その1 その2
我が家の一日 その1
私がまだ幼稚園に行っていない
昭和32年ごろの我が家の一日です。
父・母・兄は、
夏の野菜の出荷があるときは
たぶん午前3時ごろ
冬でも5時半ごろ起きて
「朝の間仕事」に出かけます。
母は、先に帰ってきて
朝ごはんを炊きます。
私は、麦ご飯の炊ける(焦げる)パチパチという音で目が覚めます。
私が起きると
母は、私を寝巻きから昼の着物に着替えさしてくれます。
それから「ちょうず」を使います。
上方落語のねたにもなっている
「ちょうず」とは朝に顔を
洗うことです。
アルミの「かなだらい」に水を汲んで
使います。
厳寒のときはお湯を母は入れてくれます。
歯も磨きます。
歯ブラシはたぶん木でできていたような気がします。
歯ブラシに水をつけて
歯磨き粉をつけて磨きます。
こう書けば今と変わらないと読者の方はお思いになられると思います。
しかし今は「歯磨き粉」ではなく「練り歯磨き」です。
当時は箱に入った歯磨き粉を使っていましたから
歯ブラシを濡らさないと粉が付いてきません。
「歯ブラシに水をつけて歯磨き粉を使う」と言う語法は昔の名残ですね。
私は現在は「水をつけずに練り歯磨きで」1日に6回以上磨いています。
皆様はどのように今は表現していますか
そのような些細なこと気にも留めませんよね。
我が家の一日 その2
7時過ぎになると父と兄が帰ってきて
足を洗って「ちょうず」を使います。
私は
朝はじめて父母兄に会ったときは
わかるような大きな声で
「おはようございます」
と言わなければなりません。
台所の板間に置いてある
丸いお膳に座ります。
普通は、「ちゃぶだい」と言われるものです。
また別に機会にいいますが、
お膳とちゃぶだいは、違いますよね。
でも我が家では、お膳と言っていました。
このお膳には、中央に四角い穴が開いていて
蓋があります。
ここに「かんてき」(ひちりんのことです)を入れてすき焼きをするのです。
普通は、すき焼きなど絶対にしませんから
そこの蓋が取られるのを見たことはありません。
家族全員が揃わないと
食べ始めることはできません。
朝のメニューは麦ご飯と野菜の味噌汁・季節のお漬物です。
みんな揃うと父が「頂きます」と言うと
ほかの者も「いただきます」と続きます。
食べ始めると「おかわり」「おしょうゆ」などの
言葉以外の言葉はありません。
ただモクモクと食べます。
ほかの事を言うと
本当に「ちゃぶ台返し」があるので言えません。
どのくらいの量を食べるかと言うと
兄はどんぶり鉢で3から5杯くらいです。
父母もそれより少し少ないくらい
5歳の私も麦ご飯をお茶碗に3杯くらいです。
それから山と詰まれたお漬物はなくなります。
父は少し卑近ですが
「早飯 早くそ も 芸のうち」
と言って早く食べることを勧めていました。
父が食べ終わってから まもなくみんなも終わります。
みんなが「ごちそうさま」と言った後は、
しゃべってもいいのですが、
あまり父と話した覚えはありません。
しばらくお膳で一服します。
だからと言って横になることはできません。
父の「作業」の号令があると、全員お膳を離れて
仕事に行きます。
この時代は、歯磨きは、朝起きたときのみです。
この時代は歯磨き一回ですよね。
皆さんはどうでした。