彼氏に振られた友人を慰めるついでに家に誘ってみた
「うぅ……また浮気された……カオルくん……くそぉ……」
私の目の前に座り、居酒屋の安っぽい木のテーブルの人工的な木目とにらめっこしているのは本庄蘭奈。
めでたく、社会人になって毎年彼氏に振られるという不名誉な記録を三年連続三年目という華々しい成績で更新した。
その不名誉な記録の名誉ある立会人に三年連続で選出されたのが私、上田知奈。
「蘭奈はさぁ、いい加減見た目から入るのをやめなって。そんなんだからヤバいやつに引っかかるんじゃん。去年だってバンドマンと美容師とバーテンを掛け持ちしてるやつだった訳だし、目に見えてる地雷に突っ込むのは今年で終わりにしよ!」
「いやぁ……分かっちゃおるのだが、やめられんのだよぉ」
蘭奈はいつもこうだ。自分から地雷原に突っ込み、爆発して、四肢を吹き飛ばされ、私をこの居酒屋に召喚する。
「もう来年もここに座ってる未来が見えるよ」
「トモは辛辣だにゃあ。そんな事言いながら付き合ってくれるんだにゃんね?」
猫のポーズをしながら蘭奈が言う。
もちろん、私も来年もここに来る気満々だ。一番はここに来るような事態にならないことだけど。
そのために、心を鬼にする。
「今年で最後だよ。来年は一人で悲しむんだね」
「そっ……そんなぁ……」
蘭奈はそんな事になるとは微塵も思っていないようで、おちゃらけながら驚いたふりをしている。
「あぁ……でも私達も今年で二十六ですよ。ウェアイズ婚期!」
「本当にそうだよねぇ……」
去年も蘭奈は「今年で二十五だよ。婚期ハズゴーン!」と言っていた気がする。今年は探しているだけ進歩はしているのだろう。
去年までの流れだと、このまましみじみとした雰囲気で日付が変わる前に解散する。
そんなしみったれた会に毎年私が参加する理由。
それは、蘭奈の事が好きだからだ。
新入社員研修であった時から変わらない、緩いウェーブのかかった茶髪、淡い色の服が似合う肌、私には絶対に似合わない姫系のファッション、誰とでもすぐに仲良くなる外交的な性格。なぜか同期の男が貢いで何本も持っている限定品の金木犀の香水。
全部が私のあこがれだった。
研修中も、同期との飲み会も、どんな時も視界の端には常に蘭奈がいた。
蘭奈の男関係の話を聞く度、想いを伝えるのは悪手だと自分に言い聞かせてきた。今日だってそうだ。
そんな事はしない方が良い。そうすれば、来年も友人代表としてこの居酒屋に来ることができるのだから。
「トモ? どしたの?」
蘭奈が首を傾げて私を見てくる。そんなぶりっ子な仕草が似合うのもずるい。
「なんでもないよ」
「そっか」
ニッコリと笑って、蘭奈はカルアミルクをちびっとだけ口にする。
私はそんな蘭奈を見て、自分の手元にある芋のお湯割りをどうにかして隠したくなってしまった。
◆
「でさぁ! マジで何回同じ話をするんだよって感じなの! 議事メモにうんこって書いちゃったわ!」
「アハッハ!」
蘭奈は手を叩いて笑う。
気づけば深夜の二時。仕事の愚痴は年次を経るごとに溜まっていくみたいで、あれよあれよという間にこんな夜更けになってしまった。
「あのぉ……そろそろお会計、よろしいですか?」
「あれ? もう閉店なの?」
「はい……一時にはもう……」
気づけば店には私達しかいなくなっていた。
しっかりめんどくさい客に成り下がっていたので、努めて丁寧に会計を済ませて外へ出る。
薄めのニット一枚で来たのを後悔するくらいには秋の夜は寒い。
「おーさぶいさぶい。コンビニでワンカップ買ったらチンしてくれるかな?」
「ダメだろうね。家で湯煎する?」
「お! トモの家行ってもいいの? いつも断るじゃんかぁ」
「汚いからね……でももう終電もないっしょ?」
「あざます! 一宿一飯の恩義で酒を奢ります!」
蘭奈は酔っ払いらしくビシッと敬礼をすると、コンビニに駆け込んでいった。向かった先は酒売り場ではなくトイレだった。
◆
コンビニで買い込んだ酒を手に部屋に帰ってきた。
