48 1日仕事
スラムで炊き出しか……。
そろそろ、この町の日陰の部分を知るにはちょうどいい頃合いかもしれないな。
俺はギルドを出て家に帰りながらそんなことを考えていた。
そして翌日、
今日も良い天気だ。
日課である剣の素振りを終え、朝食を済ませた俺はシロを連れて約束の場所へ向かっていた。
今日は冒険者活動ではないので普通の町服を着ている。
革鎧はインベントリーに入れているが身に着けてはいない。
しかし、この世界ではいつ何時 危険が迫るかもしれない。
そんな時のために、防具装備を無手でも装着できるように練習していたのだ。
お陰で、今では瞬時に一発装着できるまでになっていた。
――それがどうした?
そう言われると身も蓋もないのだが、すごく便利であることは間違いない。
それに変身ヒーローみたいでかっこいいだろう。自分では結構気に入っていたりするのだ。
………………
本日、炊き出しをおこなうスラムがある場所は町の北東側の一番端っこだ。
モンソロの町には南側から小川が流れ込んでいて、各水路を通ったのち北東側に抜けている。
この町には8千人程が生活しているのだが、下水の処理をおこなっているのはトイレのみで、一般排水は川や水路に垂れ流しである。
トイレに関してはスライムを利用した画期的なシステムが定着している。
このお陰で心配していたトイレ環境はすこぶる良好で、匂いもほとんどしないし快適なのだ。
ただ、解体場を始めとした町工場などや一般家庭の生活排水はほとんどザルのような状態なのだ。
したがって、町の中では下流にいくほど川は汚れていき匂いもきつくなっていく。
とてもじゃないが、普通に考えたら川下に住もうとは思わないだろう。
しかし、お金がない貧乏人や病人、ケガで手足が不自由になった者、捨て子や世捨て人など行くところがない人間はスラムに住むしかないのである。
もちろん、食べる物などない。
水も夜中にこっそり、よその井戸へ行って飲んでくる。
明るい内に行こうものなら周りの住民に追い返されてしまう。
まさに鼻つまみ者なのだ。
まあ、実際に強烈な臭いを発しているからな。
動けないやつは雨水を溜めて飲んでいる。
雨が降らなければ死ぬ。
水が腐っても腹をこわして脱水症で死ぬ。
ミイラのようになって死んでいる者も多いらしい。
では死んだらどうするのか?
夜になったら川に流すのである。
放っておけば疫病がおこり皆が死ぬ。
だから面倒でも川に捨てにいく。ここではごく当たり前の日常なのだ。
それではこの者たちはどうやってしのいでいるのか?
大人であれば『裏ギルド』の日雇いだろう。
これは冒険者ギルドが行っているれっきとした仕事斡旋事業なのだ。
闇ギルドではないので、ここは間違ってはいけない。
どういったものかと言うと、いわゆる汚れ仕事の斡旋である。
初級冒険者でも手を出さないような、トイレのスライム補充・町道の馬糞拾い・ドブ川の清掃・道の砂入れ・歓楽街にて朝のゲロ掃除などなど、町中の塩漬け依頼もたまにまわってくるそうだ。
ストリートチルドレンにおいては物乞いだな。
これにしても、上に取り仕切るヤツがいて上前をはねられる。
あとは……ズバリ犯罪である。
泥棒・スリ・たかり・強盗・かっぱらい・万引き・その他裏稼業 (闇ギルド) の者もいる。
教会などが定期的に炊き出しをおこなっているようだが、まったく足りていない。
どうしようもないのだ。
この世界においては大多数の人間が自分が食べていくので精一杯なのだから。
中には私財を投じてまで救いの手を差しのべるアーツのような者もいるだろう。
しかし、無駄とは言わないが焼け石に水なのである。
アーツもその辺はわかっているだろうが、それでも助けずにはいられないのだ。
ただ単に損な性格なのか、あるいは深い理由があるのか?
まあ、時期がくれば話してくれるかもしれないな。
だが俺自身、こういったことは嫌いではないのだ。時が許す限りは手伝ってやるさ。
オークの肉ならまだ山のように有るからね。
とにかく行ってからだな。
待ち合わせの場所は中央広場から少し東にいった川沿いにある古い洋館だ。
(おそらくここだと思うのだが……)
何か中から吸血鬼でも出てきそうな雰囲気だよな。
門にはつる草が蔓延っており30㎝程開いていた。
「…………?」
(入って来いということだろうか?)
門の前で悩んでいると、いきなり後ろから肩を叩かれた。
「ヒッ!」
――変な声でた。
おずおずと後ろを振り向くと…………誰もいない。
(わぉ!)
