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オーギュスト・ベルツリーの苦悩

作者: サン=ツコー


わかる人はあとでつこさん説教しにきてください

わからない人はこれつづきあるのか心配してください





 詭弁(きべん)だ、とオーギュストの心は叫んだ。

 けれど実際にはその場で人知れず唇を噛んだだけであった。

 人々の前で灰の髪を掻きむしり喚き散らす無様な姿を晒すくらいなら、ひとときの屈辱を忍んだ方がいい。

 朗々と(うた)うように赤髪で痩躯の男は人から人へと渡り歩き、そして毒にも似た言祝(ことほ)ぎを述べる。

 オーギュストにとってそれはまるであの日の悪夢のようで、何ひとつ容赦できそうにもなかったのだ。

 けれど伸ばした腕はじつに無力で、ただ空を切るのみ。

 オイルランプが煌々と掲げられている夜の社交場で、身を守るものもなくオーギュストはただひとりだった。



「互いに誤解があるのではなくて? ベルツリー子爵?」



 何度もそうオーギュストへ忠告のようにつぶやくのは銀髪の公女サン=ツコーだった。

 その言葉は飲み下すに苦くて、むしろそんな無体なことを述べる公女が疎ましくて、話半分にも聞かずに流す。

 そのことすら見咎めて目を(しか)めては、オーギュストにとっては心の腫れ物と言える部分に公女は釘を刺す。



「貴殿自身のためにならなくてよ、ベルツリー子爵」


 断定的なその言い様が気に触った。



 オーギュストの気持ちを苛み続けるのはひとつの楔。

 それは赤髪の弁士、アルフレド・ソルティホットがかつて彼に述べた言葉だった。

 きっと、言った本人は憶えていないに違いない。

 オーギュストは、あの男にとってただの通過点に過ぎないから。


 忌々しくて、けれどそれを吐き出すこともできなくて、オーギュストはただ淡々と時間をやり過ごす。

 そうしていれば何かがどうにか解決するかもしれない……そう自分に言い聞かせて。

 悲鳴を上げる心は隠しようがないのに。


 オーギュストはベルツリー子爵家の嫡男として生まれ、これまで品行方正の歩みをしてきた。

 18の年から諸国を巡り見聞を広め、23にして爵位と家督を受け継いだ。

 そしてこの4年もの間、彼の手にかかればすべては思い通りになるのではないかと思えるほどになにもかも順風満帆だったのだ。



 それなのに。



 憎い。

 はっきりとそう思う。



 親しい友人にすらそれを述べたことはない。

 どうやらオーギュストの振る舞いに知れず現れてしまってはいる部分はあれど、それは敏い人間の中でも公女のように憚らずに物を言える立場の者しか口にはしない。

 いっそ戯曲にでもしてくれ、せいぜい巧く道化けて魅せようとオーギュストは笑った。

 こんな気持ち、抱えていたいわけではないのに。


 許せないのは唯一つ。


 それを想うには痛みが伴う。



 ――アーシャ。



 つぶやくこともできずにただその名を唇に刻む。

 もう返ることのない声、その事実を恐れて。


 それはオーギュストが異国の地に見出した花だった。

 当時4歳の孤児の少女。

 黄金の髪に愛らしくどこかオーギュストに似た青い瞳。

 屈託なく笑い、泣き、甘える仕草。

 養子に迎える用意はできていた。

 けれどそれは叶わなかった。

 彼女は無残に手折られたから。



「そのお若さで親になるのは大変だったと思いますよ」



 ソルティホット氏はそう述べた。


 あるいは慰めとして。

 あるいは悼む気持ちとして。

 受け止められたならどんなによかっただろう。



 わたしはあの子の父になりたかった。



 それだけなのに。



 許せなかった。

 オーギュストの気持ちを理解しなかったことをではない、立場への無理解をでもない、オーギュストにとってあの子がその程度のものとして断じられたこと、それが身を裂くような痛みを伴うものだった。

 いや違う、違うなにかだ。

 いや、違わない、それそのものだ。

 オーギュストの中でもそれは定まりを持たない。


 あの子はオーギュストの花だった。

 何にも代えがたい花だった。



 わたしはあの子の父になりたかったんだ。




 誰にも心情を述べることもなく日々を変わりなく過ごす。

 彼はベルツリー子爵、27にして国の商の戸口を護る貴人のひとりだ。

 誰も彼もオーギュストの本心を知ろうとはしないし、知ったとしても理解はしない。

 そう当て込んで上滑りの笑顔を作った。


 時折心配そうに声をかけてくる者はいる。


 けれど遠い声だ。



「オーギュスト、おまえは最近おかしいぞ」


 知己の言葉をも受け流す。


「ありがとう、友よ」


 どうせおまえにもわからない。



「その上面の笑顔をやめろ」

「知っているだろう、これがわたしだ」

「嘘をつけ、おれの友人はそんな湿気た顔はしない」

「梅雨を先取りしたんだ、流行を作ろうと思ってね」

「回る口は健在だな」


 クエンティン・オーターズ侯爵、オーギュストにとっては心の許せる友人と思えた人だった。

 かつては。


「ソルティホットとなにがあったんだ」


 そう問われるのもこれで何度目だろう。


「なんてことはない、わたしはわたしで、彼は彼。

 それだけだ」


 おまえも公女と一緒だろう。




 あの子のことを悼んでやれるのはわたしだけだ。

 オーギュストは空を仰ぐ。

 何もしてやれなかった、わたしの花。



 いつまでこれを繰り返すのだろう。

 いつまでも。

 いつになれば心は癒えるだろう。

 ありえない。


 許しを拒む気持ちはひりついて、オーギュストを孤独にさせた。






寝るわ、おやすみ!!!



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― 新着の感想 ―
[一言] こんばんは! まったく背景を存じ上げませんが物語としてエモくて素敵なので読めて良かったです!
[良い点] ふふ、なかなか良く書けているではないか、公女よ。 (クエンティン・オーターズ:談)
[一言] うーん、エモい( ˘ω˘ ) 執筆背景は存じませんが、物語としての奥深さは感じます!
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