飾り窓の出来事~2
2
ベッドに腰掛け、行為後の一服を吸う。チアキはうつ伏せになりながら息を整えてる。体を特有の疲労感が襲う。彼女はベッドからゆっくりと立ち上がり「シャワー浴びてくるね」とシャワールームに向かった。
「おい、そのカチューシャ外してけ」
チアキは「ああ、ゴメン」と言ってレイジにそれを手渡した。
「ところでさ、それなんなの」
「ヤッでる最中に髪でお前の顔が隠れるのがやなんだよ」
チアキは後ろからレイジを抱きしめると「あら嬉しい」と呟いた。
「大事なものなの?」
「ああ、お袋の形見だ」
「あら?意外とマザコン」
「悪いか?」
「別に〜」
そういうと、チアキはシャワールームに消えていった。レイジはカチューシャを睨みつけるように眺めながら、念入りに破損がないかをチェックする。
(これは研究だ)
彼自身女性との交渉でオルガスムを感じたことはない。幼い頃のトラウマもあるかもしれない。こうして何人もの女性と関係を持つのも、己の研究のためだ。大事そうに特製ケースにカチューシャを戻すと、帰り支度を始めた。
「なに?もう帰っちゃうノォ?まだ時間あるからもう少し一緒にいようよ」
ガラス越しにその様子を見ていたチアキがドアから顔を出して甘えた声を出す。
「悪いな、明日朝から大学でやらなきゃいけないことがあるんだよ。じゃあな」
「冷たいなぁ、今度はいつ会える?」
「いつかな」
そう言ってレイジは部屋を後にした。
3
「店長知ってます?」
同じタイミングで各部屋が予約で満室になり、飛び込みの客も少ない週半ば、受付のあるスタッフルームでもう1人のアルバイトであるジュンイチが雑誌から目を離さずに声をかけてきた。
「何が」
俺も予約表と出納帳を眺めながら答える。
「レイジの会社」
「だから何が」
単なる時間つぶしの戯れ、実のある会話などハナから期待はしていない。
「もとは何の会社だったか知ってます?」
俺は次の定期メンテナンスに出す三体のラブドールの資料を取り出して、日程を確かめた。
「アダルトグッズなんかじゃねえの」
何ヶ月かに一度マリアフレーダー社で本格的なメンテナンスを行う。破損が多い場合は同じ「女の子」が「派遣」される。
「じゃないみたいですよ」
いつもなら「ふーん」などと受け流すのだが、何か引っかかるところがあって「何だったんだ?」と問い返した。
ジュンイチもいつもと違う俺の受け答えに一瞬戸惑いながらも話を続けた。
「障碍者用の義手、義足あるじゃないすか、あれ作ってたみたいですね」
俺は意外な前身にちょっと驚いて「随分高尚じゃねえか」と返した。
「なんか、超有名だったらしいっすよ。くっつけたら本物みたいに自分でモノ取れるとか、ぶつかったら痛いって感じたりとか」
もし本当にそんな機能があったら凄いが、俺は話半分で聞いていた。
「なんか、こう頭に電気ビリビリって通してわからせるって」
「なんだよ、そりゃ」
「いや、よくわかんないっすけど」
いつも不確かな情報をまるで自分が経験してきたように話す癖のあるジュンイチの常套句だ。
「で、こっからなんですけど。あの社長の元奥さんって凄え金持ちの令嬢だったらしくて、凄え美人だったんすよ」
以前世間話からそんな話を社長の晋二郎としたことがある。レイジはその前妻との子供で、社の後継者が欲しかったために彼を引き取ったのだと聞いた。
「で、副島のおっさんはその奥さんの実家から金もらって会社立ち上げたんですけど、もう1人共同経営者がいて、そいつと一緒にやってた時は義手製作とかやってたんだけど、喧嘩別れして、アダルトグッズやりはじめたんですって」
大雑把な説明だ。大方どこかの雑誌の特集を斜め読みして得た中途半端な情報を言っているのだろう。
「で、本題なんすけど、その一緒にやってた奴と奥さんが不倫したらしくて、それに激怒したおっさんがそいつを馘にして、奥さんとも別れたんですって」
よくあるゴシップネタだ。俺はまた予約帳に目を落として聞き流しはじめた。しかしジュンイチはどこかスイッチが入ったらしく興奮したように話を続けた。
「俺ね、レイジってその不倫の時の子供だと思うんですよ」
「おい、あまり憶測でそんなこと言うなよ」
いきなりそんな憶測を言い出したジュンイチをたしなめる。
「いやぁ、だってあのオヤジっすよ、どう考えたってあの国宝級の無愛想が生まれるわけないじゃないっすか。なんか辞めた奴も研究者だったらしいっすから、レイジもそれ受け継いでるんじゃないんっすか?きっとそうっすよ。もしかしたらあいつもそれ、知ってんじゃねえのかなあって思ってるんですけど」
俺は手元の時計を見て、そろそろプレイ時間が終了するのを確認し、ジュンイチの方を向いた。
