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3話

 少しぬるくなったレモンの香りがする紅茶を飲みながらもうずっと前のことを思い出す。あれから時は経ちシオンも私もだいぶ大人になった。相変わらず会える時間は少ないがたまに会えるだけで、シオンの変わらぬ姿を見るだけで私は嬉しかった。


 「シオン、そういえば休みっていつまでだっけ?まとまって貰ったんだよね」

 「三日もらってるから明日までだよ」

 「そっかぁ、私も休みが合えばよかったのに、今日しか取れなくて悔しいよ」


 憎々しそうに顔に出す私をシオンがくすりと小さく笑う。


 「次は私もまとまった休みが取れるようにするから、どうせなら旅行に行かない?近くでもいいからさ」

 「・・・いいね、楽しそうだ」


 それからずっと話し込んだ。三ヶ月ぶりで話したいことがあったがいくら時間があっても足りずに、気がつけば外はもう暗くなっていた。明日も仕事があるからと私は急いで帰り支度をする、シオンに送っていくと言われたがせっかくの休みだからしっかり休んでと断るが珍しくシオンがやけに強めに引き下がるので結局途中まで送って貰うことになった。


 

 「今日は雲がないからよく星が見えるね。もう少し寒くなったらもっとよく綺麗に見えるんだろうな」

 「そうだね」

 「あ、ここまででいいよ。ありがとう、シオンも気をつけて帰るんだよ」

 「どういたしまして、ルカは明日仕事なんだから夜更かししすぎないようにね」

 「さすがにもうしないよ、じゃあまたね。次は旅行だ」

 「・・・・うん、じゃあね」


 お互いに手を振り別れる。シオンが立っていた所は丁度、街灯がなく少し暗くてはっきりとは見えないが、私が見えなくなるまで見送ってくれているのだろう、心配性だなと思いながらそこにいるだろうシオンに手を振ると呆れたような顔で笑うシオンがいる気がした。

 

 家に着くといい加減シオンに心配させてられないなと思い、いつもより早くベッドに潜る。その夜はいつもより早く、深く心地良い眠りにつけた。

 翌日の朝もすっきりと目覚められいつもより仕事の調子も好調な気がして少しだけ残業してしまったが私は家に帰るまで上機嫌だった。


 


 「ただいま」


 いつものように帰宅の挨拶をするとバタバタと焦っている様な足音と言い争っている声が聞こえる。何かあったのかと訝しんでいるといつもは淑やかで柔和な母が足音を立ててこちらへ走ってくる。


 「ルカ!」

 「どうしたんですかそんなに慌てて、なにかあったんですか?」

 「ルカ、貴方昨日シオンと会ったわよね、シオンは何か」


 「待て!!」


 母が私に何かを訴えようとするがそれは後から来た父に遮られる。


 「何っ、邪魔するの!?」

 「そうじゃない、けどこれはいくら我が子といえど簡単に言ってしまうわけにはいかないだろ!」

 「っ・・・そうだけどっ・・・もし、このままルカが、シオンと会えなくなったらっ」

 「どういうことですか」


 聞き捨てならない言葉にとてつもなく嫌な予感がする。両親はハッとした表情になり耐えるように顔を引き締めると母が父に言い募る。


 「あの国の人は、あの子はとても高潔な子よ、何も言わずにいなくなるわ。だから、いまルカに言わないと一生後悔する・・・貴方はそれでもいいの?!」

 「それは・・・」


 父が言い淀む、その隙に母が私に向き直り目をしっかりと合わせて言い聞かせてくる。


 「今から言うことをよく聞いて、いい加減自分の気持ちに気づきなさい。けどこれはまだ口外してはいけないわよ、混乱してしまうから。本当は貴方にも言ってはいてないのだけれど・・・・あのね────」



 母から聞いたその瞬間私は荷物を放り投げ、走り出す。必死に、周りの目を気にも留めず走る。普段仕事ばかりで運動なんてしていなかった身体はすぐに悲鳴を上げる。昔はシオンと一緒に走り回っていたのに、記憶は今も直ぐ色鮮やかによみがえるのに身体だけがついていかない、ふくらはぎは痛いし、途中で右の足首は少し捻ってしまった。息を吸っているのに肺に上手く入らなくて苦しくて息が乱れ、薄い涙の膜で視界も歪む。それが身体が苦しいからなのか、別のどこかが苦しいからなのか分からなかった。

 自分の家からシオンの家までそんなに遠い距離ではないのになかなか着かなくてシオンを思う気持ちだけが先に行っているようで、やっと着いたとき勢いをそのままに体当たりのようにシオンの家のドアを叩いた。


 「シオン!シオンいる!?」


 夜も遅いというのにお構いなしに大声を出し、ドアを叩きつける。もういないのだろうか、泣きそうになりながらも呼びかける。頼むから、頼むからいてくれ、一目でも・・・いや、本当はちゃんと会って、シオンの顔を見て話したい。ただでさえ冷静ではいられない状況の上、全力で走って脳に酸素がろくに回らないぐちゃぐちゃな状態でそれだけを思う。

