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連作短編 Psy-Borg 第二部  作者: 細井康生
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飾り窓の出来事~5


「よりによって2人とも遅れるってどういうことなんだよ」


俺は行き場のない怒りを呟きながら、待合室の清掃をする。シフトでは今日、レイジとジュンイチが入る予定だった。かたや国宝級の無口。かたや止まらないおしゃべり。いずれにせよ、一番合わない2人だ。いつもより倍は疲れる。できればシフトで2人を一緒にしたくない。しかしそれとこれとは話は別だ。


かたや「1時間遅れます」としか書いてない。

かたや延々と昨日飲みに行っただ、彼女と別れただ、飯を食いすぎた酒を飲みすぎたと近況をつらね「今起きました、ダッシュでいきます」と書いてある。そんなことをメールに書く暇があったら間に合うようにどうにかしろ。


いや。実は俺自身はどこかで自覚はしているのだ。自分は二人に嫉妬しているのだと。

だから二人が揃うと仕事的に煩わしいということではなく、自分の欲している両極端な価値観が目の前に揃っている事に居心地が悪いだけなのだと。


ジュンイチのように軽快に人の間を縫っていきたい。レイジのように誰も寄せ付けない自分だけの世界を作り上げたい。特にレイジに対する思いは嫉妬にも近いものだと、自覚はしているがそれを認めたくないだけなのだ。


全くチグハグだ。


プレイルーム内は前日に細かな清掃と点検は終えてある。


本来なら出社してから予約状況やレジ金額の確認をしなければならないが、その前に奴らがやるべきだった待合室の掃除をしなければならない。


いつもより早めの作業。もちろん手当なんぞ出はしない。


床にモップをかけ、雑誌を整理し、テーブルを拭いて客を出迎える準備をする。

ショーケースの電源は開店直前に点ける。視線を落とし、少し憂い顔で、微かに笑みをたたえた飾り窓の処女たち。


彼女たちは何も言わずに今日もそこに静かに佇む。


人気者の「ルナ」は今日もセンターを陣取っている。


つい後ろに隠したい衝動にかられる俺はショーケースの鍵を外し、ガラス戸を開けた。


俺の目の前に「ルナ」が座っている。


視線が合うように俺は身を屈ませて、彼女を見上げた。


美しく妖艶なルナ。


プレイルームの彼女の姉妹とは違う飾り窓に並ぶ他の者たちとも違う。


俺はそこに神聖な雰囲気を感じている。


侵すべからざるもの。


しかしその唇は誰よりも執拗に愛を求める娼婦のように紅くふくよかだ。神聖なる処女娼婦である彼女に接吻をするなど神が許してはくれないだろう。


しかし、どうしようもない罪深き我が身の欲望と耽美なる背徳感が襲ってくる。


俺は気がつくと彼女の唇に、そっと自分の唇を重ね合わせていた。


唇の戯れ 見つめ合う瞳。


とざされた時間の中で許されない秘め事。


求められて、からみ合わせる舌の遊戯。

温もり…。


俺は我に帰りそこから飛び退くと、懸命になって自分の唇を拭いた。


忘れ得ぬ柔らかな感触、温もりをたたえたその唇。

蠢きもつれる舌先。


そんなはずはない。


あれはただの「人形」なんだ。生き物のように舌先を動かすはずはない。

なぜ俺はこんなことをしてしまったのだろうか?


(ルナが誘ってきた?)言い知れぬ恐怖が俺を襲ってきた。


「オツカレーっす」

裏口からジュンイチがいつものように挨拶をしながら入ってきた。俺はその声をどこか遠くから聞こえてくる耳鳴りのように感じながら、俺はただ呆然としてその場に立ちすくんでいた。


「どーしたんすか?店長。顔青いっすよ」

ジュンイチの方を振り返ると、俺は何も言えず、ただやつの顔を見つめていた。


「体調悪いようだったら、真壁さんに連絡しますか?」

真壁とはこの界隈にいくつもの店を持っているこの店のオーナーだ。


「いや、いい」

俺はそういうと、モップをジュンイチに手渡して、スタッフルームへと入り、読みかけの本を机に置き、各部屋の点検へと向かった。



(嫌な本が置いてやがるな)

レイジは机に置いてある本を見つけ拾い上げると、顔をしかめてペラペラとページをめくった。


― 人形に魂を入れるなんて怪談話みたいですね ―

「比喩ですよ比喩。なにもオカルト話をするつもりなんてないんですよ。昔から芸術作品がそうであったように、皆なにかを表現したくて、そこに感性と技術を注ぎ込んで作品が今に残ってるんですよ」

