復讐の代償
その白い首筋に、僕の太くゴツゴツした指がからみついても彼女は動かなかった。そしてその指にだんだんと力がこめられていってもまったく抵抗をしなかった。
ただ息を苦しそうに吐き、その黒い瞳には悲しみと…そして不思議なやすらぎの光がこもっていた。
僕は思わず尋ねた。
「なんで…抵抗しないの?」
首を絞められているのは彼女なのに、まるで僕自身が首を絞められているように息苦しかった。
「だって…あなたは…わたしを一人の女性として…見てくれたから」
彼女は息も絶え絶えにしながらも、しっかりと意思をこめた口調だった。
「でも、あれは…」
「たとえ、あれが…嘘でも…あのときの…わたしが…幸せだったのは、本当の…ことだもの」
そこで彼女は僕をじっと見つめた。僕はそれに耐え切れずに目を逸らしてしまった。
「あなたは…化け物のわたしに…たとえ幻想…だとしても、普通の女の子…みたいな気持ちを…感じさせて…くれたし、それに…実際に普通の女の子…みたいなことを…体験させてくれたの…あなたがいなかったら…多分…できなかったことを」
そこで彼女は自嘲気味になった。
「それにね…わたしは…知っていたの、あなたが…わたしを憎んでいて、その目的も…それにあなたの本当の名前も…」
「なんで…なんで!それを知っていたのに、なんで僕を近づけさせたんだ!」
「さあ、それは…わたしにも、わからないわ…ただね、この人を殺しつづける…生活に…変化を…それこそ変えたいと思っていたの…かもしれない…たとえそれが叶わない…夢だったとしても…夢くらいみても…いいでしょ?ええ、自分でもわかっているわ…あまりにも罪を…犯してきたわたしが夢を持つなんて…おこがましいって…でもね、それでもわたしは…」
僕にはもう耐え切れなかった。
「で、君はどんな選択をしたの?」
いつの間にか彼女は僕の背後に立って、嘲笑とそして悲しみを少し含めたような独特の声で口を開いた。
扉も窓にもしっかりと鍵は掛けられていたのだけれども、ただ未だに道化師という通称しか知らないこの女性にはそんなもの無意味なのだ…もしかしたら彼女にとって時間というものさえ関係がないのではと思うことがある。けれども、今ではそれはどうでもいいこと。
「どんな選択?それはわかっているじゃないか…」
僕の声はあまりにも力なかった。
「もしかして後悔しているの?私があれだけ警告したっていうのに?」
「後悔なんてしていない!それだけは…たしかだ!」
「ふーん。まあ、わたしには何の関係もないから別にいいけれども」
だけど、いつもと変わらないその口調に何かしらの絶望が含まれているように感じた。あくまでも自分の思い込みにすぎないのだけれども…
「それで、復讐を終えた君はこれからどうするの?とりあえず私は道化師として、今まで君に必要な情報やきっかけは与えてきたけれどもそれもこれで終わりだからね」
「さあ、そんなのまだ決めていないよ」
そして、ふっと思ってあることを尋ねた。それはいつも聞いても適当にはぐらかされるだけだから、特に期待はしていなかった。
「ねえ、あなたはなぜ僕を…助けてくれたの?」
「私の役割りは人生という無意識に演じている演劇の演出家、普通に生活していても人は何かしらの選択…重要なことから無意味なこと、ささいなことをしている。わたしの得意とする舞台は恋愛劇、その登場人物に対してその人でなければいけない役割に気づかせるのが私の役割り」
今の僕にはもう答えがわかりきっていることを尋ねた。
「で、今回の舞台の結果はどうなの?」
「とんでもないくらいに大失敗」
その何の感情もこめられていない声は部屋中に響いたかと思うと…いつの間にか道化師の彼女は姿を消していた。
今、僕の手には小さな銃がある。
奇妙な話だ、それはもともと彼女を殺すために準備したのにそれを自分に使うことになるなんて。
それを頭にあてる、あとは引き金を引くだけの簡単なこと。そう簡単なこと。
指に力をこめる…けれども、引き金に掛けられた指はまったく動かない。
何度も、何度も、何度も、自分の体に命じた。引き金をひけと…だけど、僕の指は動かない。
まったく勝手な話だ、人を、それも無抵抗な相手を殺しておきながら、自分の命が惜しいなんて。たとえ彼女は死に値する人間だったのに、最後にはそれを受け入れたのとは逆に。
今になって、わかった。自分はどこまでも卑怯で。誇りのない人間だと…
死にたくない。捕まりたくない。辛い思いをしたくない。痛い目に合いたくない…
何てあつかましいのだろう、自分という人間は。最初の願い、復讐は叶ったというのに、それを否定するなんて…
だけど、自ら死を選べない自分は生きるしかないのだ、そのときがくるまで。
この彼女のいない世界に、一人だけで…
自分は基本的にハッピーエンド派で、最近そのあたりを自分なりのノリで書いているのだけれども、そんな中で反動なのかふっと思いつき、そのまま書き出したのがこの物語です。
この物語は大きな物語の結末にあたる部分ですが、作者としてもその前の、復讐者とその相手の過去がわかっていません。
予断ですが途中に登場する道化師はもともと、復讐を手助けする男という設定でしたが実際に書いていき、何ともあやふやな存在となりました。
ただ書きながらこのキャラクターはアガサ・クリスティーの「謎のクィン氏」という作品に登場するあるキャラクターが頭にあったことはたしかです。
もちろん性格や設定は違いますが、作品を知っている人はかなり影響を受けているとわかると思いますが、そのあたりは苦笑いで流してもらえると幸いです。
最後に、つたない本作を最後まで読んでいただきありがとうございました。
少しでも楽しんでいただけたら幸いです。




