第54話 過去の二人はもういない
ユイカは久しぶりに父親に会えたことで緊張の糸が切れたのか、抱きしめられているうちに眠ってしまっていた。それもとても幸せそうな顔をして。
彼をベッドに寝かせると、ナミとユイルはダイニングテーブルで向かい合うように座る。ナミは長い会話になると思ったので、あえてコーヒーを出して長期戦に臨むことにした。
「聞きたいことがあるの」
ナミは単刀直入に聞いていた。
「どうして、ユイカを私の元に?」
ユイルは、淹れたてのインスタントコーヒーを一口飲んでから答える。
「さっき警察官の人にも言ったけど、僕はユイカの母親と揉めているんだ」
「僕」という一人称。これはユイルが素で話すときに出るものだ。
「それで家を出て来たの?」
「そう」
ナミは額に手を当てて、少し考える。
ユイルが家を出た細かい理由は後で聞くとして、どうして《《幼馴染》》の所に来なければならなかったことを聞こうと思った。
「ごめん、ちょっと待って。その前にどうして私の所だったの? それに何で私の住んでいるところを知っていたの? 私は自分の家から出て、一人暮らしをしていたのよ?」
ユイルとは十九歳から六年間、何のやり取りもしていない。ナミ自身はユイルがいなくなった後も彼の家族と交流があったが、ユイルの母親は「息子とは音信不通なの」と言っていたので、ナミが一人暮らしを始めたことなど知らないはずである。
だが、彼はその理由を簡単に種明かしする。
「ああ、それはクレリックおじさんに協力してもらってたんだ。ナミの住んでいる所を教えて欲しいってお願いしたんだよ」
叔父が「スイピー」のお店に現れたとき、久しぶりにユイルの名前を聞いた。何か事件に巻き込まれていると言って、そこでは何も教えてくれなかった。その代わり彼は手紙を書くと言って、ナミに住所を聞いたのに手紙は未だに届いていない。それはつまり、叔父はナミの住所を聞くためにそう言っただけで、手紙を書くつもりはなかったということではないだろうか。
「叔父さんに会ったの?」
「ルピアでは、時々お世話になっていたよ。それで、家を抜け出した時に、クレリックおじさんの所を頼って、それからナミの所に向かった」
ナミは思わず眉を寄せた。
「ごめん。何度も聞くようで悪いけど、それで何で私の所なの? シュキラにはユイルの実家もあるじゃない。そこを頼ったってよかったのに」
するとユイルは苦笑を浮かべて、ナミを見つめた。
「僕はあの家が好きじゃない。ナミも僕と父さんが仲が悪いこと知っているだろう。だからあそこにユイカは頼めなかった。だから、一番信頼できるナミの所に来たんだよ。ダメだった?」
(その聞き方はずるい……)
「ダメ?」と聞かれたら「ダメじゃない」と言うしかないだろう。
ナミはため息をついた。
「ダメじゃないけど……」
「じゃあ、いいじゃない」
その軽い一言に、ナミは首を傾げる。
「いいって、何がいいの?」
「僕は前から、誰よりも先に君とユイカを会わせたかったんだ。あの子が生まれたときからずっとね。ナミだって会いたかったでしょう?」
ユイルは何を言っているのだろう。
ユイカが生まれたときから会わせたかったとはどういうことなのだろうか。
そもそも、ナミとの連絡を絶ったのはユイルが先だ。結婚相手がいて、その人と生まれたばかりの子供を「誰よりも先に見せたい相手」が幼馴染ということはどういうことなのだろう。
ナミは彼の言っている意味も、意図も掴めず眉間の皴を深めた。
「会いたかったけど、おじさんやおばさんが会っていないのに私が会って良かったのかなっても思ってる」
「そんなこと気にする必要ないよ」
「だけどね、それよりも何よりも大変だったの。本当に。私、子供なんて育てたことないから、どう接していいか分からなかったし、危ない目にも合わせてしまったし」
「危ない目って?」
聞かれて、ナミはユイルから顔を背けた。
「言いたくない」
「どうして?」
「……人の家の前に、息子を一人置いていくような人には分からないでしょうね」
すると、ユイルは悲しげな声で言った。
「ナミ、変わっちゃったね……」
その言葉に、ナミは急に腹が立った。
何が「変わった」というのだろうか。変わるのは当たり前だろう。
六年間も会っていなかったのだ。いつの間にか結婚して、子供を作って。その間、何の連絡も寄越さなかったのはどこの誰なのだ。それなのにこちらだけが変わったと、何故一方的に言うのだろうか。
ナミは怒りを抑えつつも、額を押さえて言った。
「そっちもね……」
もう、昔の二人はいないのだ。
そうナミとユイルは確信したのだった。




