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4.佐野春道は今日も耳に挟む。

『はーあ……今日もケンジ君に言えなかったなぁ、好きだって。早くこの友達関係から抜け出したいのに。でも、この気持ちを伝えちゃったら、きっと友達でいられなくなっちゃう。嫌だ、そんなの……でもこのままじゃ。うう、怖い。もしケンジ君が私のこと好きじゃないって思ってたら……。はぁ、私が人の気持ちを読む超能力とか持ってたら、こんなに苦しむ事も無かっただろうなぁ』


 残念ながらそれは無いんだよな、そこの女子高生。

 仮に君が心を読む超能力を今手に入れたとしよう。しかし君が恋焦がれている、毎朝同じ車両に乗っていて君が一目惚れし勇気を出して話す様になって、何とか頑張って連絡を取り合う仲にまで発展させた男子高校生ケンジ君。彼は女子大生とお付き合いをしています。

 更に言うなら毎回君に話しかけられる度に『また来たよコイツ、いい加減うぜえなぁ』と思っているし、電車に乗っている間はずっとその彼女とのアンなことやコンなことを思い出して悦に浸っているし。何より、君のことを友達なんて思ったことは一度も無い。

 つまり例え超能力を手に入れたって、君は結局余計に苦しむだけって話だ。

 人の心なんて分からないに越したことはない。“さとり”である俺が言うんだから間違いない。


『あ!危ない危ない、電車乗り過ごすところだった。今日はお弁当忘れちゃうし、いつもの顔が怖いおじさんの前に座っちゃったりで最悪な一日なのに、これ以上嫌な事があったらマジで立ち直れないもん』


 女子高生は俺をチラリと一瞥すると、溜息をついて電車を降りていった。

 溜息つきたいのはこっちだってのに。“聴こえて”んだよ、全部。




 妖怪さとり。その姿は猿のような毛むくじゃらで、山奥に迷い込んだ人間の思考を読み取り、それを言い当てて驚かしたりまたは隙をついて取って食おうとする恐ろしい妖怪、と語られていたりする。

 確かに昔はそんな奴も居たらしいが、住処となる山もどんどん開拓され居場所を失った我々はこうやって人間社会に紛れ込むしかなくなった。順応だ。なので俺は妖怪さとりではあるが姿形はいたって普通の四十前半の男だし、好物だってラーメンである。因みに醤油派。

 しかし、だからといって完全に人間になった訳ではない。妖怪である以上、どうしても相容れない場面にも遭遇する。


「でさーそん時アイツが超ウケんの!」

『こいつの話つまんねぇわ』

「今度いつ会える?」

『あの人カッコイイ!』

「はい!その件に関してはまたこちらから連絡を」

『眠い眠い眠い眠い眠い眠い』

「やっぱピンクのほうが似合うし」

『月曜さぼろ。ぜーったいサボろう』

「キャハハハハハッハハハハハッハ!!!!!」

『やばい!!助けて!!!!』

「ママー!!ごめんなさいー!!!」

『死にたいなぁ』

「はははははっははははははは!!!!!」

 四方八方から流れ込んでくる声、声、声。

 さとりの最大の特徴である人の思考が読み取れる力。俺の場合は“聴こえてくる”のだが、人間が近くに居る限り例え耳を塞いでもこの心の声は頭に入ってしまうのだ。

「うるせえなぁ、相変わらず」

 そんな自分の独り言すらかき消す程に、夕方人通りの多いこの道は沢山の声で溢れかえっている。駅から降りてきた学生達が友人と談笑したり、家路を急ぐサラリーマンがいたりと都会程ではないが割と賑わうこの時間帯。人の流れに乗り俺も歩みを進めた。

 思えば子供の頃はこの道を通るだけで毎回ぶっ倒れていた、それに比べれば歳月を重ね随分成長出来たものだと思う。むせ返る位五月蝿い人の声と、清濁入り混じった心の声の波は幼い俺には耐え切れるものでは無かった。それが今や悠々と聞き流せるにまでになっている。

 ようは、慣れだ。人間の心の声というのはテレビの副音声みたいなもので、この人物はこういう思考を持っています、という内面の補足説明をしてくれていると思っておけばいい。人間とはそういうものだ、と一歩引いて相手と接すればこちらの負担も少なくて済む。

