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Nightmares make a surprise attack

「結局、自分が良いと思う通りにしたんだ」


 久々に会った梶谷は、どこかすっきりとした顔をしていた。

 俺が仕事でばたばたしていた十日程の間に、梶谷は山西の謝罪を受け入れ、示談が成立したらしい。

 仕事帰りに待ち合わせたいつもの喫茶店で、徹夜続きの俺はカフェインで何とか瞼を押し上げた。


「良いと思う。何かあったら助けてやるから、まずはあんたのやりたいようにやれよ」


 橙色の照明の下、窓の外の暗闇を吹き飛ばすような明るさで、梶谷は晴れやかに微笑む。

 その顔を見れば、どんな前提があったとしても、とにかく良かったと思うことが出来た。


「中野さんのおかげだよ。その言葉……すごく安心出来たから。ありがとう」

「……おう」


 正面から礼を言われると、何やら照れくさい。

 しょぼしょぼする目を擦って無理やり自分の視線を遮った。耳は塞げないから笑う声だけは聞こえてしまって、どうもこっちが照れてるのがバレてるらしいと知る。


「ごめんね、大変な仕事の後に呼び出したりして」

「いや、俺も気になってたから連絡もらえて良かった。それに、いつでも呼び出せって言ったのは俺だから」

「ありがと。でも、これから帰ってようやく休めるんでしょ。すごく疲れた顔してる……」

「ああ、これでようやく寝れる。ただ、その前に何か食いたいんだけど……もう腹が減って腹が減って」

「え、まだ食べるの? 今、サンドイッチ食べたところなのに」

「今日1日食ってないからなぁ。これじゃ足りん。何かもっとがっつりしたもの食いたいんだけど、これから帰ると食堂は閉まってるだろうし、コンビニかなぁ……」


 回らない頭をそのままに食欲を垂れ流したところで、梶谷が申し訳なさそうな顔をしていることにようやく気付いた。


「あ、違う違う、あんたのせいじゃないって」

「何言ってるの、僕が呼び出したせいだよ。ごめんね、本当に」


 折角の笑顔が一気に曇るのを見て、どちらかと言うと俺の方が申し訳なくなる。梶谷と会うのは本当に俺が好きで決めたことだから、そんな顔をしてほしくない。何と言ってフォローしようかと考えている間に、梶谷の方が先に口を開いた。


「あの……もし、あなたが良ければ、なんだけど」

「ん?」

「僕が何か作ろうか? そこのスーパーで材料買って。がっつり系ならカレーとかハンバーグとか、丼ものとか?」


 それは、とてもありがたい申し出に思えた。カレーという料理名を聞くだけで、腹がきゅるきゅる鳴っているような気がする。

 ただし問題は、俺が住んでいるのが独身寮なことだ。


「あー……それが、独身寮うちには他所の人を入れるってのが出来ないんだよなぁ」

「じゃあ、逆に俺のマンションにおいでよ。そうしたら買い物いらない、食材あるし。ここからでも一駅だし、帰るのが面倒ならついでに泊まっていって良いから……あ、外泊しても大丈夫なら、だけど」

「連絡入れとけば、外泊は問題ない……だけど、本当に良いのか?」


 梶谷には何の責任もないのだから、そこまでしてもらうのは申し訳ないと思わなくもない。だけど、その唇に笑顔が戻ったのを見てしまうと、断るより受け入れたくなった。……何より空腹に咽び泣く胃が、更なる栄養を期待していたりして。


「ね、お願い。こないだ相談に乗ってくれたお礼もしてないし。ね?」

「じゃあ、お言葉に甘えて」


 答えた途端、梶谷の笑顔が輝きを増したように見えた。

 飯を作ってくれる方がこんなに喜んでくれるなんて、何てありがたい話なんだ、と俺もまた嬉しくなった。


 だから、喫茶店を出た時点では、別に期待なんてしていなかったんだ。

 男同士だし、友だちだし。腹が減っていただけだ。

 ……夜更けに相手の家に行くということがどういう意味を持つのか、そんなことを考え始めたのは、一緒に電車に乗り込んでからだ。



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



 事件のあれこれで、梶谷のマンションには既に何度か行ったことがある。眠気がちらつく中でも、道のりを辿るのはそう難しいことではなかった。


「中野さん、大丈夫?」


 ……なかったはずだが、自分では分からないまま微妙にふらついているらしい。慌てて寄ってきた梶谷が、そっと俺の腕に指先を絡ませた。軽く支えるようにして横を歩いてくれる。


「悪いな」

「ううん、もうすぐだから気を付けてね」


 隣を見れば、ずいぶん近くに梶谷の顔がある。微妙に俺の方が視点は高いけれど、それでもほぼ真横と言って良いだろう。

 色素の薄い瞳が、俺の視線に気付いてこちらを見た。目が合った途端に微笑まれて、恥ずかしくなってこっちが目を逸らした。


「何照れてるの、可愛いなぁ」

「可愛いって……やめろよ。そりゃ、あんたのことだろ」

「えっ……」


 言葉が途切れたので梶谷の方を向き直すと、顔を伏せたうなじが赤くなってるのが見えた。

 どうやら言い過ぎたらしい。頭が回らない分、本当に全てだだ漏れになっているようで、どの言葉もどうにも予想外の効果を及ぼしている。

 だが……ここで「そういう意味じゃない」と否定するのも違う気がする。

 どうしたもんか、と悩んでいたら、梶谷の足が突然止まった。当然、腕を支えられている俺も軽く引っ張られるような感じで立ち止まる。


「どうしたんだよ……?」


 梶谷の瞳は俺じゃなく、前方に向けられていた。その視線を追いかけて前に向き直る。

 道の先、街灯の真下に、見慣れたコートに両手を突っ込んで立ち竦んでいる影があった。


「……あれ、修さん?」


 さっきまで一緒に仕事をしていて署で別れた修さんだ。目を見開いて俺たちを見ている。俺の呼びかけは聞こえなかったのだろうか。ずるり、と重い足を引き摺るように、修さんはこちらに近付いてきた。


