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2.九尾勇太は今日も悩む。

 俺には毎朝必ずする日課がある、それは長い長い神社の階段をダッシュで駆け上がることだ。これは中学校に上がってから一度も欠かしたことは無い。雨の日でも風の日でも、どんなに苦しい時も俺はあの長い長いながーい階段を走ってきた。

 これは修行だ。

 カッコイイ大人の男になる為の修行。

 中学三年になり体つきもガッシリしてきて、身長もクラスで一番低かったのがなんと六番目にまであがったりもした。三十人中六番目だとかまさに快挙、背の順で並んだ時に腰に手を当てなくて良い日が来るだなんて。

 しかし、こんな所で満足する俺ではない。カッコイイ男とは常に上を目指し、影でひっそりとしかしクールに熱く努力するものなのだ。

「つまんね」

「ハァ!?」

 だらしなく胡座をかくこの坊主は、そう言って話の腰を折りにかかった。

「だってよ勇太君。君みたいな乙女ゲーとかに出てきそうなきゃるるん☆フェイスのクソチビショタが、自分では到底たどり着くことの出来ないイイ男に憧れて無駄な努力するとかもうそんなのテンプレ過ぎ。ありきたり。見飽きてお腹いっぱい」

「な……ち、チビって言うな!」

「チビにチビって言ってなーにが悪いよミニマムおチビちゃん」

「うるせー!だからチビじゃねえ!つーか別に良いだろ、俺が何したって」

「いやいやいやー低身長と童顔が悩みな中坊ってだけでも昔から量産されまくってんのに、そこにツンデレで小生意気でエッチな事に耐性が無くって、その上狐属性が付いてるとかもうあざとい。あざとい通り越してつまらない。もうちょっとキャラに面白味を出すべきだよし、これからは趣味は毎晩部屋でお米の粒を一粒づつ黒く塗るってのにしよう!」

「それ、面白いのか……?」

 俺の素朴な疑問は坊主の……っていうか坊主の格好しただけの、このおっさんの屁の音でかき消された。こいつ、真後ろに仏像がある状態でよくそんな事出来るな。前から思っていたけど本当にこのお寺で一番偉い人なの?木魚叩くよりパチンコ台叩いてる姿の方がよっぽど似合うぞ。

 お寺のお堂という静かな場所でボリボリ煎餅を食いながら、おっさんは遠い目をして言う。

「あーぁ、勇太君は良いよな。どうせ学校ではおっぱいの大きい短いタイトスカートのムチムチな女教師が『ボク、まだ下の毛、生えてないんだって?ウフフ可愛い、焦らなくてもいいのよ。大人になるってそういう事じゃないの。え、じゃあどういう事かって?それじゃあ先生が教えてあ・げ・る』とか言って放課後の教室で保健の授業するんだろ。ハァーーーーー羨ましい!!」

「しねーよんなこと!何だそれ、変なゲームのやり過ぎなんじゃねえの!?」

「僕もおっぱいの大きい美人教師に下の毛チェックされたい……たわしの如き剛毛を見て欲しいのにさ、現実はこんなにも非情なんだよね。何で僕僧職系男子なんかやってんだろ、お寺にはすごいエッチな女子校生もすごいエッチな団地妻もすごいエッチなOLもこないっていうのにさ。来るのはすごい無駄に元気なばーさん共くらいだし」

 駄目だこのおっさん、どんどん変態っぷりに磨きがかかっている。本当なんで坊主なんかやってんだアンタ。

 それでも悲しいかなこの悩みを相談できる大人を他に知らないので、クールに受け流し続きを話さなきゃいけない。たった一回邪魔された位で怒るようではまだ修行が足りない、相手の雰囲気に呑まれる様ではお子様だってことを俺は知っている。なのでバンバンと強く畳を叩いておっさんの意識をこっちに戻させた。