「ん?」

 ふと、前方に歩く男性のポケットから財布が落ちた。しかし男性は気づくことなくどんどん歩いていく。

 俺は慌てて財布を拾い上げ、持ち主である男性の元へ駆け寄った。

「すいません。財布、落ちましたよ」

「え、あっすみませ……」

 呼び止められ振り返った男性は俺の顔を見ると引きつった笑みを浮かべ、財布を受け取った後足早にその場を去って行った。


『なんだあいつ怖!目つき怖っ!いきなりガンつけてきたよ。何もしかしてヤクザとか!?どうしよ、金抜かれてたり……良かった大丈夫だ。あ、免許証とか取られてないだろうな!?』


 そう。これも慣れだ。




 たまに心の声が全く聞こえない人間も居たりする。そういう奴らは基本的に何も考えて居ない馬鹿か、もしくは何かしらの理由で聞こえないようにしているか、のどちらかが今のところの推定だ。

 そしてこの店“うぐいす古書店”の主も、そんな人間の中の一人。

「良かった……まだやってたのか」

 路地の更に奥を入った人通りの少ない場所にこの店はある。赤煉瓦の壁に木の扉という、この若干田舎臭さのある金糸雀町の町並みからは随分と浮いた外装は意外とレトロファンのハートをがっちりとキャッチしている様子で、こんな立地でありながらも一日客が全く来なかった日は無いらしい。その客の数も、片手で充分数えられる程度のものだろうが。

 レトロファンでは無いが俺はこの店の常連だ。ネットでも手に入らないような古い本もここには置いてあるし、何故か設けられているカウンター席では珈琲も出してくれる。営業時間が店主の気分でコロコロ変わるところが唯一の難点ではあるが、暇さえあればよく訪れる場所であった。今日は運が良かったみたいだ、俺はドアノブに手をかけ少し軽い扉を押し開ける。


『うわああああああ人来た人来た人来たどうしよどうしよどうしよどうしよどうしよどうしよどうしよ!!!!』


「うおっ!?」

 来客を知らせるベルと共に聴こえたのは、予期せぬ女性の心の叫び声だった。

「え、誰だこれ……」

「いらっしゃい、春道」

 片耳を抑え驚きで呆然と突っ立っている俺に、店のカウンターに立つ銀髪の老婦──店主であるマダムが声をかけてきた。

「どうもマダム……えーと」

「座りな。珈琲でいいね」

 いつもの様にいつもの席へ誘われる。取り敢えずマダムの斜め左に座ってみた。


『ああ、はぁ、うぇ、どうしよ吐きそう。今まで接客業どころかバイトなんて一つもしたことないし。絶対ヘマする。絶対何か起こすどうしよどうしよどうしよ』


 この声、マダムのものではない。もしかしたら今まで聴こえなかったものが急に聞こえるように、なんて思っていたが違うみたいだ。目線のみを動かしてこの動揺している声の主を探す。

 客は俺以外誰も居る様子はない。それともどこかに隠れているのか……。

「蓑部」

「ぎゃっひい!!」

 声のした方向を振り返ると、マダムの声に反応してか本棚の影からおさげの少女が顔を出していた。成程、さっきの潰れたような悲鳴から彼女が五月蝿い心の声の主だったらしい。

「バイトの蓑部だ」

「バイト……?そんなに忙しかったんですか」

「いや。何でも家出中で行くあてが無いらしいから拾っただけだ」

「それ不味くないです!?」

 相変わらずの無表情でマダムは淡々と答える。色々と大丈夫なのか?下手すれば警察に捕まる可能性だってあるのに。それともこの人の事だからきちんとそこら辺の手順は踏んでいるのだろうか。

 未だに本棚の影に隠れているバイトの子に聞こえないように、なるべく声を潜ませマダムに尋ねる。

「因みに何歳なんです?高校生とかなら大変ですよ」

「知らん」

「えっ。……どこから来たかとかは」

「知らん」

「えっ?……身分証とかも」

「知らん」

「…………」

 良いのかそれで。マダムの心の声は聞くことが出来ないので何を考えているのか全く分からない、もしかしてこの人、何らかの理由で読めないだけかと思ってたけど本当は何も考えていない馬鹿なんじゃないか?

