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【感謝!4万PV突破!】雑に学ぶと書いて雑学 ~昨日より今日の自分が少し賢くなるかもしれない~  作者: 雲条 翔


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大ファンの熱量が公式になった例

 モーツァルトの作った14曲立ての楽曲「レクイエム」の第3曲、「怒りの日(ディエス・イレ)」。


「レクイエム」の中でも有名な1曲で、雄大で、荘厳な趣でありながら、荒々しさや力強さも含む曲です。


 私にとって、この曲との初めての出会いは、クラシックのコンサートなどではなく、「餓狼伝説2」という格闘ゲームで、ラスボスとのバトルで流れていたBGMでした。

 背景のステージも天井が高い立派な大聖堂で、ずらりと並んだ奏者たちが、目の前で戦う帝王のために音楽を奏でている……という設定に痺れたものです。


 私の父はクラシックのCD全集を持っていたので、父からモーツァルトのCDだけ借りて、この曲を何度も聞いたのでした。


 そこで、ふと疑問に思いました。

「レクイエム」というタイトルの後に「K. 626」という番号があるのです。

 よく見ると、他のモーツァルトの曲名の最後には、すべて「K.○○○」という番号がついていました。


 これって何?と思って調べると、「ケッヘル番号」というものでした。


 その番号は、ルートヴィヒ・フォン・ケッヘルというオーストリア人の名前にちなんでいます。


 彼は大学で優秀な成績を収め、貴族に雇われて「住み込みの家庭教師」として暮らしていました。

 有能な仕事ぶりが気に入られて、地元で有名な伯爵家に住み込むことになり、家庭教師の職を辞したあとは、功績が認められて自らも貴族の爵位を授与されました。


 51歳の頃、友人のフランツ・ローレンツから手紙が送られてきます。

 ケッヘルとローレンスはクラシックが好きでした。


 ローレンスの手紙にはこうありました。

「モーツァルトの死後、彼の膨大な曲を管理する者がおらず、このままでは名曲が散逸してしまうのではないか」


 ケッヘルは「自分がやろう」と思い立ちました。

 必死にモーツァルトの楽曲について調べ上げ、自分で整理するために製作年の順番に番号を振っていきます。


 その頃のケッヘルの本職は、植物学や鉱石学などの研究だったのですが、10年以上かけて、モーツァルトのすべての曲の作品目録を作り上げました。


 そして、1番の「クラヴィーアのためのメヌエット」から、遺作となった626番の「レクイエム」まで、通し番号のナンバリングが終了。

 全曲を時代順に網羅し、曲のデータを記録。

 この大仕事を一冊の本としてまとめて、目録として出版したのです。


 ケッヘルが成し遂げた「モーツァルトの曲に番号をつけて整理する」という偉業は世間から多大な評価を受けました。

(生前のモーツァルト自身も自分の曲に番号を振っていましたが、200曲までいかないうちに頓挫しています)


 後年の発見などによりその目録は多少改訂されていますが、現在もモーツァルトの曲の管理番号は「ケッヘル番号」が世界共通認識として使われ、モーツァルトの曲を公で演奏する時には曲名と共に「K.○○○」と番号も併記される、という次第なのです。


 大ファンのひとりが作ったリストが、「公式」となっている……好きなものに対する熱量ってすごいなあ、というお話でした。


 ちなみに、ケッヘルが亡くなった時には、追悼式でモーツァルトの「レクイエム」が演奏されたそうです。

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