― ラブドールに芸術性を持たせているのだとそういう意味ですか ―

「うーん。どういったらいいかわからないところなんですが、実用性を持ったラブドールが芸術作品になるというわけではなくて、芸術作品に実用性が付属しているというか…」

― 難しいですね… ―

「わたしも言っていて良くわかりませんよ(笑)ただ、完全じゃない完璧な「人」を作りたい、と、まあそういうことかもしれませんね、彼女たちと接することで、買っていただいた方達が、性欲を満たすだけではなく、愛情も満たせるようにしたいですね」


誰が買ってきたのかわからない。大方ジュンイチあたりが親父のインタビュー記事目当てに興味本位で買ってきて、途中で諦めたのだろう。

愛情、愛情というが、自分の息子には、それすらもできない単なる夢想家の戯言だ。

レイジは「チッ」と舌打ちすると、机の上のその雑誌を無造作にゴミ箱に捨てた。


「お疲れ様です」


各部屋のチェックから帰ってくるとスタッフルーム部では、すでにレイジが着替えをしていた。

俺は弱々しく「おう」とだけ言うと机に座り、パソコンの電源を入れた。


あの時、ルナは愛おしそうに目を細め、俺を見つめていなかったか?

今にもその手を首に回し俺を抱きしめようとしなかったか?

俺からの接吻を待ち望んではいなかったか?


計算表を立ち上げ、ぼんやりと画面を眺める。出納帳の数字の羅列が視界をさまよい、いつか見たサイバーパンクSFのワンシーンのように、せわしく明滅しながら数字が流れていく錯覚を覚えた。


「なんか、幽霊にでもあった顔してますね」

レイジが鏡を見て身なりを整えながらボソリと言うと、俺は我に帰りマウスを動かした。


「人形でも動き出しましたか?」

俺は驚いて彼の方を振り向いて問いかけた。


「お前、何か知ってるのか?」

「なんのことです?」

レイジは怪訝そうにこちらを見つめるとそう応える。


「いや、なんでもない…」

レイジはフンっと鼻で笑うと、そのまま部屋を出ていった。


疲れているのだ。

一瞬の気の迷いでちょっとボーとしただけだ。

あれはただの錯覚だ。


ルナから誘ってきたなど、人形に魂が入り込むなんてありっこない。

それにラブドールにキスをしたからってなんだと言うんだ。ちょっとしたイタズラじゃないか。拝借して遊具にしたわけではない。


いくらそう言い聞かせでも、俺の心の中は聖処女を犯してしまったと言う背徳感が包み込み、俺はその日一日気持ちが晴れることはなかった。


10


行為後のむせるような生臭さは、いつまでたっても慣れることがない。

ましてやここには男の欲望しかよどんでいないのだ。


レイジはマスクをして、顔をしかめながら「娘たち」の洗浄を行う。飛び散ったローションを洗い流し、付着した精子を拭い取る。洗い終わったら容赦なく消毒液を吹きかけ、送風機で乾かすと、スキンパウダーを丁寧に隙間なくつけていく。


服を着させて、中央の椅子に座らせるとポーズを取らせた。


「まったく月島氏はとんでもないものを残してくれたよ」


彼はそう呟いてニヤリと笑い、そこに佇む「彼女」の首に手を回すと、顔をそのうなじに埋めるようにして抱き寄せた。首の裏に付いているマイクロチップの取り出し口。誰にもそれはわかりようがない。


「擬似感覚神経…ね。彼ももうちょっと親父らしい商売気質があれば、今頃研究者として大成していただろうにな」


丁寧に首筋からマイクロチップを取り出す。かつての共同経営者月島孝二は義肢に特殊なファイバーを通し、微弱な電気信号に変えてそれを脳に伝達し、義肢をモノから肉体に変えようと研究を重ねていた。しかし、結局志半ばで晋一郎氏と袂を分かつこととなり、レイジの母方である砂倉財閥からの援助を得られなくなったため、研究を断念せざるを得なかった。


「何しろ爺様は金があり余ってたからな」


そう言って用意した新しいマイクロチップを挿入する。


その特殊ファイバーは、人間の筋繊維に近い伸縮性を生み出すことができるという副産物を生み出し、すでに大量発注されていたそれを人形に埋め込むことで、より人に近い肌感覚を生み出すことができた。


「それに目つけて、ラブドールを作ろうなんて、親父も大したもんさ」


元は擬似感覚神経として研究開発され大量発注された特殊ファイバーは今はただの材料として工場に転がっている。


(俺がうまく使ってやるよ)


レイジは体を離し、ニヤリと人形を見下ろした。



ドアの隙間から見たその光景は、まるで神話の一場面を切り取っているかのようだった

「ルナの姉妹」を抱きしめ、耳元で囁くレイジの仕草はどこか魔術的な儀式のように思えた。

俺は慌ててその場を立ち去り、スタッフルームに駆け込んだ。


(何をやっていた?あいつは何をやっていた?)


