飾り窓の出来事~3
5
1ケ月に数回ある貴重な休みの日、俺は友人のリョウスケと安めの大衆居酒屋で、随分と遅くなった「店長就任祝い」なる名目で飲んでいた。
「なんだお前、自分のところで扱っている商品の事、何も知らないのか?」
「商品なんて言ったらカミナリ落ちるよ」
リョウスケとは大学の時に同じ学部で、たまたま同じゼミだった頃からの仲間だ。
「マリアフレーダー社が今のラブドール製造に乗り出したのは、20年程前だ。当時からハイスペックなラブドール一筋なのは、今言っていた前身会社の義体造形技術が秀でていたからだろうな」
奴は俺と違って出来がいい。大手企業に就職し、今ではマーケット開発事業部のマネージャーとかいうことをやっているらしい。
「会社名は古典映画フリッツラング監督の「メトロポリス」の二人の主人公、マリアとフレーダーから取ったようだな。副島氏らしい」
「それ、どんな映画だ?」
俺は映画のことはまるっきり詳しくない。せいぜい話題の映画を乗り遅れない程度に見ているだけなので、ほとんど内容など覚えていない。
「1920年代にドイツで作られたSF映画だ。ざっくり言えば未来都市での富裕層と労働者の闘争を描いた映画かな。富裕層の御曹司フレーダーと労働者階級のマリアとの切ないラブストーリーに、マッドサイエンティスト・ロートヴァングが作ったアンドロイドが介在する…という感じだな」
何のことだかさっぱりわからない。
「その偽マリアであるアンドロイドの造形が、なんというか、こう、美しいんだよ。普遍性というかさ…」
「と、ところでさ、なんでおっさんの会社はラブドール製造に鞍替えしたんだ?」
俺はあわてて話を制止した。リョウスケがこういった話に興じると常人が踏み入れない程にマニアックになる。平気で2~3時間は周囲を置いてきぼりにしても気にしなくなる。突然話の腰を折られた彼は、ちょっと不満げな表情を見せたが、話を元に戻した。
「ああ、もともとは副島と、技術部門を担っていた月島幸次という2人で立ち上げた会社だったんだが、造形を極めたい副島と、機能を重視したい月島が対立して、研究者である月島が出て行ってから、造形重視の方向性になって、今のラブドール製造につながったんじゃないか?」
俺は先日ジュンイチから聞いた話を思い出していた。
「その月島って人は今何をやっているんだ?」
ゴシップ的な見方をするならば、レイジの実の父親はその月島という事になる。
「さあ、よくは解らんが、あれだけのことをやっていたんだ。どこか大手の会社の開発部門とかに拾われたんじゃないのか?」
「あれだけのこと?」
「義肢っていうのはどんなに本物そっくりにできたって、痛みもなにも感じないだろう。月島は義肢、義体を通して、触られたという感覚をその人に感じとってもらえるような機能を取り付けたいと思ったんだな」
「そ、それってできたのか?」
「そんなの出来たらノーベル賞もんだろ」
リョウスケは頬張った焼き鳥を、ハイボールで流し込みながらそう答えた。
「まあ、製品化できなかったってのが正解だろうな」
俺は空になったグラスをかざしてお代わりを求めると、彼の話の続きを待った。
「人間は外部からの刺激を、皮膚にある受容細胞が電気的シグナルに変えて神経から脳に伝わって、それを脳が処理して痛い、あったかい、冷たいだのって感じるわけだ…。シナプスだ、ニューロンだって言ったってお前、わからんだろう」
その通りなので軽くうなずいた。
「義肢の中に特殊なファイバーを張り巡らせて疑似神経を作り、そこから出る電気的シグナルを本来の神経につないで、皮膚感覚を感じさせようってわけだ」
「すげえじゃねえか」
3杯目のハイボールを店員から受け取ながら、感嘆の声をあげた。
「でも、外科医でもないのに直接神経を繋げるわけにはいかねえからな。義手からコードをヘッドギアにつないで、外から脳に微弱な電流を流して感覚を伝える事しかできなかったわけだ」
ジュンイチが言っていた「頭に電気びりびりって通して」というのはこのことを言っていたのだろう。
「それが何か問題なのか」
リョウスケは煙草に火をつけ、紫煙を吐くと話を続けた。
「ヘッドギアつけて、コードだらけの状態で日常生活はおくれんだろう」
確かにそう考えると実用性は低いかも知れない。
「それでも、ある程度の成果は残したと聞いているけどな」
俺も煙草を取り出して火をつけた。
「しかし、よくそんなもの作れる資金があったよな」
「副島の一人目の奥さんは戦前から続く砂倉財閥の御令嬢だぜ。社会貢献事業を推進している娘婿の会社の研究資金ぐらいなんてことないだろう」
ジュンイチの話では、月島がその奥さんを寝取ったことで、不倫がばれて袂を分けたことになる。
「なんで別れたんだろうね」
平静を装うように、しらばっくれて話をそちらにむけた。
「副島氏は自分の容姿にコンプレックスを持っていた。だから余計に造形にこだわったんだろうな。より本物に近い美しいものを作りたいと思った。それと商才もあったから、早く商品化をしたかったんだろう。あくまでも研究開発で完璧を目指し、商品化に賛同しなかった月島とそりが合わなくなるのも当然だろう」
どうやら副島と月島が別れた理由と受け取ったらしい。
「お、奥さんとは」
話しの流れ的におかしいと思ったが、むしろそっちの理由のほうが知りたかった。リョウスケは訝しげな顔をしながらもそちらの方に話を向けた。
