第7話
「おやおや…お2人共仲の宜しいことで」
穏やかなテノールの中に、何処か嫌味っぽさを感じるこの声色…間違いない。
特に、この声に聞き覚えのあるユトナは、あからさまに苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「げっ…! 何だよアホ王子、何でオマエが此処にいんだよ!?」
心底嫌そうな顔つきのユトナが指さす先には、彼女の言葉の通りロゼルタがにこやかに微笑みを浮かべる姿。
幾ら面識があるとは言え、ユトナの態度は一国の王子に対して適切とは到底思えず、それ故シノアが焦ったような表情で窘めてきた。
「ちょ…ユトナ、幾ら何でも王子様にその言い草は失礼にも程があるよ…! ほら、せめて謝らないと」
「いえ、お気になさらないで下さい。彼女がこういう性格なのは、私も重々承知しておりますから」
ロゼルタといえば特に気に留める様子も無く、さらりとそう流してしまう。
…と、不意にシノアとロゼルタの視線が鉢合わせてしまった。
──思えば、ユトナが仮死状態に陥ってしまった時、シノアは怒りにまかせてロゼルタに対してとんでもない無礼を働いてしまった。
それがふとシノアの脳裏に蘇ったようで、途端に恥ずかしさと申し訳なさ、自分の愚かさなど様々な感情が綯い交ぜになってシノアを混乱の渦へと叩き込む。
「う…あの、ロゼルタ様…えっと、あの時は失礼極まり無い事をしでかしてしまって、申し訳ありませんでした…」
「失礼極まりない事? …ああ、あの事ですか。いえ、謝る必要はありませんよ。完全に私に非がありましたし、貴方が怒るのも至極当然の事」
「……っ、すみません、本当に…」
むしろ、謝られるとは微塵も思っていなかったのだろう、一瞬驚いたように目を丸くしてから、すぐにふっと柔らかな微笑みを浮かべるロゼルタ。
──それに…謝らなければならないのは自分の方だ。
幾ら仕方が無かったとはいえ、ユトナの命を危険に晒す片棒を担いでしまったのだから。
ロゼルタの返答にホッと胸を撫で下ろすシノアを尻目に、その時は気絶していたせいでまるで状況を読み込めないユトナが頭上に“?”マークを乱舞させる。
「……? 何だよ2人共、何の話だ?」
「いいえ、貴方には全く関係の無い話ですから」
ユトナに真実を伝えるつもりは毛頭ないのだろう、清々しいくらいの笑顔できっぱりと言い切るロゼルタ。
『全く』の部分をやたらと強調する辺り、ユトナにしてみれば仲間外れにされたような、疎外感を感じたのだろう不満そうに口を尖らせてみせた。
「ちぇー何だよ、つまんねーの。つーか、オマエ何しに来たんだよ?」
「何って…決まっているでしょう? 貴方の見舞いに来たのですよ。貴方のね」
「…ケッ、別にいらねーよ。オレ病人じゃねーし」
ロゼルタの真意は分からないが、どうにも恩着せがましく聞こえるのは気のせいであろうか。
フン、と鼻を鳴らしてそっぽを向くユトナをよそに、ロゼルタはおずおずと口を開いた。
「すみません、わざわざお越し頂いて…。あの、ロゼルタ様程の方が、こんな街中に来ても大丈夫なんですか?」
「いえいえ、最初は貴方達のお宅に伺ったのですが、留守でしたので探していた丁度貴方達の声が聞こえたもので…ね。それに、心配はご無用です。今はお忍びで来ていますから」
ロゼルタはニッと唇の両端を吊り上げてから、左眼につけた眼帯を指差してみせた。
それは、彼が身分を隠して街を散策する時のスタイル──王族の証、オッドアイを隠す為のものだ。
「ったく、相変わらずフラフラしてやがんのか。きっとまた、誰かオマエの事探し回ってんじゃね?」
「そうですねぇ…貴方のように街中駆けずり回っている騎士や家臣が居るかもしれませんね。…あ、これどうぞ。お見舞いの品です」
此処まで全く持って悪びれなく言われてしまえば、むしろ清々しささえ感じられて。
ロゼルタは抱えた花束をユトナに手渡した。
「へ? あ、ああ…悪ぃな」
今まで人から花束を受け取る事など滅多に無かったのだろう、些か困惑した顔つきながらもそのまま大人しくロゼルタから花束を受け取った。
途端、色とりどりの花からふんわりと甘い香りが漂い鼻を擽る。
「……! あ…その花束、僕が花瓶に挿しておくよ。2人はのんびり話でもしてて。…あ、家戻る?」
どうにもロゼルタと一緒に居ると居心地が悪いのか、それともロゼルタとユトナの間に只ならぬものを感じたのか…シノアは自分なりに気を利かせたらしく、急に思い立ったように矢継ぎ早にそう言うと、ユトナの返事も待たずに一方的に彼女からひったくるように花束を受け取るとそのままさっさと家へ戻ってしまった。