶器のように白く滑らかな肌。
「凄い美人ですね」
「……ここに鏡はありませんよ?」
「いいえ、貴方のことです」
どうしてこんなに根暗なのか……。逆に鏡を持ってきて見せてあげた方がいいのでは? でも、美の基準は人それぞれなわけで……。
「ソフィアは美しいです。ホワイトブロンドの髪も、ローズクオーツのような瞳も……。まるで冬の太陽みたいです」
「っさ、さっきまでジメジメしていたくせに急に宮廷道化師の語彙力発揮しないでくれません!?」
「す、すみません?!」
急に言われて心臓が止まるかと思いましたよ。冗談はほどほどにしてくださいな。
まあそんなことなんかよりも気になることがたくさんあるのだから、とひとまず置いておいて話を続ける。
「それよりも気になることがいくつかあるんです」
まず、第一に。このとてつもなく評判の悪い人に事実確認をしなければ。
「ディラン様、本当は愚かどころかずば抜けて賢いですよね?」
調べていて気づいたのは、その優秀さだった。陛下の即位と同時に雇われているということは、先王の崩御当時は少数派だった陛下側に回っていた重要人物だ。そして、賢王とも呼ばれる陛下は、民の声を聞き、政治に反映することで知られている。
今日の陛下との会話を聞いて確信した。
「貴方はこの十年、宮廷道化師として陛下に民の声を伝え、よりよい道を提案してきたのでしょう?」
ディラン様は気まずそうにまた下を向く。誇りに思っている職業を否定できないが、自分を褒められるのには慣れていない、といったところだろうか。
「あ……えと……ソフィアも、無能なんかではないです」
絞り出すような声でそう言われて、私は目を丸くした。
次に聞こうとしていていたことだ。私たちは初対面なはずなのに、
「どうして我が家の内情を知っているのですか?」
「それは……その……」
顔を赤らめ萎んでいくディラン様。
どうしましょうこれ。ケーキのように焼けば膨らむかしら。
「昔……お茶会でお会いしたことがあって、それで、その時から、ずっとお慕いして、いて、ずっと気にかけて、いました……」
宮廷道化師なので、情報は人よりも入ってくるんです、その、気持ち悪いですよね……とか細い声で途切れ途切れにそう言うと、萎むだけでなく爆発したディラン様。粘土のように集めて捏ねつつ私は話を続ける。
「お茶会……」
昔、まだ婚約が破棄されていなかった頃、一度だけ婚約者に連れられて行ったことがある……けれどよく覚えていない。
「申し訳ないのですけど、思い出せなくて」
「そ、そんな、思い出してもらおうなんて全く思ってなくて。ただ、俺が、耐えられなかっただけなんです」
やっと成形できたのに、またどんよりキノコなディラン様。
「これ、当分は暮らせる分のお金と離婚届けです。本当はずっと支援したいのですが……ソフィアが本当に結婚する時に枷となりますし……」
「いえ、そんなことはどうでもよくてですね」
問題は、これからどうするか。この人から逃げるなんて考えはさらさらない。
「一晩、考えさせてください」
*
昔お茶会で、魔法使いにあったことがあった。私は庭園で迷ってしまって、泣きかけていた。そんな時、彼はどこからともなく現れて。
『道に迷ってしまって。早く、戻らないといけないのに。そうでないとっ』
『そ、そんな泣かないで。ほら』
そうして見せてくれたのは、ハンカチから出てきた花。溜めていた涙は引っ込んで、私は思わず目を輝かせてしまう。
『す、凄いわ! まるで魔法みたい!』
『そんなに?』
『ええ! とっても素敵!』
私のはしゃぎようにつられて、彼もくすりと笑った。
『だ、大丈夫、俺についてきて』
そう優しく紫色の瞳を細めて、その後も面白い話や奇術を披露してくれながら元の場所まで連れて行ってくれた。
────そんな昔の、夢を見た。けれど、夢というのは忘れてしまうもので、朝起きた時には、もう覚えていなかった。
*
「ヒィッ!」
ガタンと音が出るくらい思いっきり木箱の蓋を開けた。
「どうして木箱の中にいるんですか!? といいますか大きいですねこの木箱」
「落ち着くんです……狭くて、暗くて」
だからって朝から木箱の中でうずくまっていないで欲しい。元々どうして部屋に木箱が置いてあるのか。そして部屋の鍵は閉めましょう。
「はぁ……おはようございます」
「おはようございま……えぇ?」
顔を上げたディラン様が素っ頓狂な声を出す。
……身だしなみはすでに整えたはずだけれど。
「何か変ですか?」
「だって、エプロン……」
「つけないと汚れてしまうではありませんか。料理も掃除も」
どうやら私が家事をやろうとしていること自体想定外らしい。今日のご飯はどうするつもりだったのだか。いや、まず私が今日の朝までいること自体が想定外だったのだろう。
「一晩考えたのですが、私しばらくここにいます」
「へ?」
「そのネガティブな考え方と恩返しが終わるまで出ていきませんから」
私はそんな恩を仇で返すようなことはしたくない。ディラン様がそれを嫌がったとしても、せめてこんなガリガリな人と汚い屋敷をどうにかしてから出ていく。
「いや、これは俺の自己中心的なことで……」
いくら昔会っていて、私のことが好きだったとしても人が良すぎる。この一晩で金品などを全て盗まれたり殺されかけでもしたらどうするのだろうか。恩返し以前に心配で放っておけない。
「いいから朝ごはんにしますよ。ろくな食材なかったから買ってきました」
引っ張るように最低限掃除した食堂まで連れていって、椅子に座らせる。
「ほら、スープがいい匂いでしょう」
「……あの、ソフィアの、分は? 見たところ皿が足りませんが」
「え、私の分ってそんなの野菜の切れ端を齧って……」
