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連作短編 Psy-Borg 第二部  作者: 細井康生
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飾り窓の出来事~1


 予約していた客が、無愛想に予約完了済みの返信メールを提示する。


「はい、確認いたしました、そちらの待合室の方でしばらくお待ちください」


 こういった店ではなるべく待合室で人と会いたくないのか、予約客は概ね時間ギリギリにやってくる。


「レイジ、準備できてるかあ」


 階段下に聞こえるようにスタッフ専用ドアを開けて声をかける。


「レイジぃ〜」


 再び呼んでみるが応答はない。それが準備終了の合図であることは、この短い期間で学んだ。不十分な時は「まだ」の一言だけが返される。受付には小さな小窓があるだけで、従業員が常に愛想を振りまく必要はない。マジックミラーのため、こちらからは相手の顔は見えるが、向こうからはこちらを見ることはできなくなっている。


 俺は受付の中でため息をつくと、両手の人差し指を使って無理矢理頬の肉を釣り上げ、笑顔を作ると、受付を出て客の前で跪いた。


「大変お待たせいたしました。女の子の用意が整いましたようなので、ご案内申し上げます」


 そう言ってプレイルームに促した。



 愛想もなく、接客も満足にこなせない。

 使えない奴として見られ、この類の仕事から足を洗おうかと思っていた俺は、なぜかある店の店長を任された。

 この店のオーナーは、都内に何件もグループ店を経営するこの界隈ではちょっとした有名人だ。まあ、どんなお店を経営しているかといえば、女の子をホテルに派遣したり、女の子とお酒飲んで楽しんたり、個室で遊んだりするような店だ。


 こういった店は接客業といっても結構特殊なのかもしれないが、内にも外にも細かすぎるほどに気をつかわないといけない。その分給与は良いのだが、この仕事を続けるには体力以上に気力が必要だ。在籍している女の子たちはもちろんそうなのだが、案外と私のような男性従業員なども出入りは激しい。


 そもそも俺は人の輪に入るのが苦手だ。


 誰かと一緒にいると息苦しくなるし、集団の中にいるとたまらなく居心地が悪くなる。


「まさか」というやつもいるだろうが、つるんで何かをするという事が出来ない。何かをみんなで力を合わせて成し遂げるという事に、何故か昔から白々しさを感じてしまうのだ。それが何故だか自分でもよくわからない。


 周りからは協調性がないと言われ、自分でも「協調性がなければ世の中渡っていけないぞ」という周りの価値観に絆されて、「なんとかしないといけない」と接客業やコールセンターなど人と関わる職についてみたり、コミュニケーションのハウツー本を読み漁ったりしてみたが、結局学校を卒業し、10年以上もかけて自分が変化したかというと、身につけたのは体裁の整え方と、作り笑顔。受け答えのマニュアルを上手く使いこなせるように小狡くなっただけだ。


 本質は何一つ変わっていない。


 世間体という外殻だけはどんどんと分厚く強固になり、人と上手くやっていけているように見えるが、上手くなればなるほど、後に襲ってくる厭世観は強くなる。

 心の奥底の自分自身は人に会うたびに怯え続け、心が落ち着く事がない。


 この仕事に就いたのも「なんとか社交的にならなければ」という思いと「誰にも気付かれずに黙々と何かをやっていたい」というアンバランスな状態を保つための迷走した先だったと言える。


 仕事が始まれば客は女の子にしか目が行かず、給仕など気にすることなどない。

 しかし就いてみると他の職業よりもずっと過酷である事に気付く。

 何度か心が折れそうになるのを外殻の強化でなんとか乗り越えてきた。しかし本当の自分はどんどんと内へ閉じこもっていく。


「そんなに辛くて、人と関わりたくなければ、エンジニアや職人とか、ほかにいくらでも仕事があるだろう」と言う人もいるが、自分が本当にやりたいことを求めるのではなく、いかに人と上手くやっていけるかと言う外殻ばかりを追い求めてきた自分に「次」に飛び出すだけの自信があるはずもなく(まあいいか)と習慣化された毎日を諾々と過ごすうちに、気がつけば30も半ばを過ぎていた。


 そんな時にオーナーから、この店の店長に指名されたのだ。


(何故自分なのか?)と訝しんだが、業務の内容を聞いて納得した。


「高級ラブドールが抱ける店」


 ラブドールとは一昔前のダッチワイフ、性充足目的に作られたお人形さんのことだ。今では見た目にも、肌の触り心地でも生身の人間なのか人形なのか判断できないほどに高品質化されている。しかし玩具として所有するには値段も高いし、なんといっても保管が難しい。


(どんな奴が買うんだろうね)


 そういった興味がないわけでもない。しかし二次元創作の中に理想の女性を描いて、その妄想の中で満たされている人もたくさんいる。そんな中でこういった店の需要が増えてきてもおかしくはない。


