第15話
「全く…レネードはふらりと1人で何処かへ行ってしまう癖は、昔から変わらんな」
肺の奥に溜まった息を吐き出しながら、綺麗に清掃が行き届いた城の廊下を歩くのは国の宮廷魔術師──オブセシオン。
僅かな不安と焦り、しかしながら昔を懐かしむような感情を孕んだ表情を浮かべ、どうやらレネードを探しているらしい。
おそらく、レネードは彼に何も告げずに裏庭へ行ってしまったのだろう。
自由奔放で気紛れな所は、記憶があっても無くても変わらないらしい。どうやらレネードの根っからの気質なのだろう。
もしや、何かの事件に巻き込まれたのではないか、何者かの手により連れ出されてしまったのではないか──そんな邪推が不意に脳裏を掠めるも、それはすぐに彼の頭の外へ追いやられる羽目となる。
否、そんな事がある筈もあるまい…そういえば、記憶を失ったレネードと親しくしていたらしい男はいるようだが、レネードには夢魔になってからの一切の記憶を封印させたのだから、レネードがそれを覚えている筈も無い。
だったら、その男もわざわざリスクの高い真似はしないだろう。
もう二度と…彼女を失いたくは無い。
十数年前のあの時も…レネードが不治の病に罹ったと知った時も、同じような思いを抱いていた。
だからこそ自分は出来る限りの事をして、手を尽くしたつもりだった。
けれど、彼女は一切の記憶を失っていた…自分の事さえ、彼女の頭の中から消え去っていた。
記憶を失った彼女は、最早自分が知っている彼女とは全くの別人としか見えなくて。
おそらく、そんな思いが知らず知らずのうちに態度に出ていたのだろう…それを瞬時に察したのか、レネードは全く記憶にない自分を拒絶し、ある日突然行方をくらました。
今思えば、彼女を何処かに閉じ込めて、誰にも接触させない状態にしてから記憶を取り戻る為の方法を模索すれば良かったのかもしれない…しかし、今更思いを巡らせても詮無き事。
随分と回り道をしてしまったが、こうしてようやく我が悲願は果たされたのだから。
だからこそ、もう誰にも邪魔はさせない。
歪んだ独占欲と嫉妬心が、次第にオブセシオンの心を塗り潰してゆく。
オブセシオンはそこで思考の渦から這い上がると、今はレネードを探す事だけに専念する。
城内は粗方探し終わった為、もしいるなら街に出てしまったか、それとも城の中庭か…あれこれ思案を巡らせるオブセシオンの視界の隅に映り込んだのは、窓の外から覗く景色。
おそらくは騎士だろうか──黄緑色の髪、そして青い髪の青年が忙しなく行き交う姿に不穏な雰囲気を何となく嗅ぎ取ったオブセシオンは、無意識のうちに眉間に皺を寄せる。
場所を移動し、別の窓から何か見えないかと目を凝らすオブセシオン。
どうやら裏庭らしいが──視線を彷徨わせるオブセシオンの視界に映り込んだのは、彼を驚愕の渦に叩き落とすには充分過ぎる程であった。
「くっ、階段を使って裏庭へ行くには遠回りだ……仕方ない」
彼にしては珍しく、焦りと狼狽を宿した表情を浮かべれば、階段を使って裏庭へ向かう時間も惜しいと思うくらい逸る気持ちを抑え切れないようだ。
何か思いついたらしいオブセシオンは、窓を開けるとそのまま窓の縁に足を乗せると、何の躊躇いも無く窓から飛び降りたのだ。
勿論、それだけではない。
彼が何やら呪文を口ずさめば、まるで重力から解放されたように彼の身体がふわりと舞い上がったのだ。
まるで翼を用いて羽ばたく鳥のように滑空していけば、あっと言う間に目的地──ひいては此処までしても会いたかった人物の傍へと着地した。
「レネード…! 大丈夫か!?」
「え、シオン…? ど、どうしたの? 空から飛んでくるなんて、びっくりしちゃった」
その人物──レネードは、オブセシオンが窓から飛び降りてきた事に驚きを隠せないようで、目を白黒させるばかり。
しかし、オブセシオンが気に掛けているのはそんな事ではない。
レネードの顔を覗き込み何処も怪我が無いのを確認すれば、鋭い眼差しはとあるものにぶつけられる。
それは、化け物か魔物…としか形容付け難いもの。
体長は数メートルはあるだろうか、全身漆黒の肌に包まれ同色の蝙蝠のような翼を背中から生やし、鋭い鉤爪と牙は餌食になればひとたまりも無いだろう。
自我を失った双眸は、最早何物をも映し出してはいない。