体を洗っていたわけでもない。作業をしているようにも見えなかった。ただ愛おしそうに人形の首に手を回して抱きしめ、なにかを耳元で囁いていた。


俺は幼少の頃に見た故郷のある風景を思い出していた。


周りを山に囲まれた古い共同体が残る東京近郊の町。田畑や裏山に新築の家が建ち、因習が廃れ始め、ベッドタウンになろうとしていた発展途上の街。夜は街灯で照らし出され始め、闇が削られていく。


それでも旧家であった俺の家では、6年に一度、大きなつづらに入った地蔵菩薩を各戸に回す風習があった。扉には人形がいくつも吊るされ、異様な雰囲気を醸し出していた。


夜中の1時を過ぎて、裏口からその地蔵が入ったつづらを背負い、


「たまかえしましょか たまかえしましょか」


と声をかけ、受け取る家は床の間にそれを飾り、供物を捧げるまで絶対に声を上げてはならない。その後家人一人一人が、地蔵の首に手を回し「よりませ よりませ」と語りかけるのが決まりだった。

薄気味悪くて、とても嫌な気分になったことを思い出す。


「古い因習だな。おそらく地蔵講の一つだろう。昔は新生児の出生率は低かったからな」

「地蔵講?なんで村でそんなことを」

「昔は村全体の共同体意識が強かった。子供はその共同体にとっては貴重な労働力だ。だからこそ村全体で子供育て、亡くなった子供も村全体で菩提を弔ったんだろう」

「あの薄気味悪い決まりごともそういうことなのかな」

「おそらく「たまかえしましょか」ってのはその家の子供の霊を他で供養していたから、その魂を返しますよって事で「よりませ」ってのは水子の霊があの世で迷わないように、お地蔵さんを依り代として、賽の河原を渡り、極楽浄土に行けるようにするために霊を呼び込む儀式なんだろうな」


そんなリョウスケとの他愛のない話を思い出す。


今ではもう講は解散して、各戸を巡っていた地蔵菩薩は、町外れにあるお寺に安置されているらしい。その時リョウスケから、そのほかにも人形にまつわる怪談をいくつか聞いた。


髪の伸びる日本人形。

襲いかかる西洋人形。

人形がテーマのホラームービー。

有名な生き人形の話。


合理主義的なリョウスケらしく、一つ一つ論破しながらも、エピソード自体は、この仕事に就いた俺を煽るようにけれんみたっぷりに話しをしてくれた。おそらくはこれから人形相手に特殊な仕事をするにあたって、戯れに話をしただけだろう。


「まあ、結局心霊現象なんて、俯瞰から見ればほとんどは勘違いと後付けで構成されてるのさ、ましてやお前はこれからその人形たちを使う立場だからな、怪奇現象とかそんな事気にすることないんだよ」


最後にそう言ってくれたが、どこか俺の気持ちの中に、そういった人形たちのエピソードが残っていた。


(レイジはなにをやっていたんだ?)


俺は飾り窓に佇む「ルナ」を思い浮かべていた。


(もしかしたら、あいつは人形に魂を吹き込む儀式をやっていたんじゃないのか?)


故郷の地蔵講の話と共に、リョウスケの話で興味深かったのは、ユダヤ秘教に由来する「ゴーレム」の話だった。泥人形に秘術を使うことによって、従順な召使を作る話で、俺はよく知らなかったがその界隈ではデフォルトでよく使われる話らしい。


「まあ、泥人形に魂を入れて従順な召使を作るっていうんなら、神が最初に作った人間、アダムも、神が土に息を吹きかけ創造したという点では、最初のゴーレムとも言えるかもな」

「俺たちもゴーレムの子孫ってわけか」

「そういう事だ」


儀式によって人は生まれる。魂は儀式によって吹き込まれる。そんな想いが、なぜか俺の心にこびりついて離れなかった。


レイジのあの人形にささやきかける様子を覗き見ていた俺は、すでにそうとしか考えられなくなっていた。やつのプライベートは謎に満ちている。


人工知能の研究をしているというが、本当なのか?


古い奇習や黒魔術を習得して、生命のないものに魂を吹き込む術を身につけたんじゃないのか?

今日のルナからの誘惑も、その影響じゃないのか?

そんな思いが俺を覆い尽くしたまらない恐怖に包まれた。


つづく


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