後悔しますよ
「いいのか?そんな事して。後悔するのは君だけじゃないんだぞ!」
ホテルのロビー。高津の声。
私は契約書を握り締め、このロビーからの出口を探した。
視線は、家族らしき人たちが和気藹々と入ってくる方へと向けられた。
そこが出口だとすぐにわかり足取りは一段と早くなる。
また高津の声。それに混じって数名の呼びとめる声。父の声も混ざっていたような気もするが、気のせいと言い聞かせ、走ることを止めなかった。
もう少しで、玄関口。
どうしてこんな行動に出たのか。いや、こんな行動が出来たのか。
自分自身に驚いていた。
父の制裁を受けた後、平静を装い会場に戻った。
父の挨拶はすでに済んでいて、会場は歓談ムードになっていた。
「どこにいたの?お父様の挨拶も聞かずに。」
母の問いかけに、無言で頷き、席に着いた。
蓮たちは関係ない顔をして、ジュースを飲んでいる。
家族で話している最中、何人もの関係者達が、お祝いに来た。それが途切れた頃、再び父が高津を連れてやってきた。
「いかがですか?お昼からのお酒もそれなりに楽しんで貰えてますか?」
「まあ、一応。」
あからさまに不愉快に返す。
「百合!何だ。その言い方は……。」
父の言葉を高津は手を掲げ制し、私を諭すように話し出した。
「百合さん、先程はすまなかったね。私も言い方が悪かった。だがこれは君のためでもある。私と一緒になれば、何も困ることはない。それに、ご両親だって安心させたいだろう?」
返す言葉が見つからない。素直な言葉は、この場を壊してしまうだろう。
私が躊躇していると、父が空気を察したのか、その場を和ませるような会話をしはじめた。
数分後父は、私に席を立つよう促す。
そして高津に誘われるがまま、2人きり。
再度、ウインドウ越しの乾杯。
2人きりになった高津は饒舌になり、私の心には何も響かない言葉を繰り返した。
「百合さん、僕と君は今日ここで会うことが約束されていたんだよ。」
「君と僕は出会う運命だったんだ。」
「今日は今までの君の誕生日の中で、1番記憶に残る誕生日になる。」
「どこでそれをお知りになったのですか?」
感情を隠しながら、端的に聞きなおす私の言葉を、聞こうともせず高津は続ける。
「何も不自由をしない生活と何も心配いらない家庭を約束しよう。」
和やかに笑う高津。真逆の感情を持つ私。
出会うためとか、運命とかは、好きなもの同士が使う言葉。私の気持ちを何も考えずに、そういう話を躊躇せずにつかう高津に、嫌悪感しか覚えなかった。
18時。アナウンスが流れた。調印式の挨拶らしい。高津が壇上に上がる。そして、話し始めた。
「調印式の前に、皆様にお伝えしたいことが、あります。」
ざわつく会場。
「本日は、合同調印に立ち会って下さる、三隅様の長女、百合様の誕生日です。皆様、拍手をお願いします。」
拍手の中、嫌がる私の背中を母が押す。仕方なく、壇上に上がる。
握手を求められ、スタッフが持ってきた花束を高津が受け取り、私に渡す。
「おめでとうございます。そして、もう一つ話があります。」
「私、高津と三隅百合様とは、本日、婚約することを誓います!」
「な……!」
驚く私に、ウインクで返す高津。
私の中で何かがはじけた。
高津が持っていた契約書を奪い取り、マイクに向かった。
「そんなことは何も聞いておりません。皆様!これは不正調印です。父はこんな調印、望んではおりません。もちろん私もです!」
言い終わると私は、契約書を持ったまま走り出した。
ざわめく会場。そして壇上からの高津の声。
「そんな事していいのか!君は後悔することになるぞ!」
響いている高津の声を無視して、会場を出る。
私を止めようとしている高津の声が、余計に私を急がせた。