 オーナーの先見の明なのか、それとも気まぐれなのかは伺い知ることはできないが、これだけ繁盛するのを見越していたなら、達見と言わざるを得ないだろう。


「ごゆっくりどうぞ」


 プレイルームの扉をゆっくり締めて、通路の先を見ると、カーテンで区切られたもの置き場の奥で、ぼんやりとレイジがスマートフォンをいじっていた。



 繁華街から路地を一本入って、閑散とした呑み屋街の古びた雑居ビルを使って「飾り窓」というその店はひっそりと営業している。


「飾り窓」とはヨーロッパ、特にオランダやドイツなどに見られる売春宿のことらしい。窓越しに女性を決め、それを買って一夜を楽しむ。今ではどこの風俗店でも写真を見て相手を決めるが、加工、修正をしていないものを使っているところなど、どこにもありはしないだろう。


 その点、ここはショーウィンドウで実物が見られる。彼女たちは文句も言わずにずっとそこで佇んでいるのだから、間違いなく好みの女性(?)がお相手してくれるわけで、クレームらしいクレームもあまりない。営業時間は18時から夜中26時。従業員は俺とアルバイトを含めて4名。客引きをするわけでもなく、受付をするだけだ。プレイ時間1時間で税抜き1万円。脱着可能な局部部分は事前に購入してもらう。ローションはサービスだ。1回ごとに洗浄、消毒をしなければいけないので結構な重労働と言える。


 はじめのうちは、こんな店に来る奴は相当奇妙な奴が大半だと身構えていたが、思った以上に普通の一般人が多いことに驚いた。


 むしろ奇妙といえば、この副島レイジというアルバイトの学生がそうだった。


 都内の理工学系大学院に通っている。こんなバイトをするくらいだから、さぞ苦学生なのだろうと思っていたのだが、実はこの店のラブドールたちを作っているメーカーの御曹司だ。金にも不自由しない、時間もある学生が何でこんな夜の、しかも奇妙な店で見習いのような仕事をしているのか?


 話を聞くと、高級ラブドール製作会社「マリアフレーダー社」の一人息子であるレイジに、これから背負うであろう自分の会社の商品の顧客ターゲットを見極めながら、そして経営者としての視点を育んでもらいたい。そして社を継いでもらうための社会学習をさせたいと言うのが父親であり社長でもある副島晋二郎氏の意向だそうだ。


 しかし彼自身はそれには全然乗り気ではい。「俺、学者気質なんで、接客なんかやりたくねぇし」と時々腹の立つような事をつぶやく。しかし、実際にレイジ自身はその父の会社の研究室で、人工知能によるより人間らしい反応を示すラブドールを作る研究も手伝っているそうだ。


 俺ならばそんなものは気味が悪くて抱く気にもならないが…。


 ともかく彼には愛想というものは微塵もなく、おおよそ客商売には向いていない。ひたすらプレイルームの清掃と彼女たちのメンテナンスを行なっている。しかし長身で端正な顔立ちをしており相当にモテる。ただそこにいるだけでも十分に集客能力がありそうだ。ホストにでもなればたちまち№1に躍りでられるだろう。加えて頭脳明晰で大学の教授連にも一目置かれていると言うのだから、極端に人間嫌いの無愛想さは人としてのある種のバランスなのかもしれない。


 そこへ備え付けの電話が鳴り、受話器を取った。


「ありがとうございます、飾り窓でございます」


 条件反射というかなんというか、電話口の俺は別人格になる。


「ねぇ、今日レイジいるぅ?」


「仕事中」


 トーンを落としていつもの自分に戻り、乱暴に受話器を置いた。


 しかし、俺と違ってその不愛想な態度を、クールだなんだと、寄ってくる女が後をたたないのには正直腹が立つが無下に彼を追い出すことなど雇われ店主の俺にできるわけがない。


 同じレイジという名前なのにこの違いはなんなんだ?


 しかし正直、こんなに忙しいとは思ってもみなかった。お客はひっきりなしだし、数日先まで予約が入っている。そしてみんな一様に満足をして帰っていく。その為かリピーターも絶えない。行為をしてスッキリする奴もいれば、オプションのコスプレをさせて写真だけ撮って満足して帰る者もいる。それに結構な割合で女性からの問い合わせもある。オーナーの意向で一応お断りをしているが、純粋にその造形に興味があるからだろうが、世の中わからないものだ。


 時計を見て、明日の予約状況を確認する。クローズまであと約1時間。終わってから清掃や残務などをこなし、店を閉めて外に出るのは明け方近くになるだろう。


「メンテ終わってんですけど、帰っていいですかぁ」


 いつの間にかスタッフルームに戻ってきていたレイジが後ろに立っていた。俺は椅子の上で少し飛び上がり、そちらを向いた。


「と・・・と言ったって今お客さんご案内したばかりだろう。今日は飛び込みがなけりゃこれで終わりだから最後までいろよ」


 動悸が止まらずに胸を押さえながら答える。


「メールがウザいんすよ」


 理由になっていない。


「それに、今のお客さんいつも写真撮って終わりだから、問題ないっすよ」


「き…今日は違うかもしれないじゃないか!」


 一応店長らしく嗜めるが、レイジは面倒臭そうに、

「あ、それはないっす」と言った。相手がどんな人間かわからないのにこの断定はなんだろうか?


