第1話
「…よし、とりあえずはこれで良かろう」
僅かな安堵を孕んだ、セルネの声が辺りに響き渡る。
──あれから一同は、セルネの言葉の通り彼女の自室へとやってくると、だだっ広い部屋の片隅に置かれたベッドにユトナを寝かせ、ようやく一段落着いた所。
依然としてユトナは目を覚ます気配も無く、ただ昏々と眠り続けるばかり。
そんな彼女を見つめるロゼルタの眼差しは、今にも後悔と罪悪感で押し潰されそうな、悲痛の重いに支配されていた。
「あの…落ち着いた所で、僕が気絶している間、何があったのか教えてもらえるかなー、なんて…」
「ああ、そういえば説明する約束じゃったな。まぁ、お主も巻き込まれてしまった形である故、知る権利はあるじゃろう」
おずおずと躊躇いがちに話を切り出すシノアに、そういえば、と今更思い出したらしいセルネ。
一呼吸置いてから、ゆっくりと彼女は口を開いて語り出す。
レネードの事、オブセシオンの事、そしてユトナの身に何が起こったのかを…。
暫くの間、説明するセルネの鈴の鳴るような声だけが辺りに響き渡る。
そして最後の言葉を紡いだ刹那、彼女も…そしてセオもロゼルタも、予想だにしない事態が巻き起こった。
ダン! と何かが激しく壁に打ち付けられる音が部屋中に響き渡る。
それもその筈、いきなりシノアがロゼルタに掴み掛るなり、そのまま壁に追い込んでロゼルタの背中を激しく壁に打ち付けたのだ。
普段、温厚でどちらかといえば臆病、争い事や荒っぽい真似を嫌うシノアにしては珍しい行動であり、それ故にセオもセルネも驚きを隠せない模様。
慌てて引き留めようと2人の間に割って入ろうとしたセオの視界に、シノアの顔が映り込んだ。
幼馴染として幼い頃からの付き合いではあるが、果たしてこんな姿のシノアを今まで目の当たりにした事があるだろうか。
それ程までに強い憤怒に支配され、まるで鬼のような形相でロゼルタを睨み付けるばかり。
一方のロゼルタといえば、シノアにされるがままで全く抵抗しようとはせず、その上俯いている為顔を窺う事は出来なかった。
「ちょっ、とりあえずシノア落ち着けって! 君らしくないじゃないか、こんな取り乱すなんて」
「こんな状況で落ち着ける訳ないでしょ!? 何で…何でユトナがこんな目に遭わなきゃいけないのさ!? 若様…何で貴方、ユトナを売るような真似したの!? よくもユトナを…絶対許さない…!」
物心ついた時から、ずっと彼女は傍に居た。
孤児院に居て、その後里親の下へ行き…状況は移り変わっていったけれど、ユトナが傍に居る事、それだけは変わらなかった。
シノアにとって、ユトナが傍に居る事が日常。最早、彼にとってユトナは自分の半身に近い存在なのかもしれない。
だからこそ、湧き上がる怒りを抑え切れなかったのかもしれない。
セオの制止も聞かずにロゼルタの胸ぐらを掴んで詰め寄るシノアであったが、そこでようやくロゼルタの口からか細い声が零れ落ちた。
「…すみません、でした。今更謝った所で、如何にもならない事は分かってはいます。自分がいかに、愚かな事に手を染めてしまったかも…。けれど、まさかこんな事になるとは、思わなかったんです…」
ゆっくりと顔を上げたロゼルタの双眸は、深い絶望と悔恨に彩られ光を失ってしまったよう。
いつも余裕たっぷりで微笑みを絶やさないロゼルタとは思えない程の衰弱ぶりであった。
「……っ、今更そんな言い訳が通用するなんて…」
「…シノア、いい加減にせんか。妾としても、そなたが何故オブセシオンに手を貸していたのか、疑問に思っていた所じゃ。それに、その様子からすると詳細は知らなかったのじゃろう? もし、自分の行いに後悔しているのならば、妾達に洗いざらい白状するが良い」
このままでは埒が明かないと判断したのか、シノアとロゼルタを交互に見遣りつつ話を切り出すセルネ。
シノアもまだ怒りは収まっていないようであったが、とりあえず話があるなら聞いてやろう、とでも言いたげにロゼルタを睨み付けてから、ようやく胸元から手を離した。
ロゼルタは一同の視線を一手に引き受けながら、ポツリポツリと語り始めた。