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【感謝!4万PV突破!】雑に学ぶと書いて雑学 ~昨日より今日の自分が少し賢くなるかもしれない~  作者: 雲条 翔


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甲子園で敗者復活戦があった 

「甲子園」こと、全国高等学校野球選手権大会。


テレビに映る球場、高校球児たちの掛け声、鳴り響く球場のサイレン……あー、始まったなー、もうそんな時期だなーという気分にさせられます。


野球部に所属する全国の高校生にとっても、見守る家族にとっても、家族ではないけど野球ファンにとっても、見逃せない一大イベント。


高校球児たちが悔し涙を流しながら、甲子園の土を持って帰る姿は、ひときわ印象に残ったりしますが……実はこの「甲子園の土」、春と夏で変えているのだそうです。


甲子園の土は、黒土と砂を混ぜて作っています。

雨の多い春先は、水はけが良くなるように黒土と砂の割合が5:5。

夏になると日差しが強く、照り返しの中でも白球が映えるように、黒土6:砂4と割合を変えて黒土を増やしています。


負ければ即敗退という厳しいトーナメント戦ゆえに、生まれるドラマもあります。


ですが、昔、「敗者復活戦」があった時期があります。


「甲子園球場」で大会が開催されるようになったのが第10回大会からで、1915年の第1回大会と翌年の第2回大会は大阪の「豊中球場」、第3回大会は兵庫の「鳴尾球場」で開催されていました。


「敗者復活戦」は、第2回大会(大正4年)から開始しました。


ですが、翌年の大正5年に行われた第3回大会で、奇跡が起きました。


一度は敗北した愛知の学校が、敗者復活戦で勝ち上がり、ついには優勝したのです。


「一度負けているのに、優勝するのはおかしい」とクレームがついたため、敗者復活制度は翌年から廃止となり、たったの2年間で終わりとなりました。


甲子園の歴史の中で、面白いニュースをもうひとつ。


1951年の大会で、兵庫県の高校が「仲間の応援のために、ゾウを連れて行けば盛り上がるだろう」と、応援団長が近隣の遊園地に頼んで、甲子園球場にゾウを連れて入場したことがあったそうです。


高野連のヒンシュクを買って、すぐに退場を命じられたそうですが……(そりゃそうだ)。


ですが、ゾウの応援の効果もあったのか、その高校は準優勝まで行ったそうですよ。


ネットで検索すると、当時の写真も出てきます。新聞の記事にもなったそうで。

球場内を闊歩するゾウ。なかなか見られるものではありません。

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― 新着の感想 ―
[良い点] テレビのクイズ番組のネタになりそうな話ですね! 問題:1951年、兵庫県の高校の応援団長が甲子園に出場する野球部のために思いついた応援パフォーマンスは何でしょう? 答え:ゾウを連れて入…
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