佑樹ゆうき……」


 呼びかけてくるその名前が誰のものか、一瞬考えて……少しして、梶谷の下の名前だと思いだした。


「佑樹、お前、何してんだ……」


 ねっとりと絡みつくような声。

 修さんのそんな声、初めて聞いた。

 様子のおかしさに、慌てて梶谷を背中に庇う。


「修さん、あんたこそ、こんなとこで何してる?」


 修さんが住んでいる官舎は、署を挟んだ反対にある。しかもここは住宅街の真ん中だ。用があってふらりと通り過ぎるような場所じゃない。

 睡魔でぼんやりしていた頭に、仕事の緊張感が戻ってきた。


「ナカこそ、何で佑樹と一緒にいるんだ」

「何でって、梶谷んちで飯でも食おうって……」


 修さんの瞳が昏い色を帯びている。見慣れていたはずの上司の変貌に、俺は背筋を震わせた。

 おかしい、おかしい。

 ここに修さんがいるワケない。

 こんな表情で――こんな声で。


「佑樹、お前はよぉ……おれの誘いには乗らない癖に、そうやって別の男を連れ込むのかぁ!?」


 言葉とともに修さんの身体が突っ込んできた。


「やだ……っ! 中野さん!」

「梶谷、警察呼べ!」


 自分も警察なので少し情けない気持ちはあるが、明らかに様子のおかしいヤツを相手にして、1対1で楽勝に勝てるとは思わない。

 後ろ手に梶谷を突き放し遠くへ押し出しておいてから、殴りかかってくる修さんのコートを掴んで、自分の方へ引き寄せた。


「何だ、ナカぁ! そうやって、良い気になって佑樹の男気取りか!? こいつはなぁ、お前やおれ以外にも片っ端から粉かけて回ってんだぞ!」

「……はぁ!? あんたちょっとおかしいよ、修さん! しばらく寝てないからって、狂ったこと言ってんな!」


 振り向いた修さんの太い腕に、胸ぐらを掴み返された。至近距離で覗き込んだ瞳孔が開いている。近付いたことでアルコール臭に気付いた。……やばい、酔ってる。


「てめぇ、佑樹はなぁ、おれがいないとダメなんだよ! 知った風な顔すんな!」

「知るか、本人が嫌がってるだろうが!」


 叫び返した途端に、右腕で頬から顎にかけてぶん殴られた。頭がぐらぐらして膝が緩む。何とか相手のコートの袖を握り締めて、逃さないように捕らえた。俺は殴られても良い。でも、この手を放せば梶谷が危ない。


「ナカ、てめぇが邪魔してやがったのか!」

「邪魔って……何言ってんだよ、修さん! 頭おかしいんじゃねぇのか!?」


 もう一発殴られた。さすがに腰が落ちそうになって――すんでのところで足を踏み込んだ。狙ってきてた拳を避けながら、引き摺り込むように地面に一緒に転がる。修さんの身体が先にアスファルトにぶつかって、衝撃で息を吐ききるのを腕の下に感じた。


「……っの野郎がぁ!」


 喚いているところを見ると、頭は打っていないらしい。

 即座に引き倒されて体勢を入れ替えてきたのは、さすがの経験値だ。がりがりとアスファルトに擦った頬が熱い。俺の腹に馬乗りになった修さんが、真上から拳を振るってくる。

 胸ぐらを引き起こされて殴られる度に、ガツンガツンと後頭部もぶつけて、痛みよりも何だかもう気持ちの悪さしか感じなくなってきた。


「……待って! 違う、中野さんはただの友達だから! やめてください!」


 梶谷が叫んでいる。

 危ないからこっち来るな、と言ってやりたいが、衝撃が大きすぎて声を出すことが出来ない。

 そうこうしている間に、腹の上に乗っていた体重が失せた。まずい。

 ぐらりぐらりと身体を揺らしながら、修さんが梶谷に近付いていっているのが見える。


「佑樹……!」

「痛っ!」


 修さんのごつい手が、梶谷の細い腕を握りつぶすように掴んだ。痛みと恐怖で、梶谷が顔を顰めている。

 そのまま、梶谷の身体を引き摺るように歩み去ろうとした修さんの足首を、何とか這い寄った俺の右手が引き止めた。


「修さ……あんた……っさねぇ……」


 許さねぇと言ったのか、行かさねぇと言ったのか……もしかすると、渡さねぇと言ったんだろうか。自分でも何を言ったのかはっきりとしないが、修さんに俺の意志だけは伝わったようだった。いつも犯人マルハンにだけ向けられていた鬼の形相で、真上から見下ろしてくる。


「……ナカぁ……!」

「嫌だ! 止めて、これ以上やったら死んじゃう!」


 俺の頭を踏みつけようとした修さんの身体を、梶谷が必死で抱きついて止める。その身体を軽々と引き剥がして、修さんが足を振り上げた瞬間――夜闇を割くような声と複数の足音が遠くから響いてきた。


「――行け、確保だ!」

「……んだよ、何でてめぇら邪魔ばっかしやがんだぁ!?」

「修さん、何考えてんだ! おい、ナカ! 生きてるか!?」


 身体が抱き起こされて、近くで響いた声がヤノ先輩のものだと分かったことで、ようやく安堵したらしい。

 駆けつけた同僚達によって地面に押さえつけられる修さんの姿と、泣きながら駆け寄ってくる梶谷の顔を最後に、俺の意識は途切れた。

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