「おわぁ……こりゃ酷い」
蘭奈が絶句するのも分かる。自分で言うのも何だが汚部屋だ。
ワンルームの部屋には服や鞄が散乱していて、ベッドの上でなんとか生活している。
「マジで私の心配してる暇があったらこれどうにかしなよ。彼氏どころか友達も呼べないじゃん」
居酒屋とは立場が逆転して、蘭奈が真面目な顔をして私に説教をする。
言っていることは間違っていないので「はい……はい……」とただ頷くことしかできない。
「ま、泊めてもらうし片付けは……起きたらやろうかな」
蘭奈は秋物のコートを適当に畳んで置くとベッドにダイブする。
「はぁ……いいですなぁ」
「私の場所も空けといてよ」
「空いてるよん。ほらぁ。おいでおいで」
蘭奈が目を瞑って唇を突き出し、腕を伸ばして迎え入れる体勢を作る。
私に理性がなければそこに飛び込むけれど、当然そんな事は出来ない。
笑って受け流してローテーブルの上に散らばった化粧品をかごに詰めて物が置けるスペースを確保してからベッドに腰掛ける。
缶ビールを開けて、貝ヒモを開ける。
プシュッという音につられて私の腰に絡みつくようにモゾモゾと蘭奈が動いた。
「食べさせてぇ」
私の腿のあたりから顔を覗かせ、魚みたいに口をパクパクとさせている。
貝ヒモをタイミングよく放り込むと、寝ながら食べるものではないと気づいたようで、私の後ろで起き上がった。
二人羽織のように後ろから蘭奈の手が伸びてくる。
「普段ってここで何してんの?」
貝ヒモを頑張って咀嚼している蘭奈が尋ねてくる。
「何も。仕事から帰ってきたら寝るだけ」
「うはぁ。そりゃ干からびちゃうねぇ。最近はどうなの? 彼氏とかさ」
「いるわけ無いじゃん。いたらもう知ってるでしょ」
「そりゃそうだ」
不意に訪れる微妙な沈黙。
蘭奈とは親友なので沈黙も苦ではない。そのはずなのに、なぜか自分の心臓の音を気にしたり、こすれる服の感覚が気になったりする。
「トモってさぁ、美人なのになんでモテないんだろうね」
「そ……そうかな……」
「そうだよ! なんで彼氏がいないの?」
「私も分かんないよ」
「ふふーん。私にはね、とある仮説があるのです!」
私の肩に顔を載せて蘭奈がそう言う。
目玉を左に動かせば蘭奈の横顔が見える。眉間から伸びる鼻筋の曲線や少し上がった口角が可愛らしい。
「仮説?」
「うん。トモはね、私のことが好きなの」
心臓がバクンと跳ねる。一昔前の漫画ならハート型に肌が浮かんでいたことだろう。
「な……なんでそう思うのかな?」
「仮説には根拠が必要だよねぇ。理由は四つ! まず、オフィスでよく目が合うから」
「それは……友達だし」
「ま、そうかもね。二つ目は、私をよく見てる。よく目が合うってことは、私のことを頻繁に見てるってこと」
「それも友達だから。知り合いが歩いてたらつい目で追いかけちゃうの」
「そうですかそうですかぁ。じゃあ三つ目ね。私と同じ香水を使ってる。金木犀のやつ。今もつけてるのかな?」
そう言って蘭奈は私の首筋に顔を埋めて匂いをかぐ。
「あ……あれは、良い匂いだったから……」
高額転売ヤーから大枚を叩いて金木犀の香水を買った理由は二つ。一つは本当にいい匂いだったから。もう一つは、これを使えばいつでも蘭奈が近くにいる気がするから。
「ふーん。素直じゃないなぁ。じゃ、四つ目ね」
そう言うといきなり蘭奈は黙る。
不安になって顔を横に向けると、不意に唇を奪われた。舌が侵入してくるも抵抗できずになすがままに蹂躙される。
蘭奈の気が済むまでキスが続く。「ぷはっ」と息継ぎのために離れた蘭奈は淫魔のように怪しく微笑む。
「四つ目は、今のを拒否しなかったから」
「そっ……それは……いきなりだったし……」
「いきなりだったら普通は拒否するもんだよ。トラックが突っ込んできたら体が動かなくなっちゃう系の人なの?」
そんな体験をしていないので分からないし、したくもない。
「まぁまぁ、私も人肌が恋しいんだよぉ」
甘えるようにそう言うと、また私の背後に戻り、私のブラウスのボタンを丁寧に外し、前を全開にしてくる。