「何だ?」

 睨まれた。

「いえなんでもないです」

 氷の様に冷たく表情の変わらないマダムは、時々こちらの心を読んでいるのかと錯覚することがある。それはない、と思うがこの人は色々と謎な部分が多い。まぁ、深くは詮索しなくてもいいだろう。あくまでマダムと俺の関係は店の主と客であり、それ以上進展させる必要も無い。わざわざ自分からこの居心地の良い空間を消さなくてもいいはずだ。

 マダムは静かに珈琲と、頼んでいた小説本を俺の前に差し出してきた。

「有難うございます、本当に見つけてくれるとは流石ですね」

 分厚いその本はかねてから探していた物だった。廃版となっておりもしかしてという意味でマダムに頼んでおいたが正解だったみたいだ。そういえばマダムに言って手に入らなかった本は無かったんじゃないか?一体この人はどういうルートで入手しているのやら。

「閉める時間はいつです?」

「あと二時間したらだ。気にしなくていい」

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 もし店に客が居ない時、こうしてカウンター席で気に入った本を読ませてもらっている。勿論これはきちんと購入するのだが、家でばっかり読むよりもたまにはこうして違う場所で読むと気分転換になって良い。近くの喫茶店に行こうと思ったが人間がやっている以上心の声は聞こえてくるわけで、しかしこのうぐいす古書店ではその心配も無し。それに、置いてある古書達の懐かしさを感じる薫りと、珈琲の落ち着いた暖かさは決して自宅では再現出来ない。

 年期の入った深緑の表紙を開けば色あせたページ。書体までが遠い時代を思い起こさせる。さて、童心の頃に戻ったようなワクワクしたこの気持ちで、昔昔の物語の中へ入っていくとしよう。


『ああああああどうしようどうしようあと二時間も!!!二時間も!!!え?嘘二時間とかまっさかー……え、ええやっははうそぉ!!?』


「…………」


『えーとマダムさんに言えばここから帰らせてもらえるかな大事になる前にこの人が巻き込まれる前になんとか待って何考えてるのこのクズ蓑部紗子クズ!!私!!働かせて!!もらってる身分!!なのに!!』


「…………」

 うるさい。


『取り敢えず!!動く!!こうして突っ立ってても!!駄目!!よしまず右足から……待って、ここで動くことにより私が惨めに転んで靴が吹っ飛びあのお客様の頭に

「ねぇ蓑部さん!」

「はぃいい!?ごめんなさいごめんなさいごめんなさい早速粗相をやらかしましでしゅうか!!」

 たまらずに背後を振り返り、バイトの蓑部さんとやらを呼び止めてしまった。いや、これは仕方ないだろ。こんなにいつまでも心の中で五月蝿く叫んでいる人初めて会った。

「君、閉店まで残ってて大丈夫なの?結構暗くなると思うし危ないんじゃねぇかな」

 つとめて優しく、遠まわしに早く帰ってくれないかなとバイトの蓑部さんに聞いてみた。

「ひっ!!!!!」


『ごめんなさいごめんなさいごめんなさいこんな疫病女がこんな所に居ては店潰れますよねそうですよね山にこもります!!』


 ……予想以上のビビリっぷりだ。そこまで怯えなくていいだろ、と思わず声に出そうになったが慌てて口を閉じる。この蓑部さんもそしてマダムも、俺がさとりだということを知らないのだから。

「その子は私の家で居候している」

「はぁ、マダムの家に。近くにあるんです?」

「この店が家だ」

「……ええっ!?ど、どこで寝泊りを!?」

「二階」

 そう言ってマダムは天井を指差す。まさかここで寝泊りしてたのか、マダムの落ち着いた佇まいから案外良い物件に住んでるお金持ちだったり、と勘ぐっていたが全くのはずれだったらしい。

