時空散歩
朝の大手町は俺にとって天国だ。有名コーヒーチェーン店の紙袋を持ったOLが、街を行きかっているのだから。
いつもと同じ時間に、この街に降り立った俺は、これまたいつもと同じルートで、道を歩き始める。
この時間のもう一つの利点は、たいてい同じ時間・同じ場所に、同じ人がいるということだ。
毎日働きアリのように、せっせと働く人々は、自分たちでは気が付いていない無意識のうちに、同じルートを歩むものだ。
今日の運命の人を見つけ、その後ろをちょうど一歩半の間隔をあけてついていく。目の前を歩く、名前も知らないOLさんの髪が揺れるたび、胸が高鳴り、一歩一歩と進んでいくたびに、気持ちが昂っていく。
あぁ…最高……
自分でも恍惚の表情を浮かべているのが、手に取るようにわかる。
この世界が、自分と前を歩く女性の二人になったと実感したその時、ふいに二人の間を脂ぎった中年のサラリーマンが横切る。
一気に現実に引き戻され、周りに大手町のビル林が復元される。
ちっ…あと少しで絶頂を迎えられたというのに…
完全になえてしまった俺は、踵を返し、さっき出たばかりの駅に戻る。
…くそっ!全然収まんねぇ…
大手町での至福の時を邪魔された俺は、そのまま電車に乗り込んで、通勤ラッシュが完全に過ぎ去った車内で、ぼーっと座っていた。
特に行く当てもなく電車に揺られていた俺は、ふいにまだ今日はまだ何も食べていないことに気が付いた。
いつもなら、大手町でたいそう満足して、空腹など感じる暇もなく自宅へと引き返すのだが、今日はそうもいかなかったからだろう。
すると電車のアナウンスが池袋についたことを告げる。
逆側の戦車に乗っていたはずだが、いつの間にか折り返して、終点までやってきたらしい。
ちょうどいい。軽く飯でも食いがてら、街をブラブラしよう。
そう思い立って、席を立つ。
改札を出て、池袋の町をブラブラする。
とりあえず腹を満たすために、駅前の適当な牛丼チェーンに入り、並盛を頼む。
安っぽい牛肉が乗ったどんぶりをかきこみ、適度に腹を満たし退店すると、平日の昼間だというのにも関わらず、街には意外と人がいることに気が付く。
OLさんで失敗した分を、ここで取り戻すのも悪くない。
池袋の町を行きかう女性は、大手町のそれとはまったく経路が異なる。
ぴちっとしたスーツに身を包んでいる人など皆無で、無駄に肌を露出している人や、何かのキャラクターのグッズを付けている人など、俺の琴線に女性はほとんどいない。
そんな中で、清楚な見た目をした女性を発見した時は、天啓が舞い降りたように感じた。
その女性に狙いを定め、いつものように一歩半の距離を置いて、後ろをついていく。
女性は、池袋の芸術劇場の近くの公園をブラブラしていた。
いつもは、目的地に一直線に向かうOLさんを付けているものだから、これも新鮮だった。
彼女が通ったところを自分が通った、そのちょっと後に、彼女がまたその場所を通る。
……今までにない感覚だ…!
これはこれで、癖になりそうだな…と思いつつ本日二度目の気持ちの昂りを感じる。
もう少しだ…そう思った刹那、彼女がその歩みをぴたりと止める。
あぁ!もう少しなのに!ここにきてじらしてくるなんて…!
名前も知らないその女性にじらされること数分、ふいにくるりとこちらを見た彼女は、笑顔で手を振る。
まさか、彼女も俺と同じことを…!?
そういえば、同じん場所をぐるぐると回る行動は、明らかに俺と同じことをして楽しんでいるとしか考えられない!
感動を覚えつつも、しかし一歩半という距離はしっかりと保ったまま、ハニカミながら手を振り返そうとしたその時
「ごめん、待った?」
自分の後ろから、男の声がした。
はっ?
突然の声に振り返ると、ジャラジャラとアクセサリーを付けた、全身穴だらけの男が彼女に向かって小走りに近づいている。
「ううん、ぜんぜん」
「そっか!じゃあ、行こうぜ!」
その軽薄そうな、いや軽薄な男が彼女の肩を抱き寄せ、そのまま繁華街のほうに向かって去っていく。
しばらくその場で呆けていた。
クソッ!クソッ!クソッ!クソッ!!!
なんだ!あのクソビッチが!!
ふざけやがってっ!カレシがいるのに、俺のことを誘惑したのか!?
まったく、だからこんな街の女は信用がならないんだ!!!