「話を元に戻すぞ。それで、今日の朝も神社の階段を走ってたんだ。そしたら一番上に着いたら珍しく神社にお参りしている人が居たんだよ」

 少なくともこの町の奴らはあそこに手を合わせたりしない、だってあの神社はそんな事をしても意味が無い場所だからだ。

 不思議に思った俺は鳥居の影から様子を伺った。手を合わせていたのは女の人で、何を言ってるかは聞こえないけど必死にお願いをしていた。よっぽど叶えて欲しかったのか、財布を取り出してお金を入れようとしている。そんな事しても無駄なのに。

 そこでカッコイイ大人の男を目指す俺は、スマートに教えてやろうとお姉さんの近づいた。

 しかしその時突然、


『ひゃーーーー!!』


 強い風が吹いて、お姉さんの右手からなんと一万円を巻き上げたのだ。一万円のヤバさはよく知っている。だってあれがあればコンビニのアイスも食べ放題だし、ポテチやチョコバーだって沢山買えるし。

 風に乗り頭上を飛び越え階段を滑るように落ちていく一万円札、それを取ろうと踵を返し慌てて階段を駆け下りる俺。毎日の修行のお陰か差はすぐに縮まり、あとちょっとで追いつくという距離になった。ヒラヒラと踊りながら逃げる諭吉まであと5cm、3cm、もう少し。右足に力を込め、勢い良く前に飛ぶ俺。空中で華麗にキャッチする俺。カッコイイ俺!

 そしてほぼ同時に、背中に人がぶつかった様な衝撃が走る俺。

『ぎゃーーーーーー!!!!』

 予想外の出来事に悲鳴をあげ、バランスを崩しそのまま階段を最後まで転げ落ちた。随分長く転がった気もしたが運良く怪我はなく、地面からは普通に起き上がれた。イタタ、という声の主──さっきぶつかって一緒に転がり落ちた、一万円のお姉さんはまだ尻餅を付いている。

 本当はこの背中の痛みについて文句を言いたかった所だったけどそこは修行を積む俺。転んだ女性が目の前に居る場合、カッコイイ大人の男はどういう行動を取るべきかをすぐ実践することが出来る。

 それは勿論、スッと手を差し出し大丈夫かい?とクールに言い、せめてお名前でもと縋る相手に名乗るほどの者でも無いさベイベーって笑う、この流れだ。俺はすかさずお姉さんに近寄り右手を差し出す、そしてこう言った。

『立ちな、お姉さん。歩けるかい』

 決まった。精一杯力を込めて出した低音もイメージ通り、いつもお風呂の時にしている発声トレーニングが役にたった。しかし、ここからがいけなかった。

『み、みみ……』

『へ?』

 俺の頭の部分を驚いた表情で凝視するお姉さん。何か付いてるんだろうかと触る。モフッとした感触。触り心地が良い、触り慣れた、よく触ったことがある感触。

 俺が触っているのは紛れもなく、自分の頭の上から生えている“狐の耳”だった。

 そう。人間に俺の正体──狐の妖怪である姿を、見られてしまったのだ。


「ヤバイよなこれ確実に正体バレたよな!?びっくりしてそのままダッシュで逃げちゃったけど警察とかにテレビ局とか動物園とかに通報されてないよな!?」

「ふーん」

「話聞いてた!?」

「聞いてた聞いてた。大変だったねーそんな強いドラゴン倒すなんて」

「全っ然聞いてねぇじゃねぇか!あとエロ本読むのやめろ!」

「読む?」

「誰が読むか!鼻もほじんな!」

 中学生の前で堂々とエロ本読むとか、もうダメだよこの大人。誰だよこんなおっさんにお寺のお坊さんなんて任せた奴。髭は生えてるし坊主なのに頭ツルツルじゃないし、煙草吸うし変態だしいい加減だし変態だし、加齢臭するし変態だし。俺の耳を元に戻したりとかの不思議な力を持ってなかったら絶対関わりたくないタイプの大人だ。俺の目指すカッコイイ男と正反対。