 またドアを叩こうと手を振りかぶったその手はドアを叩くことなくすり抜ける。


 「・・・ルカ、夜遅くにそんな大声出して、近所迷惑になっちゃうよ」


 困ったように笑うシオンがドアを開けて目の前にいた。


 「っ、シオンっ・・・!」


 シオンがいる、それだけで嬉しくて張り詰めていた精神が身体と共に緩んで膝から崩れ落ちるのをシオンが寸でのところで支えた。

 

 「とりあえず、中に入って」





 シオンに支えられながら部屋に通される、部屋の中は前に来たときよりずっと物が少なくなっていた。そのことがついさっき母から言われたことが本当だと嫌でも理解させられる。私は深い背もたれの椅子に勧められシオンはベッドに腰掛ける、それまでのシオンの様子は不自然なほど落ち着いていつもと変わらないようにみえる。それがとてつもなく胸を苦しくさせた。けど今はその痛みに構っていられない、痛みを捨て置きシオンに訊ねる。


 



 「母から、聞いた・・・・・戦争になるみたいだね」


 「うん」

 

 

 「シオン、貴方・・・前線に出るの?」

 

 「うん、そうだよ」




 わかっていたことなのに、母から聞くのとシオンの口から聞くのではぜんぜん違った。体温が根こそぎ奪われ、心臓の辺りからどんどん冷たくなっていく。指先が震え言葉が出ない、全身冷たいのに目の奥と頭だけが異様に熱い。


 前線に出る。つまりそれは、それは


 「ルカ、あのね」

 

 「やめて・・・」

 「ルカ・・・」

 「いやだ、やめて」



 「・・・・・ルカ、私のことはもう、し────」


 「やめろ!!!」



 シオンはいま、何を言おうとした?聞きたくなくて大声で遮る。


 「今、何を言おうとした、なんでそんなこと普通に言おうと出来るんだ!どうしてそんなに冷静でいられる!?なんで、なんでシオンの口からそんなことを、そんなこと一生聞きたくない!!守りたかったのに、私は貴方をずっと守りたいのに、私はっ、こんなにシオンをずっと、ずっと、たいせつ・・・に、思って・・・・・・・私は、シオンを」


 聞きたくなくて必死で頭の中に浮かんだ言葉を、出てきたものを片っ端から投げつけて、投げつけようとして、私は自分の中にあった感情がはっきりと輪郭をなぞったことでようやく気づいた。あ、と気づいてシオンの美しい深い海と、目が合った。瞬きよりも短い時間、その感情と、伝えようとした言葉は芽立つことなく押し込められた。

 シオンに抱きしめられたから、息も出来ないほど強く、シオンのお腹に私の頭をおさえつけられる。だからもちろん言葉なんて出せるわけがない。驚いて身動きが取れないでいるとシオンが消え入りそうな声で呟く。


 


 「ルカ・・・・・私の名前をあげる、貴方が持っていて。私は春には咲けないけど、ルカならできるよ・・・貴方は私に訪れた春なんだから。・・・・・・だから幸せになってね、私はルカの幸せを願うよ、ずっと」


 そう言ったあとシオンの抱きしめる力が緩まって、隙間なくくっついていた身体が離れていく。それが許せなくてシオンの両腕をつかむ。出せる限りの力で痕がつくほど強くつかむ。


 シオンは私がどう思って、何を言おうとしたのかあの一瞬でわかったんだろう。わかって、私の幸せを願うと言った。

 私が欲しい言葉をわかっている、私の欲しい感情を知っている、なのに、それをくれなかった。

 

 もう耐えられなかった。



 「私は、私は・・・結婚する、貴方とじゃない誰かと!前からそういう話は来ていた、けど、私はずっと仕事をしたいから、断ってた。私はその相手をちゃんと、愛して、家庭を築く・・・いずれ、いずれ子供もできたらその子も愛して立派に、育てて、みせる・・・幸せになってやる、シオンじゃないっ・・・誰かと・・・・・!」



 シオンの心の奥に深く深く、この先ずっと一生抜けることのない棘を刺した。シオンが一日でも一時間でも一秒でも忘れることのないように。何一つとして寄越してくれない、苦しいほど悲しい優しさに、高潔な貴方に。何も出来ない私は傷を残すしか出来ない、幼い頃あんなに守りたかった貴方の心に。もうあのころのように一緒にいることは出来ないけど、私の気持ちを傷として貴方の最期まで寄り添わせる。


 あれからずっと泣いて、泣きつかれて寝てしまっていた。朝、眩しさで目が覚めると、シオンの姿はどこにもなくシオンが使っていた服もペンもティーカップもなにひとつ残していかなかった。



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