「たまりませんなぁ。あれ……これ……やっぱり!」
上から覗き込むように見ていた蘭奈が急にブラジャーのタグを探して、何か合点がいったように声を上げる。
「どうしたの?」
「サイズが同じなの! すごくない!? 今まで知らなかったよぉ」
蘭奈がどのくらいなのかは知らないけれど、私は平均的なサイズだし被る人はそれなりにいるだろう。
キスの衝撃で抵抗しなくなったことを良いことに、蘭奈は私から下着を剥ぎ取り、自分のものと交換し始めた。
紺色の下着が淡いピンク色に変わる。
こんな色の下着は私には似合わない。
「うわぁ。これつけ心地最高だわ。トモのおかげで温かいし」
恥ずかしくなって目を瞑っていると、蘭奈の柔らかい手が私の脇腹をくすぐり始めた。
「ちょ……くすぐったいって」
「いいじゃんかぁ。素直になりなよ。トモはどうされたいの? 言ってみ? 言霊ってあるんだよ。言ってみれば叶うかもしれないよ?」
「こっ……このまま友達でいたい」
蘭奈の手がピタッと止まる。
これで終いだと思った瞬間、蘭奈の口が私の耳元にやってきた。
「本当は?」
吐息多めに尋ねられて背筋が一気に伸びる。
「き……今日だけ……今夜だけ……都合のいい人でいいから、寂しい時だけでいいから、私を恋人にして欲しい……」
ありのままに曝け出された私の本音。
どうせ蘭奈は次の男漁りに夢中になる。だから私はその繋ぎでよい。その一心でつっかえていた気持ちを捻り出す。
蘭奈はずっと動かない。私の本音に引いてしまったのかとビクビクしながら返事を待つ。
「トモは……大事な友だちだから。そんな風に雑に使えないかな……でも、それが願いなら頑張って叶えるよ」
そう言って、蘭奈は私の背後から引っ張ってベッドに押し倒してきた。
◆
ゴミ収集車のけたたましいエンジン音で目が覚める。
服を着ていないので布団の暖かさが身にしみる。
人肌の暖かみは感じない。寝る前は後ろから蘭奈が抱きしめてくれていたはずだ。
「蘭奈? トイレ?」
いくら待っても返事はない。
ミノムシのように布団にくるまって体を起こす。
私は言葉を失う。
自分の部屋とは思えない程に綺麗になっていた。服も畳まれて箪笥に入っているし、カバンも全部かけられている。
化粧品も色味順に並べられているし、テレビとエアコンのリモコンはどこかに投げ捨てられていたお菓子の空き箱に収納されていた。
蘭奈がやってくれたのだろう。これだけでも家に呼んだ価値がある。
お礼を言いたくても蘭奈はどこかに行ってしまったらしい。
携帯を開くと蘭奈からメッセージが来ていた。
『カオルくんがヨリを戻そうって言ってくれたの! 今から行ってくるね!』
送信時刻は早朝六時。今が昼の十時なので、朝イチで支度をして出ていったのだろう。
都合のいい女は私だけでなく、彼女もだったらしい。
次の居酒屋は一年後ではなく一ヶ月後になりそうだ。なんなら来週かもしれない。
「あいつ、今日もここに帰ってくんのかな……」
独り言をつぶやかずにはいられなかった。
何故なら、ローテーブルの上には丁寧に折りたたまれたピンク色の下着がおいてあったからだ。
彼氏に下着をつけずに来いと言われたのなら仕方がないけれど、私の紺色の下着が見当たらないのでその線はうすそうだ。単に私のものをつけていっただけだろう。
寝不足か酒の飲み過ぎか、はたまた別の要因に起因するのか分からない頭痛に耐えながらベッドから立ち上がる。
その瞬間、インターホンが鳴った。小さな画面で寝起きの私を呼び出した主を確認すると、私は洗面所に向かう。
言霊というのは本当にあるらしい。
早朝、私を起こさないように気を使ったのか、洗面所で蘭奈は化粧を済ませたようだ。
その証拠に、二重テープのゴミと僅かばかりの金木犀の香りが残っていた。後で我が家のゴミ箱の位置を教えてあげよう。
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