Let’s talk over coffee
「……美味い」
「でしょう?」
教えて貰った喫茶店は駅からたった3分しか歩いてないのに、こんなところに店があったなんて、俺は全く知らなかった。表通りを曲がった角にあったから、見えなかったんだと思うけど。
カウンターでどこか幸せそうに豆をひくマスター。古いピアノジャズ。微妙に日に焼けたビロードに古いレースのかかったソファと、よく磨き込まれたオーク材のテーブル。
華奢なコーヒーカップに入って出てきたブレンドは、梶谷が俺を誘っただけある香り高いものだった。酸味より苦味が強いところも、俺の好みだ。
ホットケーキと一緒に食べるなんてもったいないような気もするが、腹が減って仕方ないのだから、そこについては諦めるしかない。
ほかほかの分厚いホットケーキにナイフを入れる俺を、梶谷は何故か楽しそうに見ている。
「駅近なのに、何故かあんまり知られてないんだよね。中野さんはきっと知らないと思った」
「あんたの中で俺、どういうキャラなの?」
「悪い意味じゃないよ。ただ……中野さん、表から見えるところしか見なさそうだから」
テーブルに差し込む日の光が陰ったような気がして、ふと顔を上げた。
相変わらず梶谷は微笑んでいたけど、どうにも寂しそうに見えて仕方ない。
その曖昧な上目遣いのまま、コーヒーカップに唇を触れさせる。
「ごめん、褒めてるんだ。中野さんのそのまっすぐな感じが素敵だって」
「男に素敵とか言われてもな……」
さっき俺に触れた指先で、コーヒーカップの縁をそっとなぞっている。
何だか突然恥ずかしくなって、視線を逸らした。美人の言葉ってのは男でもそれなりの破壊力があるらしい。
「そういうところがまっすぐなんだよ」
「あんたの方は、意外に意地が悪そうだ」
からかうように笑われて、恨みを込めて睨みつけたが、どうにも梶谷の笑いはおさまらない。諦めてホットケーキをカットする作業に戻ったところで、ぽつりと梶谷が呟いた。
「意地が悪くも、なるよね」
言われてから思い出した。自分のバカさ加減に頭を殴りたくなる。ついこの間まで、梶谷はストーカーに付け狙われて困り果てていたんだ。憔悴した様子も見ていた癖に、逮捕して自分の中では片付いたからって、迂闊なことを口にした自分が腹立たしい。
「悪ぃ」
「……あ。ごめん、違うよ。中野さんが気にすることじゃなくて……」
しばらく天井を見上げてから、梶谷は意を決したようにコーヒーカップをソーサーに戻した。
「違うんだ。僕、ああいうことってちょくちょくあるんだよね……それで、ちょっと」
「ちょくちょくある……?」
その話は初耳だった。前にもストーカーに狙われていたことがあったのだろうか。それにしては、思い当たる事件記録もなかったような気がする。
「半年前に引っ越してきたばっかりなんだ。前に住んでたのは県外だから……警察ってちょっと相談した程度のことなら、管轄違えば情報共有なんてされないのかな? よく分からないけれど」
「ああ、そういうことなら」
「これで何度目だろ。さすがに逮捕までいったのは初めてだったけど……最初は良くても最後はいつもあんな感じ。ちゃんと付き合った人も、今回みたいに全然こっちはその気がない人も両方あって……」
「……付き合ってたヤツもいんのか」
今回のストーカーが男だっただけに、前の分は男か女か、と聞いてみたくなった。
でもそれはただ考えてみただけで、不用意に突っ込む話ではない気はする。
もちろん興味本位で尋ねたいと思ったワケではなくて、男のストーカーと女のストーカーでは傾向に差があるから確認したかったのだ。とは言え、確認したところでもう終わった話だということも気付いてしまい、ますます聞かない方が良いような気がしてきた。
不自然な沈黙で察したのだろう。梶谷が苦笑しながら捕捉する。
「中野さんが何考えてるのか大体分かったような気がする。先に謝っとくけど、今日あなたを誘ったのは、そういうつもりじゃないから」
「そういうつもりって」