「なので遅くても心配はいらない。働く日はきちんと最後の掃除まで手伝わせるつもりだ」

「えええええっ!!!??あ!ごめんなさいすみません!!」

 君が驚いてどうするバイトの蓑部さん。

「え、えっとですねあああのそそそうだ珈琲いれましょうか!!こっここの珈琲美味しいそですよ!!」

「悪いけど遠慮するよ、二杯もいらねぇし」

「そっっつそーぉーですよね!!ごめんなさい無能でしてあっはははは!!あ!!肩揉みますぅー!?」

「いや別に

「ちょっと持って何言ってんの私そんな事したら肩が二度と使い物にならなくなるじゃない!!」

「そこまで力強いの!?」

 蓑部さんは自分でパニックに陥っている。そしてどうやら心の声と同じ様に喋る子のようだ、悪い意味で素直なのかもしれない。

 というより、何故こんなに自分を卑下しているのやら。

「蓑部」

「うぇっはい!?」

「ここはいいから、本棚の掃除を頼む」

「え、えと……はい」

 マダムの言葉に従い、蓑部さんは静かに掃除用具を取りに行った。

「あの子は…………かなりのドジっ子らしい」

「ドジっ子、ですか」

 マダムの口からドジっ子という可愛らしい言葉が出てきた事に驚いたが、そういうことか。要領が悪くそれを自覚しているからこそ、あんな風に必要以上に謝ってきたりしてきたのか。

「昨日も床を拭いていて、色々あって本棚が1つ壊れた」

「それドジっ子ってレベルじゃないと思いますよ!?どうしたらあの大きな本棚壊れるんですか!?」

「そんな不器用な自分をどうすることも出来ず、周りからも孤立してしまいここまで逃げてきたらしい」

 少々の失敗程度で、とも思うが、あの態度をみるからによっぽど間違いをおかしてしまったのだろうか。それも自分のプライドが無くなる位に。

  箒を持った彼女はおずおずと本に積もった埃を払っている。

「見ての通り、あの子は完全に自信を失っている。それを少しでもここで回復させてやれたらと思うんだ」

「…………」

 ゆっくりと掃除をするその顔は、とても泣きそうに見えた。




『あぁ……。この体質はともかく、私に人の心が読める力があったらなぁ。そしたらあのお客様のしてほしい事が分かって、何かしてあげられたかもしれないのに。それにマダムさんのしてほしい事とかも……』


『それ以前に、もしかしたら学校の友達とかのしてほしい事も分かってそれをきっかけに友達ができたり、もっと、もっと上手く生きる事が出来たのかも』


「…………」

 そんなものあったって君の現状は何も変わらない。いや、もっと不幸になるだけだ。

 そう思いはするが決して俺は口には出さない。可哀想だな、とは思っても目を向けずに、聞かなかったふりをする。深い関わりも無い以上俺が何かを言う必要なんてないんだ。あの子はこのまま不幸になるかもしれないし、幸せになれるかもしれない。けどそうなった所で俺になんの関係もない。

 気にしない。線を引く。深入りしない。これが人生で学んだ処世術だ。

 俺は彼女に背を向け、再び小説に意識を集中した。


『いやいやいやきっと無理無理無理無理無理はっはははははー!!!なに考えてんの蓑部紗子このウジムシミトコンドリアバクテリア女!!私なんか……私なんかがそんな超能力を持ったってより多くの人を不幸にするだけじゃない』


「…………」


『だって私が心読むじゃん?その人びっくりするじゃん?気分悪くなるじゃん?それを見た周りの人も釣られて体調悪くなって世界は未曾有の大パニックああああああごめんなさい!!幸せに生きようとしてゴメンナサイ!!!死にます!!あ、やっぱ勇気でない無理かもごめんなさい無能で臆病なごみでごめんなさい!!!』


「…………」


『はぁどうやったら誰にも迷惑かけずにひっそりと慎ましく生きれるんだろう。無人島に行けばいいのかな、でもお金。そうだここのバイト資金で無人島に行こう。そこで静かに生き静かに死のうそうだそうだそれが良い!よーし希望が出てきたすっごく頑張ってお金を稼ぐぞちょっと待って初日にそう思って無駄に空回りして高価な本を沢山ダメにしたじゃない私の馬鹿うふふふ学習しない馬鹿ふふふ価値の無い馬鹿名前変えよう蓑部馬鹿にしようそうしよう』


「…………」


『そうだ、マダムさんがこんな私にも、店を手伝ってと言ってくださったわけだしせめてここに居る間は少しでもマダムさんやお客様の迷惑にならないよう密やかに隅っこで空気のようにあっ、これ空気に失礼かな……。うん、真空で生きよう。真空ってどうするんだろう、空気がない状態なんだから息を止めればいいのかな、よしせーの……いち……に……さやっぱ無理だ私はなんて無能なんだああ!!!』


「…………」

 やっぱうるさいな、こいつ。


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