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【感謝!4万PV突破!】雑に学ぶと書いて雑学 ~昨日より今日の自分が少し賢くなるかもしれない~  作者: 雲条 翔


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「直木賞」の直木って誰?

 日本で有名な二大文学賞といえば、「芥川賞」「直木賞」のふたつ。


「芥川賞」は「芥川龍之介賞」ですが、「直木賞」は……「直木賞」の「直木」って誰のこと?


 答えは、「直木三十五なおき さんじゅうご」。


 代表作『由比根元大殺記ゆいこんげんだいさつき』や『南国太平記』を書いた、あの直木三十五ですよ!


 すみません、偉そうなことを書いておきながら、私もこの人の作品は読んだことがありません……。

 いやー、芥川龍之介と比べたら、知名度が……ほら……ねえ……? 

 あまり、メジャーでは無いですし……。


 大正時代から明治時代に活躍した作家・直木三十五は、本名を植村宗一といいます。


「植村」の「植」の字を崩し、「直木」というペンネームの名字の由来となりました。


 下の名前の「三十五」は、その時、三十五歳だったから。


 文筆活動の始まりには、三十一歳だったので「直木三十一」と名乗り、それ以降は誕生日を迎えて年齢が増えるたびに、名前も「直木三十二」「直木三十三」と変えていたそうです。

 毎年ペンネームが変わる作家……なんだろう、編集者サイドからすると「コイツめんどくさいやつ」とか思われそうな気が。


 三十五歳の時に「直木三十五」になってからは、周囲の忠告もあり、年齢で改名しなくなって「三十五」で固定されました。


 直木が「三十三」と名乗っていた頃(こう書くと、名前で年齢が分かるの、時期が分かって結構便利かも)、映画監督のマキノ省三の家に居候し、映画俳優と交流を持ち、無声映画の監督・脚本まで手がけています。


 昭和9年、43歳という若さで病死した直木三十五。


 直木の死後、友人であり「文藝春秋社」の創設者・菊池寛きくち かんが、彼の功績を讃え「直木三十五賞」という文学賞を創設しました。


『文藝春秋』にて、「芥川賞」と共に「直木賞」の創設を発表。

 この号だけ定価が少し高めで、その差額を直木三十五の香典にする、と公言しています。粋な香典。


 ちなみに、第一回の「芥川賞」をどうしても受賞したくて、審査員だった川端康成に「どうしても私に受賞させて下さい!」と熱望する手紙を書いたのが、太宰治だったとか。


 尚、直木は文筆家としてデビューする前、早稲田大学の学生でしたが、学費の未納から中退しています。

 しかし、学籍は失っているのに、こっそりと大学には通い続け、卒業記念写真の撮影にもなぜか紛れ込んで参加しているとか……なかなか面白い人物のようです。


 直木三十五の「自分の年齢を、ペンネームに使う」というエピソードを人から聞いたのは、私が高校生だった頃。


 ああ、それにちなんで自分がやった、イタい想い出が蘇ってきました。


 高校生だった当時、大学ノートに手書きでせこせことSF短編小説の習作をしていた頃、自分の年齢である「十六」という数字を織り込んだ、痛いペンネームをつけていた気がするなぁーっ!と個人的な黒歴史が脳裏に!


 で、でも、文豪に憧れて、行動様式をマネしてみたくなる気持ち、わかってくれますよね……?

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