第9話
くっくっく…と悪魔のような笑みを口元に浮かべながら、手をボキボキと鳴らし完全に殴る気満々のユトナ。
これは不味い…このままでは確実にちょっと頭を叩かれるどころの騒ぎでは無く、頭が吹っ飛ばされそうな勢いで殴られるに違いない…! ロゼルタの第六感が警鐘を鳴らしていた。
「やはり、考え直した方が宜しいのでは? それに、そういった危害を加える系以外でお願いしたいのですが…」
「やーだね、オレはこうと決めたら絶対曲げねーし。いっつもオマエにはしてやられてばっかだけど、今日ばかりはオレの勝ちだな~?」
「いえいえ、大体勝ち負けも無いでしょう。それに、私を殴った所で何の利益も無いと思いますが」
「いーんだよ、利益とかそんな小難しい話は。オレがスカッとそりゃそんだけで充分だろ。そんじゃ、覚悟しろよ~?」
必死に食い下がり説得を試みるロゼルタであるが、彼のそんな健気な努力はみるも無残に砕け散った模様。
まるで耳を貸さないユトナは、ふふふふ…と黒い笑みを浮かべながら今にも殺る気…もとい殴る満々である。
じりじりとロゼルタとの距離を縮めて拳を振り上げた、その刹那。
不意に世界が反転するような、足元がふわりと揺らめくような感覚を覚えたかと思えば、ひどい目眩に襲われたユトナはその場にふらついてしまう。
咄嗟に踏ん張ろうとするも身体がまるで言う事を聞いてくれず、そのまま力なく崩れ落ちそうになった、その刹那──…
「…おやおや、貴方も意外と大胆な所があるのですね。いきなり抱き付いて来るとは…」
「……っ、な…っ、だ、違…っ」
ユトナの心臓は破裂せんばかりに一気に心拍数が跳ね上がり、反論する余裕もないらしい。
だが、それも無理は無いだろう。
足元が覚束無くなりその場に倒れ込みそうになったユトナを、咄嗟にロゼルタが抱き留めたのだから。
「成程、分かりました。貴方が私にして欲しい事とはこのような事だったのですね。全く、それならば初めから申せば良いものを…」
「だ、だから…っ、違うっつってんだろ! これはちょっと足元がふらついただけで…」
「おやおや、今更恥ずかしがらなくても」
「オマエ…絶対分かってて言ってんだろ…? つーか早く離せよっ!」
これで上手く話を誘導する事が出来た…と内心ロゼルタはほくそ笑むものの、彼との距離を一気に縮める羽目となってしまったユトナは動揺が最高潮に達しているようで、ロゼルタの策略にも全く気付いていない様子。
この恥ずかしい状況を何とか打破しようとじたばたもがこうとしたが、こんな時に体調不良が祟りまるで身体に力が入らず相変わらずロゼルタの腕の中すっぽり収まったまま。
「それに、この状況が気に入らないのでしたら自ら私を振り解けば済む話でしょう?」
「……っ、それが出来たら苦労しねーよっ! ……足に力が上手く入んなくて、まともに立てねー」
「それでしたら、暫く大人しくしている事を推奨しますよ。その間は、私が支えになりますから」
最早強がっていてもどうにもならないと思ったのだろう、ユトナにしてはしおらしくポツリと小声で本音を漏らす。
未だに心臓がバクバク鼓動を脈打っていて煩いくらいだけれど、先程に比べれば多少は冷静に物事を考えられるようになった…ような気がする。
こうして抱き留められていると、改めてロゼルタも男なのかと認めたくはないが痛感せざるを得ない。
自分をしっかりと支えてくれる腕に、力強さを感じたから。
それに、そもそも自分は何故こんなにも動揺を覚えているのか。
仮に予想外の展開で異性にこんなにも密着する事に動揺を覚えているというのなら、その仮説は根本的な所で破綻するだろう。
何故ならば、異性であるシノアにからかって抱き付いたり、逆にシノアから抱きしめられる事も今まで何度もあったのだから。
では、何故自分の胸はこんなにも高鳴っているのだろう、顔から火が出そうなくらい恥ずかしいのだろう。
けれど、そんな恥ずかしさの奥で、彼の体温を感じて安息を覚えている自分もいて。
だからこそ、自分の気持ちが分からなくて迷路に迷い込んでしまったよう。
自分でもどうしようもない感情を持て余し、それを払拭するかのようにロゼルタの胸にぎゅっとしがみついた。