 本当、せめて困っている人の話くらいは聞いてくれ。泣きそうな声で向かいに座るおっさんに言った。

「……じゃあ、一つ聞く」

 だらけた表情をしていたおっさんの顔が急にキリッと引き締まる。お、ようやく真面目に聞いてくれる気になったのか。遅ぇよ、と殴りたかった所をグッとこらえ、俺も畳の上で正座になる。

「どさくさに紛れてさ、おっぱい揉んだ?」

「いやそんな暇なかった」

「パンツ何色だった?」

「ズボンだった」

「じゃあ顔。可愛かった?」

「んー微妙。なんか田舎っぽい」

「はい解散!!」

「ちょっとぉ!」

 期待した俺が馬鹿だった。エロ本を放り投げそのままお寺の奥に帰ろうとするおっさんの背中に向け、思いっきりさっきのエロ本を投げつける。こいつはでかい割に動きが鈍いので、見事ど真ん中にクリーンヒットした。

「痛って何すんだクソガキ!徳の高い僧侶になんて真似を!バチ当たるぞ!」

「まっ昼間からエロ本読んでる奴が偉いわけねーだろバーカ!」

「何おう!?くらえすごい法力ビーム!」

「ぐおおーやーらーれーるかバカじゃねえの!!」

「……はぁ。あのね、君が心配するほどそのお姉さんは気に止めてないと思うよ。何だったんだろうあれ、くらいにしか思ってないって。それに。人間に見られたの、これで何回目になるかな」

「そ、それは……」

 確かに。人間の前で姿を現したのは、これが初めてじゃなかったりする。


 俺は狐の妖怪と人間とのハーフだ。正しく言うなら、ハーフの一族の末裔ってことになるけども。

 俺達九尾ここのお一族は、ご先祖さまである狐の大妖怪とどこかの村の娘の禁断の恋が始まり。が、それはもう遠い遠い昔話として語り継がれている伝説みたいなものだ、正直本当かどうかは分からない。狐の妖怪の尻尾は九本あったりとか無かったりとか、村娘じゃなく何処かの別の妖怪だとか、途中途中で内容があやふやになっているし。

 始めの代の奴らは妖怪の血が濃く、人間に“化け”ヒトとして日常に紛れ込んでいたみたいだけど、長い時間をに人間として過ごし、人と結婚したりした結果その血もどんどん薄くなっていった。そして、今の家系で変化が使える奴は誰ひとり居なくなった。化けなくても見た目は完全に人間だし、油揚げも特に好物って訳じゃない。

 それでも完全な人間になった訳でもない。唯一遺伝として残った大妖怪の要素は、“大きな感情の変化で狐耳と尻尾が生えてくる”事。非常に地味だけど、地味に厄介でもある。

「おねしょをした衝撃で生え、恐いオニーサンに絡まれた恐怖で生え、道で転んだから生え。後なんだっけ、告白して振られた悲しさで生えてたっけ」

「最後はちげーよ!ほ、他は合ってる」

「姿が完全に狐になるってことじゃないし、すぐ逃げたんなら見間違いかなってすましてくれるもんだ。人間って意外といい加減だからね。だから起こってしまった事を悩むより、今は力のコントロールが出来るよう頑張らないと。生えてしまった度に僕に頼ってちゃ後々大変だよ」

「わかってるよ……」

 いくら狐耳と尻尾が生えるだけでそれ以外は人間となんら変わらない……かといって、堂々と人間の前にこの姿を晒してはいけない。狐耳が生える人間なんて居るわけないんだから、バレてしまえば見世物にされるとかどこかの病院の研究材料にとか悲惨な目に会うことは分かっている。俺も、俺の家族も。

 だからこそ今まで秘密を守ってきたんだ。

「予防策はほんのちょっと平静を保つ事、生えたものを自分で戻す方法は平静を取り戻す事。簡単なことじゃん。君ら一族は人間社会に溶け込む道を選んだんだから、それ相応の努力はしないと」

 理屈では分かっている。パパ、じゃなくて親父やお袋からも何回もお説教された。でもどうしたってびっくりする時はしてしまうもんじゃないか、とも思ってしまう。これはやっぱり、俺がまだ子供だからってことなんだろう。