「さっきチアキから電話あったでしょう」


 一瞬なんのことかわからなかったが、ついさっき女から電話があったことを思い出した。「あいつ多分これから10分おきに連絡してきますよ」


 奴がついこの間、違う女とやり取りをしていたことを思い出してつい不機嫌になる。


「プライベートの連絡先を店にするなって言っただろう」


「俺がここで働いてること知ってるんすから、仕方ないっしょ。それに俺電話嫌いだから、絶対番号教えねえもん」


 こいつが取っ替え引っ替え付き合う女は概ねこの色街の商売女だ。店を教えれば勝手にチラシや情報誌で調べてくる。そこへまた電話が鳴った。


「はい、飾り窓でございます」


「ねぇレイジまだぁ」


 応答せずに受話器を置く。


「とにかくだ、お前がどこの誰と、どう付き合うかは勝手だが店には電話してこないように言っておけよ」


 レイジは軽く肩をすぼめると「はい、了解しました」と言って、ユニフォームを脱ぎ始めた。


「おい。まだいいとは…」


 レイジは備え付けの電話を指差して「あと1時間、それ続けます?」と言った。俺は大きく溜息をついた。


「わかったよ、 ただバイト料はその分差し引くからな」


「はい、お願いしまぁーす」


 なにをお願いされているのかよくわからない。


 レイジは着替え終わると「お疲れ様です」と言って部屋を出て行った。まったく御曹司でなければブン殴って追い出すところだ。


 レイジの父親である晋二郎氏は一代でマリアフレーダー社を作り上げただけあって、息子と違って如才なく気も効いて、低姿勢。喋りも達者だ。レイジとは違い、ずんぐりとして、頭は禿げ上がり常にニコニコとしている。「こいつは前のに似たんですわ」とレイジを指差して言っていたが、すぐに相手の警戒心を解いてしまうその性格は、おそらく長年の人格形成の賜物と言っていいだろう。彼に直接会った人はみんな好感を持ってしまうだろうと思ってしまうほどだ。


 ただ一度、うちに納品されたラブドールを「御社の商品」と言った時に「うちの娘達を物扱いなどしおって。この痴れ者が!」と烈火の如く叱責されたことがある。そういう意味では、変わり者ということで、レイジとは実の親子ということなのかもしれない。


 俺はスタッフルームを出て、入口のシャッターを半分閉めていつもより若干早くにCLOSEの札を下げた。


 今のお客もあと30分はプレイルームから出てこないだろう。


 流しっぱなしのテレビを消し、ラジオを切り替えると、待合室の掃除を始めた。ショーケースに並べられたラブドール達。彼女達は微笑みながらこちらを向いて、微動だにせずに客に媚びを売る。


 眠ることもなく、わがままも、機嫌を損ねたりもしない。怒ったり、泣いたり、笑ったりもしない。誰が誰の客を取っただの、乱暴に扱った客に対する愚痴も言わない。


 よく知り合いには「人形に霊が入って夜な夜な怪異が起こるって話よく聞くじゃん。ましてや風俗街だぜ。色々な怨念とかありそうだし、気味悪くねえの?俺だったらそんな仕事ゴメンだな」と言われるが、不思議と俺は彼女達を気味が悪いと思ったことはない。


 ショーケース用に派遣されてから、彼女達はまだ一度も男達に抱かれたことはない。そこに静かに佇んでいるだけだ。同じ型から生まれ出た姉妹達が、男達の性充足の相手をしている間、彼女達は一体どんなことを想い、何を感じているのだろう。飾り窓に並べられた彼女達は、娼婦であり、そして永遠の処女なのだ。


「マリア…ね」


 俺の通っていた高校はクリスチャン系だったため、週に一回聖書を学ぶ授業があった。


 同じような名前が連なり、内容を理解することを早々に諦めた俺は、未だに聖母マリアとマグダラの娼婦マリアの区別がつかない。

 そのためなのか、俺には今目の前に佇む彼女達がやけに神聖に感じるのだ。ラブドールを取り扱っているメーカーの名前がマリアの名を冠しているのにも何が因縁めいたものを感じてしまう。


 きっかり30分後、最後の客はプレイルームから出て店を後にした。シャッターを閉め部屋にいるラブドールのメンテに入る。服を脱がせて洗浄と消毒をする。


 破損がないかチェックしパウダーをつけ、もう一度服を着させると椅子に座らせてポーズを整えた。視線を落とし、憂い顔の彼女はただじっと次の客を待つ。不特定多数の男達にその身をあずけ、その欲望を満たすために不平も不満も言わずにその身体が「破損」するまで奉仕する。プレイルームの彼女は、分身である飾り窓に佇んでいる姉妹たちをどう思っているのだろうか・・・・。


 俺は大きく一呼吸して、そんな思いを打ち消すように「くだらねえ」と呟いて、プレイルームの電気を落とし部屋を後にした。


つづく

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