第10話
右手に構えた剣は前に突出し、左手に手にしたもう一つの剣は小脇に抱えるように構える。
そして、再度黒い霧へ向かって地面を強く蹴り上げた。
同時に無数の炎の矢がユトナ目掛けて発射される。
ユトナは一瞬矢へと視線を向けたかと思えば瞬時に矢の軌道を見切れば、まるでジグザグを描くように駆けるユトナ。
当たりに焦げ臭い匂いが充満するがまるで気にする素振りもなくさらに距離を縮めていった。
『くっ、ちょこまかと猿のように動き回りおって…。だが、娘は我が手中にある事を忘れるでないぞ?』
「…フン、それがどーしたってんだ! まずはてめーを倒す事が先決だ!」
霧の脅しにも全く屈する様子は無く、むしろ爛々と輝いた瞳は闘志を宿しており。
…と、目の前に迫ってきた炎の矢を剣で弾き飛ばしてから、さらに地面を蹴り上げ高く跳躍する。
狙うは黒い霧。
しかし、霧は娼婦の身体に纏わりついていてもし霧を斬ろうとすれば、共に彼女の身体も切り裂いてしまうだろう。
それが分かっているのにも関わらず、何の躊躇いもなく右手に構えた剣を振り上げた。
迫り来る刃。
思わず目を固く閉じる娼婦、まさか人質ごと斬るとは思っていなかったのか驚きを隠せない黒い霧。
眼前に迫る刃は女性の身体ごと霧を切り裂いた──…
……かに見えた。
『……!?』
辺りの風を切り裂きながら放たれた刃は直前でピタリと止まり、霧どころか娼婦の身体さえ掠り傷一つ負わせる事は無かった。
途端、ユトナの唇がニヤッと吊り上げられる。
「…へっ、バーカ本気で斬る訳ねーだろ?」
『な、何だと……っ!?』
ようやく魔物は理解したのだろう、ユトナの真意を。
しかし、今更気づいた所で時すでに遅し。
何故なら、ユトナが左手に持った剣が今まさに霧目掛けて振り下ろされんとしているから。
──否、正確に言うならば、ユトナが狙っているのは霧自身では無く…霧が所持している魔耀石。
ゴツ、と何かがぶつかるような音と共に、剣の切っ先と魔耀石がぶつかり合う。
だが、魔耀石は魔力を宿しているからか相当の硬度を保つ石。
そう簡単には砕けないだろう。
「くっそ、どんだけ固いんだよこの石……っ!?」
ギリッと歯を強く噛み締めながら渾身の力を込めるユトナ。
…刹那、ユトナの身体の奥がざわめくのを感じた。
──ドクン。
身体が…というより胸の奥が大きく脈打つ。
ユトナ自身、これが何なのか分からないのか訝しげに眉をしかめるばかり。
…と同時に、信じられない光景が目の前で繰り広げられた。
パキン、という音と共に魔耀石が粉々に砕け散ったのだ。
『ま、まさか…そんな馬鹿な!? 魔耀石が砕け散るだと…!?』
「よっしゃ、何かよく分かねーけど上手く行ったぜ!」
驚愕の声が響き渡ったかと思えば、一瞬にして力を失った魔物は娼婦の身体から離れていく。
形勢がこちらに傾いてきたのを、ユトナが見逃す筈も無かった。
「おい、大丈夫か? とっとと逃げようぜ!」
「…は、はい…」
娼婦は自由になったもののかなり体力を消耗しているようで、か細く返答してみせる。
ユトナはそんな彼女の手を引くと、一目散に出口へ向けて駆け出した。
娼婦さえ救出出来れば、もう此処には用は無い。
暫く全力疾走していると、鏡の外と繋がっていると思しき四角い扉のようなものが見えた。
「よし、あれが出口だ! 一気にあの扉みてーなのに飛び込むぜ!」
「分かりました…でも、大丈夫なんでしょうか…?」
「平気だって、早くしねーとあの霧が追っかけてくるかもしんねーぞ」
ユトナは未だ不安そうに眉を下げる娼婦の腕を強く引いて、一緒に扉のようなものへ飛び込む。
一瞬眩い光に包まれて視界が真っ白になり、次第に開けた視界の先に広がっていたものはいつも通りの娼館に、心配そうな表情を浮かべる娼婦達、そして青年の姿があった。