「ま、近くの落ち着きのあるカッコイイ大人を見習って頑張りなさいな。そう、例えば僕みたいなね」

「おっさん、背中に血まみれの女の幽霊が」

「ああああああああーーーーーーーー!!!!!!どこ!?!?どこどこどこ!?!?」

 ……少なくともこのおっさんからは何一つ学べないな。

 結局いつもの通り、気にするなからのお説教の流れに溜息をついた。畳の上に寝転ぶと、高く古くそして薄暗い天井が目に入る。今の俺の心とよく似た、どんよりとした空間。

「早く大人になりたい。カッコイイ大人の男になりたい」

 そうすればこんなに一々悩むことも、こんなおっさんに頼ることもないのに。

 俺はまだまだ子供だ。ほんの少しの事に心をぐちゃぐちゃにされる自分がすごく嫌だ。だから鍛えなきゃいけない、修行して修行して修行して、早く落ち着いたカッコイイ大人の男になるんだ。

 こんな事で悩まないように。

「よし、走ってくる!大人になる為にはまず体力作りだからな!」

 勢いよく身体を起こして出口のふすまを開ければ、太陽が高く昇った青空が見えた。

 いつまでもウジウジしていても何もならない。悔しいけどおっさんの言う通り、いつまでも頼ってばかりじゃいけないんだ。頬をパン、と叩いて気合を注入。

「勇太くんって、いっつも頑張りが変な方向に行ってんだよなぁ……この町にいる限りは大丈夫だろうけど」

「何か言ったかおっさん」

 ぼそっ、っと何か言われた気がしたが、こいつの事だからどうせ大した話じゃないだろう。

 おっさんは自分が散らかしたゴミを片付けながら言う。

「べっつにー。元気になったみたいで嬉しいって言ったの」

「お、落ち込んでなんかねーし!」

「まぁ頑張りたまえその修行。健全な精神は健全な肉体に宿るって言うから、そうやって鍛えたら案外本当に動揺しない心が身につくかもね。本当は僕の友達の“気を張ることのプロ”を紹介してあげたいとこなんだけども」

「気を張るプロ?何だそりゃ」

「どんな事があっても常に平静を保っていられる奴がいるんだよ」

「そんな人が居んのか!?」

 おっさんの友達って言うからどうしようも無い奴だと思ったけど、それが本当なら会ってみたい。

「あ、でもアイツ予想出来ないことには普通にびっくりするわ」

「ダメじゃねぇかそれ!」

 プロでもなんでもないじゃんかそれは。

「じゃあなおっさん。今日はちょっと変なことがあったからあれだけど、最近特に調子が良いしこのまま行けばもう世話にならなくなるかもしれねーから!」

 最近修行の成果が現れたみたいで、前よりも耳と尻尾が出てくる回数が少なくなった。毎朝のコーヒーに入れるミルクを少なくしたのが特に効いているんだと思う。これはきっと、あと三ヶ月もしたらカッコイイ大人の男になってるに違いない。

「もうちょっとしたらこの寺に来ることも無くなるだろうけど、せいぜい寂しがんなよ!」

「ほーそりゃ楽しみだ」

 軽く笑うおっさんの声を背に、俺は庭へと飛び出した。もう寺に来ないのかよぉ~構ってくれよぉ~なんて泣きつく未来のアイツの姿を想像しながら軽やかに走り出す。

「そういえば勇太君!」

 遠くから呼び止めるおっさんの声。

「ずっと言おうと思ってたんだけど!」

「何だよ!?」

「さっきからズボンが破れててお尻が丸見えだよ!」

「……は?」

 ま、またまたー。いつもみたいに俺をからかおうとしたってそうはいかないぞ。俺ばっかり成長してないで、いい加減おっさんも真面目に大人になってほしいものだ。

 駆け足を止めずにお尻に手を当てれば、ほら。


「ってホントに破れてんじゃねえか!!」


 俺の叫びと共に、頭とお尻から何かが生えた感覚がした。

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