54年かかったマラソン選手
大阪・道頓堀の前にある巨大な「グリコ」の看板。
両手を挙げたランナーが爽やかな笑顔で走っている「ゴールインマーク」ですが、これには実在のモデルがおり、日本マラソンの父・金栗四三と言われています。
金栗は、箱根駅伝の創設者で、酸素の薄い高地トレーニングの発案者でもあり、走りやすいゴム底の足袋を開発したり、マラソン業界に多大な貢献をした人物。
2019年の大河ドラマ「いだてん」のモデルにもなりました。
1912年、日本人初のオリンピック選手として期待を背負い、ストックホルムでのオリンピックに参加した金栗は、体調万全のコンディションと言えないまま、マラソンがスタートしてしまいます。
日本はオリンピック自体が初参加であり、食事や体調管理など選手をサポートするノウハウがなく、満足に食事を摂れなかったこと。
時期的にオリンピック開催地のスウェーデンは白夜であり、夜も明るい中で、前日はよく眠れなかったこと。
当日、迎えに来るはずの車が来ずに、開催する競技場まで数キロ走って移動してからのスタートとなったこと。
現地の温度は酷暑(40℃!)と言われ、給水所に立ち寄れず給水していなかったこと。
さまざまな事情が複合し、その中で走り続けた金栗は、途中で意識を失って倒れてしまいました。
近くの民家に保護されて、目が覚めると、既に大会は終了していました。
金栗はレースを諦めて日本に帰国。
オリンピック主催者側は、金栗を「行方不明」扱いとしました。
金栗の「棄権」の意思が、主催者側に伝わっていなかったためです。
時は流れて、54年が経過した1967年のこと。
当時の記録により「競技中に失踪し、日本人が行方不明」となっており、現在も「走り続けている状態」だと気づいたオリンピック委員会は、金栗をゴールさせることにしました。
ストックホルムでの記念式典に招待し、記念式典当日、競技場を走った74歳の金栗が、用意されたゴールテープを切ると
「日本の金栗選手、ただいまゴールインしました! タイムは54年と8ヶ月5時間32分20秒3」
とアナウンスされたそうです。
オリンピックの記録として残っている「最も遅いマラソン記録」だそうです。ギネスブックの世界記録にも載っているそうで。
今後もこの記録は破られないことでしょう……。それにしても、54年かけて完走って。
1912年のストックホルムオリンピックから100年が経った2012年。
金栗のひ孫が、金栗を保護したストックホルムの農家・ペトレさん一家の子孫を訪ねて、感謝の気持ちを伝えたそうです。
翌年の2013年には、ペトレさん一家の子孫が日本に訪れ、金栗の子孫たちと共に、金栗四三の墓前に手を合わせたとか。
100年経っても交流が続いているんですね。いい話。