これまでにないくらい最低の気分で、ひとまず家に帰る。
しかし、その日はもう何もやる気が起きず、ただ今日あった最低の事件に対して、怨嗟を連ねるだけで、そのまま眠りについた。
行く実土曜日も、特に何かをやる気が起きず、のそのそと行動を開始したのは、さらにその翌日の日曜日だった。
今日はかねてからの予定があった。
最寄りの駅から数駅いったところにある女子大の学園祭が開催されているのだ。
この前の金曜のクソビッチみたいな女もわんさかいるだろうが、俺好みの清楚系の女子学生もきっといるはず!
期待に胸を膨らませて、電車に乗り目的地に向かう。
目的の駅をおり、その大学への道を歩く。この辺では有名な大学の学園祭なだけあって、そこに向かおうとする人の波はなかなかのものだ。
しかし、今日俺が興味がるのは、こんなところに群がっている奴らではなく、あくまで女子大生!
はやる気持ちを押さえつつ、大学の門をくぐる。
俺も、まともに大学に通っていた時期もあるが、当然女子大なんてめったに来る機会がない。
まるで夏祭りに連れてきてもらった子供みたいにワクワクしながら、パンフレットを受け取り、どこに向かおうかと思案する。
まぁ、とりあえず中庭に並んでいる出店でも見てみるか…
中庭に移動すると、そこそこ大きな噴水の周りに、いくつもの出店が立ち並んでいた。
最近下火になっているタピオカの店もあれば、定番の串焼き・焼きそばなんてものもある。どれも価格はお祭り価格だが、女子大生が作って売っているというだけで付加価値が付いているのか、売れている店が多そうだ。
女子大生たちの甲高い客引きの声を聴きながら、適当に流していると、チュロスの店が目に留まる。
店員は四人。いいわゆる弱小サークルの小金稼ぎだろう。声を張り上げているわけでもなし、昼ご飯前の時間にわざわざチュロスに目を付けている人もいないらしく閑古鳥が鳴いていた。
俺は、その中に、いかにも清楚系といった感じの女子学生を見つけた。大層興味を持った俺は、その出店でチュロスを一本購入し、その近くにあるベンチに腰を下ろして、ちびちびとそのチュロスを食べる。
しばらくして、俺が目を付けた女子大生が、休憩だろうか、店から席を外す。
それを見た俺は、のそのそと動き出し、その女子大生を一歩半離れておいかける。
始まった。至福の時が…!
その学生は、昼食をとるのだろう。大学の中にある食堂に向かい、発券機を操作する。俺も昼食をとろうとしている来校者のふりをして、その真後ろに立つ。
女子大生が、カレーの件を購入し、その場を離れると、彼女が立っていた場所に、俺がぴたりと重なる。
まさに、最高の瞬間。彼女と俺が重なっているのを感じる…!
今にも絶頂を迎えそうだが、もっと最高のシチュエーションがあるはず。そう思った俺は、そそくさとカレーの食券を買うと、早足に彼女の後を追う。
そこから、彼女との距離を縮めもせず、また離れもせずにカレーを食べ終えると、再び彼女の一歩半後ろをついていく。
次に彼女が向かった先は、どうやら演劇部の公演のようだった。
その道中も、彼女と重なるたびに、完璧な絶頂を迎えそうになるが、何とかこらえる。
一昨日からお預けを食らっているんだ。こんなところであっさり、なんて満足しようにも満足しきれない。
演劇部の公演で、彼女の席の後ろの席に座る。しかし、動きがあるわけではないので、今は重なることができない。
劇の内容などまともに頭に入ってこず、悶々とした時間を約一時間過ごすと、講堂内の明かりがつき、公演の終了を告げる。
前の席の彼女が立ち上がるのに合わせて、俺も立ち上がり、ついていくが、この講堂内は一方通行。出口は一つしかなく、公演を見ていた観客全員が同じところから退出するのだが、その時になって、自分の中にため込まれてい欲望が一気に噴出する。
頭の中であまたの処理が走りはじめ、周りにいる女子学生全員との性行為を開始しているかのような錯覚を、いや俺にとっては錯覚ではなくまさしくその“実感”を得た。
コンマ数秒おきに別の女性がいた座標と重なり、また、俺がいた座標に別の女性が重なる。
俺の頭の中では、そこがまさに“入り淫れた”状況に陥る。
ため込んでいた欲望が、体内から噴出されたのと同時に、俺の意識は闇の中へと落ちていった……………………
「これは、とある男性から得た証言と日記を統合し抜粋したものです。信じがたいことですが、彼は自分と他人の座標、およびその時間変化を認識し、それが微小時間ずれたタイミングに特定の女性と重なることで、性行為を連想していたようです。大多数の女性がいる空間で、自分の性欲を抑えられなくなった結果、意識を失うほどの絶頂に見舞われたようです。我々は、この妄想…もとい能力を“四次元セックス”と名付けて、人間の空間把握の限界についての研究を行いました…」
日本建築学会に寄せられた先進的な研究が、世界の空間利用の認識に大きな変革をもたらしたのは、この近未来都市にお住いの皆さんが、よくご存じのことだろう。