(やはり帰ろうか……)
そう思っていると、
「あなたが今日お手伝いをしてくれる人かしら?」
下から声をかけられた。
視線を落とすと杖をついた老婆が居てニコニコと微笑んでいた。
シロは隣りでお座りをして見守っている。
「えっ、え――と、今日はアーツさんに頼まれてお伺いしました。こちらで良かったでしょうか?」
「やっぱりそうだったのね。まだ準備があるから中に入ってくださいな」
老婆にうながされシロと洋館へ入っていく。
歩きながらであったが、
「俺はゲン。こっちは従魔のシロです」
と短く自己紹介をする。
「まあまあ、それはそれは……」
俺たちは応接室へ通された。
「そこへ座ってちょうだい。いまお茶を用意しますからねぇ」
老婆はテーブルの上にあった呼び鈴を鳴らした。
すると直ぐに老年の執事が現れ、
「お呼びでしょうか、奥様」
うやうやしく頭を下げている。
「あっ、ペーターお茶を2つお願いね」
「かしこまりました」
執事であるペーターさんは再び頭を下げ応接室から出ていった。
「自己紹介がまだでしたわねぇ。私はヨハンナ、ヨハンナ・シュピール。よろしくね」
俺は立ち上がって貴族礼を取ろうとしたのだが、
「あらあらいいのよ、そんなことしなくっても。もう、おばあちゃんなんだから」
「ゲンさんだったかしら、アーツさんはすぐにみえると思うの。お茶でも飲んでゆっくり待つことにしましょう」
せっかくなので、ペーターさんが煎れてくれた紅茶を一口いただく。
おおっ! これは旨い!
俺が目を丸くしたのが分かったのだろう。
「ふふふっ、美味しいでしょう。邸の自慢なのよ」
とヨハンナ様。
たしかに旨い……。茶葉なのか? それとも煎れ方なのか?
……きっと両方だよなぁ。う~ん美味しい。
それから何を話すでもなく15分程が過ぎただろうか。
「アーツ様がおいでになりました」
ペーターさんが扉の向こうから告げてきた。
「お通ししてちょうだい」
暫くするとアーツが部屋に入ってくる。
「おはようございます、ヨハンナ様。ゲンも来ていたんだな」
その言葉に俺も軽く会釈をして返した。
「まあ、まあ、そんなところに立っていないで座ってちょうだい。ペーターお茶をお願い」
「失礼します。今日はどのように致しましょうか?」
アーツがヨハンナ様に尋ねる。
「そうねぇ。今日は教会からも手伝いが来るらしいから川向うをお願いしようかしら」
「川向うですね。ではそのように!」
「そんなに慌てないの。お茶を飲んだあと、ゆっくりとね」
「今日の炊き出しの規模は? 手伝いは何人ぐらいだ?」
俺はアーツに向かって尋ねたつもりが、
「そうねぇ。川向うだから大人と子供あわせて200人ぐらいかしら。ただ子供たちは川を越えて来ちゃうから少し多くなるわねぇ。お手伝いはこちらが3人。教会の方もおそらく3人ぐらいは出してくるんじゃないかしら」
ヨハンナ様が答えてくれた。
なるほど。
まぁ、準備してある機材にもよるだろうが最低5回はスープを作らないと間に合わないだろう。
おそらくは1日仕事になるな。
これでは他の冒険者に話をしても来てくれないはずだ。
まぁ俺はやるんだけどね!
体力的にもまったく問題ないし、人の世話を焼くのも好きなほうだからな。
「さて行こうか!」
そう言うとアーツは立ち上がった。
まず、この屋敷の倉庫から肉・野菜・塩などを荷馬車に積んでいく。
そうして、玄関先まで見送りに出てくれているヨハンナ様に「それでは行ってきます」と挨拶を済ませる。
俺たちは荷馬車と共にシュピール邸を出発していった。
今から向かう川向うとは北東エリアの壁の際である。
まさに掃き溜めのような場所といえるだろう。
家を探せばミイラ化した遺体がいくつも出てくるような……そんな所なのだ。
スラムの中でも特に劣悪な環境であるらしい。
俺たちは橋を渡り川沿いを進んでいく。
うぉっ……、臭い!
何だか目もシパシパする。
シロもくしゃみを連発していて辛そうだ。
(これは相当ヤバいな!)
口にあてたスカーフぐらいでは間に合わない。
たまらず、俺はしゃがんでシロを呼んだ。
シロの頭に手をおき、
「シロ、この前森でやった虫除けのシールド (結界) があっただろう」
シロは俺を見てコクコクと頷く。――可愛い。
「それをな、こんな風に出来ないか」
空気清浄機をもとにしたイメージをシロに送ってやった。
すると、俺とシロの身体が魔法の膜に覆われた。
おお成功だ!
やったぞ、これで勝つる。
嬉しくなってシロの頭をうりうり撫でまわした。
そして貧民街 (スラム) 手前にある、川に面した広場に馬車を乗り入れた。
――ひしっ!
突然だが、俺の腕は拘束された。
「おっ、お久しぶりです。シスター??」
「…………」
すでにジト目だ。
「他人行儀にシスターなどと……、マヤです! マヤとお呼びください!」
とのたまう。
「そっ、それでは……、シスターマヤとお呼びします」
シスターマヤの勢いにタジタジの俺。
その後も、
「マヤです!」とか、
「なんで、いつもアーツさんと一緒なのですか? おかしいです。贔屓です!」
などと、いろいろ言ってきたのだが悉くスルーさせてもらった。
遊びにきている訳ではないのだ。
――やれやれ。




