第5話 新しい生活の始まり
異空戦騎 パラレルワールド大競争
第5話。新しい生活の始まり。
外壁を越えて王都へと続く街道を進む。
わずか三日間の旅であったが、親睦を深めるには役に立った。
可動式の幌が付いている物の途中雨が降ってきた時はサバイバルシートを被って寒さに耐えたり、ゾハラの負担を減らす為に陽介が折り畳み自転車で移動したり、ゾハラの雨に濡れた下半身をグウェンディロンが布で拭ったりである。
街道は三日目で水海に達した。
この水海は大陸の内側にある物の中では最大級の広さで、大体黒海と同じだけの広さをしており西の外海とは長細い海峡で繋がっていた。
元々は空から落ちてきた巨大隕石の衝突痕であり、浅い角度でぶつかった為に長細い溝が掘られて爆発の中心部分が楕円形の隕石孔となったのだ。
今より百万年以上の昔の話である。
特徴としては大河が何本も流れ込んでおり、地域により何色もの色が付いている事、底が深く多様な生物が住んでいる事、上層部は淡水なのだが数十メートルから数百メートルの下層部は海水になっている事等々である。
何しろ湖の底が数千メートル級に深い為に上層部を満たすだけで流入する淡水が外洋に流れていってしまうので、幅1キロメートルの海峡の深海部分から海水が入り込んでしまうのだ。
よって、湖の周りの土地の潅漑に水海の水を直接使用できる上に、大河から流れ込む無機養分と海水から上がってくる有機養分(海洋深層水)のお陰で水棲生物の宝庫と化している。
海岸線沿いには漁村が立ち並び、小型の漁船や中型の帆船によって漁業が営まれている。
やはり日の光が射す淡水層の方が生物群の活動が豊富だが、淡水と海水の界面付近も水温が温い事と栄養分が豊富な事等により汽水生物群が繁栄している。
下層の海水層はやや生物群が少ないが、海流によって水面まで盛り上がった海水面付近はホットスポットと化しており重要な漁場とされている。
中には淡水でも海水でも関係なく棲息出来るように身体を改善した生物種も多く、この水海独自に進化した固有種が数えられる。
水海豚や水鯨などが有名だが、その中には人魚も何種類か存在する。
マーメイド達の様な水棲亜人とアクアマンデ王国との関係も良好で、半島に突き出た水城の警戒網の一端を契約により担っている。
王国の首都は三浦半島ほどの大きさの半島に東街道、中街道、西街道が整備されていて移動が迅速に行われ、商業に軍事に利用されている。
街道沿いの街は石畳に覆われ、家々が入り組んで建てられている、その為に土地勘のない者が迷い込むと間違いなく迷う程の無意識な迷路となっていた。
オレンジ色の屋根と白い外壁で統一された町並みは観光名所としても有名な物となっている。
更に北に進むと、半島の北端には天然の断崖を利用し補強した強固な城壁がそびえ立っている。
半島を横断した城壁には三箇所の門が開かれていて、それ以外の場所からは城壁の内側には入れない。
騎士階級以上の戦闘職と貴族達はここに設けられた街に住み、それ以外は家臣職の人間のみである。
狭い土地に隈無く建てられた貴族の屋敷や騎士職の長屋はそれ自体が防壁となるべく、石造りであり、屋根も石板で出来たスレート葺きになっている。
こちらの町並みは城壁の外と違い、暗いグレーに統一された無機質で無骨な景観として有名である。
強力な陸軍と海兵の練兵所と基地が数ヶ所、兵糧の備蓄倉庫や軍事物資が満載の軍事都市である。
更に城壁の内側の海岸線はすべて軍港として整備されていてコンクリート造りの防波堤によって固められている。
そこに泊められた60メートル級の軍艦はアクアマンデ王国が誇る水軍の戦力であり、対艦戦闘のみならず陸上戦闘人員の移送にも威力を発揮している。
この水軍を以て王国は水海の周囲を平定し、現在の領土を繁栄に導いていた。
そして半島の北端に存在する王城はそれ自体が一個の都市であった、強固でありほぼ真っ黒の城壁に囲まれた絶対防衛圏として築城されていた。
この城は漆黒の城として有名であり、唯一の例外が北の端の尖塔が灯台として夜間に明かりを放ち続けていることである。
軽馬車の中でグウェンディロンからそれらの事を、伝説や神話を織り交ぜてこちらの知識で説明されながら、陽介達は勇者の一行に続いて城内へと入って来た。
日本ではあり得ない、石で構築された都市の威容に陽介は圧倒される。
こことは逆に半島の付け根に存在する神殿都市は各神殿の本殿こそ石造りの建物であるが、宿舎や社務所は木造であり、周辺も神域として保護された深い森林になっているとの事であった。
勇者一行は城の門から直接王宮の謁見の間へと直行したが彼らは厩舎に案内され、軽馬車を外して室内用の靴を履いたゾハラと共に城内の片隅にある控え室へと移動した。
『ふぅ、ちかれたびー』
室内に置かれていたソファーに身体を投げ出した陽介は深く息を吐きながら、無意識にそう言っていた。
「hoo,chikaet abee? ヨースケ様の故郷の言葉ですの?」
