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彼は彼女を選ばない  作者: 彩霞
第1章 彼の息子

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第31話 ヤヒリ先生とのお話-2

「はい、お待たせ」

 そう言うとヤヒリはナミの前にある背の低いテーブルに盆を置くと、載せてあったカップをナミの前に置いてくれた。どうやら陶器でできたティーカップで、色とりどりの花が上品に描かれている。そんな素敵なカップからは、薫り高いレモンティーの香りが立ち上る。

「……いい香り」

 ナミがぼそりと呟くと、ヤヒリはにっと笑って「良かった」と言った。そして彼は彼女の向かいに座ると、レモンティーを一口飲んでから話始めた。

「そういえば、ちゃんとした自己紹介がまだだったね。僕はここで小児科医をしているヤヒリ・カルファンと言います。宜しくね」

 ユイカを介抱していた時とは違って、ヤヒリはゆっくりとした口調で話をした。どうやら、状況に応じて話し方を変えているようである。

「ナミ・クララシカです。よろしくお願いします」

 そしてナミは頭を下げて、ヤヒリにお礼を言った。

「今日はお騒がせしてすみませんでした。でも、来てくださって、介抱して下さって助かりました。本当にありがとうございました」

「真の救助人はキリ君のお母さんで、僕は何もしていないから気にしないで」

「……本当に、彼女が私たちの傍を通り過ぎてくれなかったら、私は危うく彼を――……」

 そう言って、ナミは口を噤んだ。この先は、言えない。言う事はできない。すると、何かを察したヤヒリが少しだけ話題を変えた。

「あの子の名前は、ユイカ君っていうんだよね?」

「はい」

「ナミさんは、彼とどういう関係なの?お母さん、じゃないんだよね?」

 ヤヒリの質問に、ナミはカップを取ろうする手を止めた。

「……幼馴染の子です」

「そうなの」

「はい」

「どうして、君が幼馴染の子の面倒を見ているのかな?」

 ナミはすぐには答えずに、止めていた手を動かしてティーカップを掴むと、その中を覗く。輪切りにされたレモンが紅茶に浸かり、それを鮮やかな紅い色に変えていた。そしてナミは、良い香りのするレモンティーを少しだけ口に含む。出したばかりで熱かったが、とても美味しかった。

 ナミはレモンティーのお陰で心が落ち着いたようだった。彼女はゆっくりとヤヒリの質問に答える。

「昨日、私の家の前にユイカが座っていたんです。ただ……、それだけです」

「じゃあ、ユイカ君の親御さんからは、『面倒を見て欲しい』と頼まれたわけじゃないんだ」

「はい」

「じゃあ……そうだなあ。ユイカ君が家出をして、ナミさんの家に来たわけでもないのかな?」

 その質問に対し、ナミは首を横に振った。

「それはあり得ません」

「どうして?」

「ユイカが私の家を知るはずないからです。私が今も実家に住んでいたら、彼の父が教えることもできたかもしれませんが、私はそこから引っ越してしまっていて、今の住所を彼の父に教えていませんでしたから……」

「そう」

「……」

「ユイカ君のご両親に連絡とかは?」

「いいえ。そもそも、連絡先を知りません」

「それじゃあ、連絡も取れないね」

 ナミはこくりと頷いた。

 だが、知っていたとしてもナミは連絡を取るつもりはなかった。もしユイカが家の電話番号を知っていて、電話を掛けることができたとしても、そこにユイルがいる確証はないと思うからである。それは叔父であるクレリックがユイルを探していると言っていたからだ。その時点で、ユイルがルピアにある家を出てしまっているはずだ。そう考えると、今ユイルの家にいるのは彼の妻だけ。

(ユイルの妻に電話をしたところで、なんて言えばいいのよ……)

 電話をした後で、彼の妻から「ユイカを迎えに行きます」とか、「ユイルの居場所を知りませんか」など色々尋ねられたら面倒だと思った。それに、ナミにとってユイカはユイルと会うための切り札でもある。それ故に手放したくなかった。だが、そんな安易な気持ちが今回の事態を招いてしまったのだが。

「ちょっと聞きづらいことなんだけど、ユイカ君はご両親に見捨てられたのかな?」

 ヤヒリの質問に、ナミは目をカッと見開き強く否定した。

「そんなことは、そんなことはないはずです!」

 すると、ヤヒリは初めて優しい笑みを引っ込めて静かに尋ねた。

「どうしてそう思うの?」

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