第62話 ルピアでの生活
クレリックは、何かを答える代わりに立ち上がると「少し待っていろ」と言って席を外す。部屋を出て戻って来た彼は、盆にお茶の入ったカップとお茶菓子を用意してくれていた。
「まだ続くだろ。少し飲みたくなったんでな。お前の分も持ってきた」
そう言って差し出された湯飲みは、客に出すようなものではなく、普段から家で使っているような入れ物だったので、ユイルは思わずほっとした表情を浮かべる。
「ありがとうございます」
眠っているユイカの分まで用意してくれて、彼はクレリックの優しさに胸が熱くなるのを感じた。
「……それからどうしたんだ」
茶を啜ったクレリックが話の続きを急かしたので、再び話始める。
「ルピアに行きました。僕の素行は悪かったですが、何とか卒業は出来たので、仕事をして生きて行けると思ったんです」
「その時ご両親は? 反対しなかったのか?」
クレリックの反応に、ユイルは苦笑する。
「反対も何も、相談もしませんでした。父は僕のやっていることに益々《ますます》苛立ちを募らせて、勘当するとまで言っていましたから。そんな父の態度に、僕もカッとなってしまって、『だったら家を出て行こう』と覚悟したんです。もちろん、黙って出て行きました」
「ユイルがいなくなってから、随分みんなで探したと言っていた。嬢ちゃんも心配して憔悴していた」
自分がいなくなってからのナミの様子を初めて知り、ユイルは青い瞳を見開いた。
「……そんなに?」
すると不審に思ったクレリックが、ため息まじりに尋ねる。
「まさかユイル、嬢ちゃんがお前に好意を寄せていること、今まで気が付かなかったのか?」
クレリックの思いがけない言葉に、ユイルは息を詰まらせそうになった。
――ナミが自分を好いてくれていた。
たったそれだけのことで、彼は今の自分も捨てたものではないと思えるのである。
ユイルにとってナミは幼馴染であり、大切な人なのである。自分が生きて行くであろう未来を想像するたびに、彼女が傍にいる映像が思い浮かぶ。それはただの幼馴染でもなければ、近所の友達として付き合っているわけでもない。家族として共に生き、老いていくという様子だった。
しかしこれほどはっきりと彼女との未来を想像していたのに、彼女に思いを告げなかったのには理由があった。
「気づかなかったかどうかを聞かれると、そうではないかなと思っていました。でも、自信がなかったんです」
「どうして?」
ユイルは頷く。
「幼いころはよかったのですが、成長するにつれてそう思えなくなりました。理由はいくつか考えられますが、一番は高校生の時、彼女とあまり関りを持とうとしなくなったせいです。
近づくと僕の喧嘩に巻き込んでしまうし、怪我をさせてしまう可能性がありました。だからそうならないように離れていたのですが、時々近くに寄ると、彼女が怯えるんです。まるで野犬と接しているみたいに」
「……」
「それから、ナミが僕のことを好いているかどうかも自信を無くして、全てを失った僕はルピアで好き勝手な生活をしました。
働き始めたのは良かったのですが、あまり上手く行かなくて。恋愛沙汰の面倒ごとに巻き込まれたり、真面目に仕事をしているのに悪者扱いされたり」
「大人は皆、優れている大人じゃない」
ユイルはこくりと頷いた。
「そう言ってくれる人が一人でもいれば良かったんですけど、その時の僕にはいなくて。苦しくなって辿り着いた先が、高校のときのような生活でした」
「……」
「喧嘩して、お金を巻き上げて、女の人と夜を明かす。本当に人として堕落した生活を送っていたんです。薬に手を出さなかっただけ良かったなとは思いますが、本当に酷い有様でした。そんなときです。僕は、リアナ・ファシミスに出会いました」