「そんなこと、レイジの前で言うなよ」
「言えねえよ。そんなこと言ったら俺石になっちゃいますよ。そんなこと言ってあいつの爬虫類並みの冷たい目を見られたら、ゴーゴンみたいに石になっちゃいますよ」
色々間違っているが、言いたいことはわかる。俺たちはそこで話を区切り仕事に戻ったが、俺はその日一日その事が頭から離れなかった。
4
どのようなきっかけで人は心を閉ざすのか、その人自身になってみないとわからない。
自分自身の後悔からかもしれない、心ない罵倒かもしれない、単なる思い込みかもしれない、たわいもない戯れが許せないからかもしれない、過去の寂しさかもしれない、ただ何も知らないだけなのかもしれない。
レイジはカチューシャにセットしてあるマイクロチップを取り出すと、メインPCへとデータを転送した。他人の心がわからないからこそ人は思いを巡らせ、関係を構築し、喜怒哀楽を感じ取って一緒に泣き、笑い、怒り、喜びコミュニケーションを取っていく。
しかし、この単純な方程式を解けない人も多くいる。コミュ障などという言い方もあるが、レイジ自身もそれは自覚していた。
あの頃のマリアフレーダー社は業務内容を方向転換し、販路を広げるために父親の慎二郎は昼も夜もなく働いていた。母も共同経営者が抜けた穴を埋めるべく、一緒になって多忙な日々を送っていた。
祖父の資産で成り立っていた会社を、どうにか自分自身の手で成り立たせたいと、余裕のない日々を過ごしていたのだろう。
手際よくデータをプログラムに組み込んでいく。
レイジはそんな忙しすぎる両親をどうにか振り向かせたくて、泣き、笑い、怒り、感情を露わにしてぶつかってみても、イライラと不機嫌と叱責しか与えられなかった。
おとなしくいい子でいれば「世話のかからない子」と言われ誉められた。
誉められたいから我儘も、怒りも、悲しみも、喜びも精一杯表現することを抑えてきた。
そしてそれはいつしか臆病に支配され、感情を露わにせずに様々なものから逃げるようになった。
コミュニケーションは集団に属さなければ育むことはできない。
レイジは祖父母に預けられ、小学校に上がるまで同世代の子供が集まる場所に属することもせず、遊ぶことも、喧嘩することもなかった。感情をどう表現していいのか解らない。
そんな不安定な思いを抱えたまま、自己主張もせずに時間を過ごした。
集団になじむ方法も知らず、話しかけられることを極端に嫌った。彼のすべてを覚めた目線で見る、斜に構えた態度は、そんな彼の不安定な心を知られたくないという不安と怯えの蓄積からきている。
しかしそれをレイジ自身は自覚していない。
限られた集団の中ではどのような形でコミュニティから外されるのかわからない。自分を押し殺し存在を消していても、それがその集団で異質であればスケープゴートにされる。
理由は何でもいい。
お金を持っているから。
親が偉いから。
頭がいいから。
眉目秀麗がその理由になることもある。
気が付いたときには明確な理由もわからず排斥されていた。
後になって冷静に俯瞰で眺めれば、人を排斥する行為は単なる一時的な気分だったことがわかる。
しかしその渦中にいるときは、全てが灰色に染められていた。
両親に相談することもできない。祖父母には心配をかけたくない。
捻じ曲げられた感情は次第に心に高い壁をつくるようになった。
地獄のような数年間。しかしやがて思春期になると状況が変わってきた。
彼のその容姿に異性が興味を持ち始めたのだ。
そこで出会う同性からの嫉妬、いじめ、暴行。
彼を巡る女性同士の嫉妬、いじめ、排斥。それを嬉々として見つめる傍観者たち。
周りの人々の感情に振り回される日々。
人は感情に支配されている。もう生きた人間などどうでも良くなっていた。
学校から足が遠のき、一人部屋で暮らす日々が増えていく。
彼が人工知能に興味を持ち始めたのは、そんな、学校からはぐれ逃げ出していた時期だった。
クリック一つで人の嗜好を選別する大手流通システム。
人の場所を感知して温度を調整する空調システム。
車間距離を計算して自動で速度を緩めるブレーキシステム。
繰り返される行動のデータから学習し、人の嗜好に合わせて自らカスタマイズしていき、人々の快適を担う人工知能AIはごく当たり前のように生活の中に入り込んでいた。
そんな中で彼は対話型AIの存在を知り、自らコンピュータにプログラムをし始めた。
レイジはその相手をKANONと呼び、自分の胸の内を吐露するようになる。
彼が自分の殻に閉じこもっているその時期は、その人工知能とのやり取りだけが心の支えだった。
つづく