長年のメイド生活が出てしまった。使用人のご飯は、基本賄いや余り物だ。我が家はあの父なのでもちろん余り物。ずっとそれ以外食べていなかったからすっかり忘れていた。
でも、余り物の方が栄養価は高いのですけどね。皮とか。
「食べてください」
「は、はい」
私よりもウエストの細いような人に言われたくない……と言いたかったけれどなんだか怒り出すような気がして黙った。こういう優しい人は怒ると怖い。
夕飯に回してアレンジしようとしていた残りを持ってきて、二人で食卓を囲む。ディラン様は一口食べるとパァァァと顔を明るくして嬉しそうな表情になった。
「それだけ美味しそうに食べてくださるなんて、腕によりをかけた甲斐がありました」
「……美味しいです。ありがとうございます」
照れた様子のディラン様が可愛いくて私も食事が進む。朝らしく爽やかな無言が続いていたが、急に物騒なことを言い出した。
「……ソフィアは、復讐とか、しなくてもいいんですか?」
「ええまったく。剣を執る者は剣で亡ぶと言うでしょう?」
ディラン様はパチパチと目を瞬かせると納得したように頷いた。何を納得したのだか。
「逆の立場だったとして、ディラン様はするのですか?」
「……復讐だなんてそんな恐れ多くて無理です」
ですよね。まだ会って一日ですけど、なんとなく想像はついてました。
というわけで食事を済ませ、ディラン様は仕事道具を、私は掃除道具を持つ。先端に顔のついた道化棒は流石に袋の中にしまわれている。
お見送りしようとすれば、そこにはもう宮廷道化師がいた。
「では、いってきます。愛しの君」
「……い、いってらっしゃいませ」
そう言って、ディラン様は軽くお辞儀をしながら私の手にキスをし、村の馬車乗り場へ向かっていった。
どんよりキノコから道化師によく切り替えられる……。いくらフードを被っているとはいえ、あんな、ノーメイク(人によっては理性を破壊されるような顔)で出歩いて大丈夫かしら……。
「なにはともあれ……これからの生活はどうなるのやら」
*
どんよりキノコとの生活は案外穏やかだった。家の大掃除を終えてからは、ふたりで伯爵家立て直しプランを立てた。私とディラン様しかいなかった屋敷は、使用人が戻ってきて、領内の人びとも用事があれば出入りしている。
「……ただいま帰りました」
「お帰りなさい。そして木箱に入ろうとしないっ!」
「うぅぅ……俺には木箱がお似合いなんですよぉ!」
「何があったんですか。また言いすぎたと今になって後悔ですか?」
ただし、ネガティブはあまり改善していない。こればっかりは生まれついての性格なのかもしれない。最初は使用人達にバレないようにしていたが、そんなことは不可能だった。今や見慣れた光景にまでなっている。
「ああ、そうだ。宮廷からお手紙が来ていましたよ」
「わざわざ家に……?」
「ええ、強制参加の舞踏会の招待状が」
ディラン様はわかりやすく固まった。そして溶けた。気体になりかけているのを必死に集め、話を聞かせる。
「王弟殿下が隣国の皇女と御成婚なさるって言ってたじゃないですか」
「あ……」
「その発表でしょうね」
流石に欠席できない。
まあ、メイクさえしなければバレないだろうと思いつつ、この菌糸類か道化師かの二択しかできない人が社交界なんて大丈夫なのかどうか不安なのも事実だった。
というわけで作戦を立てたり、ちゃんとした服を仕立てたりと忙しくしていたらいつのまにか当日になっていた。
「ソフィア……なぜここに」
王城での舞踏会だというのに、すでにワインで顔を赤め近づいて来たのはお父様だった。でっぷりとしたお腹がたぷんたぷんと揺れている。
ああ、仮面舞踏会だったらよかったのに。まさかあの視野の狭いお父様がこちらに気づくなんて。
「……夫の付き添いで」
「あの道化師もここにいるのか。それにしても安っぽいドレスだ。無能なお前にはちょうどいい」
おそらく、お父様のお召し物よりは高価ですよ。伯爵家の格を下げぬように。
そんなことをこちらが考えているのなんてつゆ知らず、悪役のように髭を弄るお父様。実際善人ではないけれど。私が澄ましているのが気に入らないのかお父様が何かを言おうとした時、後ろから私の肩に手が置かれる。
「あら、ディラン様。お話はもう済みましたか?」
「ええ。一人にしてすみません」
そのままディラン様は私の腰を抱いてにっこり笑う。
「失礼、私の妻を侮辱しないでいただけますか」
「つ、妻?」
「ええ。ソフィアが嫁いだのは、グリンデンバルト伯爵家ですから」
それだけ伝えて、ディラン様に促されるままその場を去った。理解が追いつかず、お父様は呆然としていた。
「も、もう無理です……限界です……」
「はいはい、よく頑張りましたよ」
半道化師作戦は成功した様子だが、長時間は無理らしく、ディラン様は中庭でどんよりキノコに戻っていた。
先ほどの格好いい姿はどこにいったのやら。
「父に教えてしまって大丈夫だったんですか?」
「……そこはまあ口止めさせればいいので」
それよりどうしましょう、戻れませんとうじうじしているディラン様を見て、私は笑いが込み上げてきた。
「私は、幸せですね」
「???」
恩返し以上の感情を、持ってしまっているのは明白だった。
「好きです、ディラン様。本当に夫婦になりませんか?」
読んで下さりありがとうございました。
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ちょうど最近長編を完結させました。読んでいただけたら嬉しいです。おばあちゃん令嬢が野菜を作るほのぼの小説です。
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