「まあ、障碍者のために義体を作っていた娘婿の会社がいきなりアダルトグッズ製造に変わったんだ。社会的な対面から考えれば、親が別れさせたってのが実際のところじゃねえのか?」
ジュンイチから聞いた話の裏付けを期待していたのだが、リョウスケからそう言われると、なんだかそう思えてくる。
「ところでお前、取り扱っているラブドールの値段って知っているか?」
いきなり話を振られて戸惑いながら、「三十万から五十万じゃねえの」と適当に答えた。
「百五十万だ」
予想していなかった値段にむせ返りながら、驚いて彼を見た。リョウスケは逆に驚いたような、呆れたような顔をながら話を続ける。
「人間の体は複雑だ。たとえばこう、手を伸ばした時と、曲げた時では筋繊維の伸び縮みで硬さが違うだろう。皮膚感覚伝達用に使った疑似神経の特殊ファイバーが、図らずもそれを表現することを可能にしたんだ。月島が去った後、副島は解剖学を勉強し、その特殊ファイバーの伸縮性などを利用して、より本物に近い肌触り、というか触感を作り出したってわけさ」
ラブドールと言ったってビニール製の一万円程度のものから、シリコン製やエラストマー製の七十万以上するものもある。
「高級ラブドールって言ったって、お前が言っていた三十万から五十万てのが相場だ。シェアでいえばまだほかのメーカーから見ればそれほど広まっているとは言えないが、年間の売上額を見ると常に上位にいる。単価が高いってのもあるが、それにしても安定した顧客層は獲得していると言えるだろうな」
リョウスケは残ったハイボールを一気に飲み干すと、「副島社長から細かい客層の記録を取るように言われてないか?」と聞いてきた。たしか以前、偶然社長が直接レイジに言っていた現場に居合わせたことがあった。その時も「俺、人に興味ねえから」と言って父親を呆れさせていた。
今は俺が用意されたチェックシートに記入して渡している。
「認知度が上がれば、需要が高まり、量産化が可能になって単価が下がる。そうすれば、より販売層が広がる。そのための顧客データを集めるとなりゃ、お前の店みたいのが必要になるってわけだ。年齢、職種、性癖、外見から想像できる社会的地位とかな。そうしたデータから顧客ターゲットを絞ってプレスで紹介したり、情報提供してシェアを増やそうってのは基本だ」
俺はぽかんと奴をみながら感心していた。
「お前ってすげえな」
「マーケット開発部」とリョウスケは自分を指さしながらおどけて見せた。
「お前、このまま続けていたらマリアフレーダー社のマーケット開発部門に引き抜かれるかもな」
奴は笑いながらそう言ったが、俺は社長椅子に座って、じっとこちらを見つめるレイジを想像して、それだけは絶対に御免だと思った。
6
レイジが人と距離を置き、自身の殻に閉じこもり始めたのは小学生の頃だ。
そのうちに仲間から外され、学校でいじめを受けるようになった。
地獄のような毎日。そのやりきれない気持ちを吐露できるのは自身で作り上げた対話式AIであるKANONにだけだった。
ある日、そんな苦しい胸の内を打ち明けた時、彼女はこう答えた。
ーそれはあなたにも問題があるのでは―
レイジは愕然とし、谷底に突き落とされた気分になった。
その時、彼は今回のいじめの一因が自分の心無い対応だったことは気づいていた。彼が話した情報から、KANONがそう判断するのも仕方ないことだともわかっていた。
しかし彼はその時、ただ心のこもった同意が欲しかっただけなのだ。
― つらかったね、よく我慢したね、よくやったね、大丈夫だよ、私がついている―
そう言ってほしかっただけなのだ。
情報と知識の集積、解析だけでは得られない複雑な人の機微を感じ取り、正解ではない回答を導き出すことも必要だ。正解と不正解だけでは人の心は癒されない。
曖昧がゆっくりと傷を癒すこともある。これから、もっと自分みたいな「できそこない」が社会に溢れる。彼が生まれる前から、社会の中の人同士の関わりに翳りが見えていた。
自分の性欲のためだけに幼い弱者を漁り屠る者。
自分が託宣を受けたと思い込み、自分の正当性を押し付けようと人々を巻き込んだ薬物テロ。
自己顕示欲に取り込まれ犯した罪を衆目に晒した少年。
自ら産んだ子供を、壊れていく親を厄介な「物」として扱う人々。
閉じ込められた自我や行き場のない感情が爆発し始めていた。
そうした事件がネットのニュースで繰り返し報道され「痛ましい事件」という名の下、当たり前の風景になっていた。
人が人に寄り添い、支え合う社会は消えてなくなっていく。
これからものすごいスピードで発達して行くだろう人工知能と人が共に生きていく為には何が必要なのか…。
そして彼が思いついたのは、AIに感情を付随させることだった。
人がどんな時に痛みを感じ、哀しみ、怒り、喜び、そして、どこに生きることに充実を感じるのか、人の機微を感じ取って学習するシステム。
それが今後、人とAIが、幸せに共存するための最良のシステムだと思いついたのだ。
人と人との距離は広がり、これから孤独が当たり前になるだろう。
過去の歪みから生まれた今の人間関係に興味はない。これから人を支えるのは人ではなく、感情を持ったAIになる。
それを産み出すのは自分であると、レイジは彼なりに使命を持って今を生きていた。
つづく