「今までのいざこざはね、全部男。まあ、大体察してたかも知れないけど、僕、色々あって女の人のこと恋人としては好きになれないんだよね」
なるほど。
で、あればいわゆるデートDVに近いものから、今回のように一方的に言い寄られるパターンまであるということか。付き合って、その後振られた恨みでストーカーになると言うのは、確かに聞かない話ではない。生活安全課に来るストーカー相談にも「別れた夫が」「前の彼女が」なんていうDVとどっちの担当が手がけるべきか悩む案件もしょっちゅうある。
そんなことを考えていたら、呆れたように梶谷がため息をついた。
「……中野さん、冷静だねぇ……」
「ああ?」
「僕が今まで会ったことある男の人って、目の前にいる男が自分に性的興味を持ってる『可能性がある』っていうのに耐えきれない人多かったよ。中野さんも、もっと狼狽えたり慌てたりするかと思ってたんだけど」
「だって『そういうつもり』じゃないんだろ。あんたがそう言ったんじゃないか」
「そうだけど。それでも万一とか、そうこうしている内に……ってあるじゃない」
言った本人がそんなこと言ってどうする。
「あんたが言い出したんだから最後まで責任もてよ。ヤれるかどうか、ラインがあるんだろが」
真面目に答えたつもりなのに、梶谷は思わずって感じで吹き出してから、慌てて手を振った。
「あ、ごめんごめん。中野さんを笑うつもりじゃなくて、『ヤれるかどうか』ってすごい言い方だなぁって」
「何だよ、結局俺のこと笑ってんじゃないか」
怒ったフリをして見せたものの、軽くからかわれたことよりも、梶谷が笑っていることの方が嬉しかった。
こいつが凹むと、俺のせいじゃなくても、俺が虐めてるような気分になって……何とも言えない気持ちになる。やっぱ犯罪被害者だから、無意識の内に気になってるんだろうか。自分でもどうにも分からんが。
「ありがとう。中野さん、優しいね」
「普通だろ」
「そんなことない、なかなか聞かないよ。ねぇ、これからも時々こうして一緒にお茶してくれる?」
微妙に含みはえるけれど、裏があるという程ではないような、うっすらと芝居じみた視線。
そんな視線に思い当たりのある俺からすれば、特に何を感じるというワケでもないから、もっと率直に言っても良いのにな、と思うんだが。
多分、怖いんだろう。どうしてもって時に頼ることの出来るボディガードが欲しいんだ。
警察に受かった時から、家族や親戚や昔からの友だちが、時々俺をそういう存在として頼ってくることがあった。常識の範囲で頼りにされることは、自分が強い大人になったように思えて、どちらかと言えば嬉しいことだったのだが。
だから、梶谷もまあ、そういう感じなんだろう。犯罪に巻き込まれた直後の被害者は恐怖心が強くなるって言う話を、以前何かの講義で聞いたこともある。
俺が頷くと、梶谷はほっとしたように唇を緩めた。
「ありがとう」
「別に。美味しい店教えてもらったしな」
「そんな……そんなのは、こっちこそお礼だったのに。ごめんね」
「あんた『ごめん』が多い人だな。別にあんたが犯罪犯してるワケじゃねぇんだし、もっと堂々としてろよ」
「うん、ごめん……あっ」
「早速かよ」
ひとしきり笑いあったところで、梶谷がぽつりと呟いた。
「刑事さん達はさ、あんまりこういう……私的に会ったりするのって禁止されてたりしないんだね。意外だった」
今までの勢いをそのままに、「あんたが誘ったんだろうが」とツッコミを入れようとしたら、何故かものすごく暗い顔をしてたので言葉が止まった。
手元のコーヒーカップに落とされた視線は凍りついたように冷たい。
「……おい、梶谷? あんた、何か――」
何か困ったことでもあるんじゃないだろうか。
尋ねようとしたところで、俺の視線に気付いた梶谷が顔を上げ、誤魔化すように笑顔を浮かべて見せた。
「あの……連絡先、交換してくれる?」
「……おう」
引き出した梶谷のスマートフォンは、赤と黒の二色使いのケースに入っていた。
背面を真っ二つに分割するその二色に、梶谷の白い指がかかっている。その鮮やかな光景だけが、何故か記憶に残った。




