第10話
温かい家に帰れる事…扉を開ければ『おかえり』と出迎えてくれる事…それがどんなに、掛け替えが無くて幸せな事だったか。
今更ながら、痛感させられた。
思えば、彼女との出会いは最悪といえば最悪だ。
自分が彼女を凶悪な侵略者と思い込み、一方的に斬りかかった上に返り討ちにされてしまうなど…無かった事にしたいくらいの過去だ。
その後、自分の押しの弱さも災いして彼女が半ば無理やり自分の家に転がり込んできた。
確かに彼女の生い立ちには道場せざるを得ない部分はあるし、女性1人を路頭に迷わせる訳には行かないという思いは無きにしも非ずだが、正直何故自分がこんな事に巻き込まれなければならないのが…疑問で仕方なかった。
けれど、それも最初のうちだけ。
次第に、彼女がいつも一緒に居てくれる事が、セオにとっての日常に変わっていった。
「レネードさん、ずっと探していた自分の過去が、見つかったんだよな…」
掠れたか細い声が、冷え切った空間に染み渡る。
──そうだ、彼女はずっと自分の失われた過去を探していたのだし、自分も彼女の記憶が戻る事を願っていた。
だから、この現状は本来ならば喜ばしい筈なのに。
どうしても、両手を上げて喜ぶ事が出来ずにいる。
多分…その理由は自分でも痛いくらい分かっている、と思う。
彼女は過去の記憶が蘇った代わりに、自分との記憶を全て失ってしまった。
それが彼女にとって良い事なのか悪い事なのか…セオには判断する術を持たない。
彼女は、かつての大切な人と共に、自分の前から姿を消してしまった。
彼女が幸せになってくれるのなら…自分が間男になるつもりなど微塵もない。
自分もまた、彼女の幸せを願って止まないのだから。
けれど、その中に自分が入る事は許されない。
自分が身を退けば、この話はもうお仕舞い。
それは分かっている。分かっている…筈なのに。
理解は出来ても、心が納得してくれない。
「もう一度だけ…レネードさんに会いたい…」
口元から零れ落ちたセオの本心は、孤独な空間に溶けていった。
◆◇◆
「……何の用だ?」
「おやおや、一応私、貴方の主なのですが…それにしても貴方、一国の王子に対して、随分な口ぶりですねぇ」
一般人には到底理解し得ぬ難解な魔術書が山のように積み重なり、魔術を行う為に必要な様々な怪しげな道具が所狭しと並べられている、何処か胡散臭ささえ漂う部屋。
しかも、窓と言う窓にはカーテンが閉められ日差しさえ遮られてしまうせいで、部屋は何処か薄暗く不気味でさえある。
この部屋の主──オブセシオンは、招かれざる客にあからさまに不愉快そうに眉をしかめつつ、追い払う訳にもいかないので渋々客を部屋に招き入れた。
そんな招かれざる客であるロゼルタは相変わらず飄々とした態度を崩さず、軽く嫌味をぶつけてからふと気になった事を問い掛けた。
「そういえば…あの女性は?」
「……、レネードなら、部屋の奥で寝ている。…彼女に危害でも加えようものなら、例え王子であろうと容赦はせぬぞ」
「まさか、ちょっと気になったので聞いただけですよ。そもそも、私とあの女性には面識がまるで無いのですから。…全く、彼女の事となると穏やかではないですねぇ」
レネードの事となると、急にムキになるのだからある意味始末に負えない。
一睨みで相手を射殺せそうなくらい鋭い眼差しで睨み付けられるものの、ロゼルタはわざとらしく両手を上げておどけてみせた。
「…まぁ、余談はこの辺にしておきましょう。本題に入りましょうか」
「本題…? 何だ?」
不意に、今まで纏っていた胡散臭い雰囲気が消え失せ、代わりに真剣な面持ちへと変わる。