「あ、済みません。つい気が抜けてしまって、疲れました、って云う言葉の、地方の発音ですね。少しフザケた感じの時にオドケた感じで云う言葉でして」
「そうですか、陽介様の故郷の言葉も覚えて行きたいですね」
「あ、わたし少し知ってるよ。ohayoo,konnichi~wa,konbanwa~,oyasu~mi,arigato~u,doomodoomo」
「ゾハラさん、それはどういう意味の言葉なのですか?」
「朝の挨拶、昼の挨拶、夜の挨拶、就寝前の挨拶、感謝の言葉、それと場合によって意味が変わる言葉で感謝だったり謝罪だったり否定の言葉だったり」
「はぁ、言葉の範囲が広いんですね。ヨースケ様に習ったのですか?」
「うぅん? 最初ヨースケに言葉を教えたのって私なんだけどさ、最初の内は自分の言葉を使って共通語の事を訊いてきたから、少しだけ覚えちゃったんだよね」
「なるほど、施療院の患者さんが習ってもいない教典をソラで覚えてしまうようなものですね」
「そそ、大体そんな感じ」
「いつの間に」
もっとも身近に居たゾハラに教えを乞うていた頃に、逆に言葉を覚えられていた事を陽介は驚いた。
そんな和やかな雰囲気で会話を楽しんでいた三人。
質実剛健な外観に相応しい控え室で旅の疲れを癒していると、扉が開いて侍従風の男性と中年の侍女が数人入って来た。
「失礼しますお客様、お茶の用意をして参りました」
「あら、ハイデマリー、お久しぶり」
「……姫様?!」
侍女の一人、ハイデマリーと呼ばれた女性はポットに手を伸ばした所で固まった。
その他の侍女達も驚愕の表情で彼女の顔を見つめている。
「今はもう姫ではないし、姫巫女でもありませんので、何の身分もないただのグウェンディロンなら此処にいますよ?」
「姫様が、このお城で、再会出来るなんて、もうあり得ない事かと」
「グウェンと呼び捨てでも構わないのですよ? わたくしも一生神殿務めだと思っていましたが、神託が下り、この様な結果に相成りました。巡り合わせに感謝しなければなりませんね」
「ああ、姫様」
此処までの事態の進行は、陽介には自分でアクションを入れられないイベントムービー的な感じで進んで行った。
よってただ傍観しているだけで良かったのだが、いつまでもそれで済む訳ではなかった。
グウェンディロンが旧知の家臣と親好を暖めていた時、扉が勢いよく開いて王冠を被った女性が姿を現した。
「ここかっ! 久しいなグウェンディロンっ! 又会えて嬉しく思うぞっ!」
ズカズカと足音も高く室内に入ってきた女性はグウェンディロンの目の前に立つ。
それに対し、グウェンディロンは慎ましやかに膝を折り、臣下の礼を取った。
「エメラダー女王陛下、お久しゅう御座います。お変わりのない日々をお過ごしたもう事を祈念し」
「そんな社交辞令は良いっ! 私達は実の姉妹ではないかっ! うむっ! それでグウェンディロンと魂結びの儀式をしたというのは貴様かっ!!」
銀髪を腰まで伸ばし、王冠を被ったこの女性はズビシッと人差し指を陽介の目の前に突き付けた。
陽介の眉間にイヤな感じが溜まってくる。
どうアクションを取ったら良いものかと思い倦ねていると、女王はカラカラと笑いながら陽介の背中をド突く。
「こ~のドスケベがっ! 良くやったっ! 誉めてやろうっ! ハ~ッハッハッハッ!」
謂われのないセクハラをしたと云う発言に反論してやろうかとも思ったが、陽介もこの女性が高い地位に立つ相手であり、迂闊な対応は死活問題だと気付いた。
だが、彼の知識の中にはこの様な相手との接近遭遇についての対処方法は記載されていなかった。
彼は、仕方がないので周りを見渡す、すると部屋の扉の向こうから勇者・前田前総理と聖女ミリティアがやって来るのが確認出来た。
どうやら謁見の間での報告が終わったと同時に女王陛下はこの部屋まで駆けてきて、勇者達一同は置き去りにされていた事が判明した。
相当なお転婆振りを発揮している人物らしい、そう心に刻む陽介であった。
慌てて入って来た前田は、謁見の場では問えなかった質問を口にする。
「女王陛下」
「うむ、送還魔法の準備の方は進めて置く様に。勇者殿も準備は怠らない様にな。心配せずとも小奴の身分も勇者の名の下に保証しておく事を誓おう。異世界調査本部だったか、その組織の本拠地と小奴の住居と生活費、調査費共に私の名の下に準備中だ。他に訊く事はあるかな?」
彼の質問に対して想定済みだったのだろう、立て板に水の如くスラスラと答えてみせる女王。
そして前田もそれを知っていたのだろう、驚く事無く次の質問を口にする。
「魔法陣の事ですが」
「水上に回廊を開く件については技術的なことは宮廷魔術師長に一任するが、政治的軍事的には船舶による兵員の輸送は我が国でも行っておるからの、理に適っておるし却って都合の良い事よ、問題はないな」
「交易の」
「勿論交易の為の協定は結んでもらうぞ。経済規模の差が大き過ぎると我が国の産業が押し潰されてしまうからの、地権も売らぬし租借も無しだ。貸与ならば年数を限って認めよう。しかし、我が国の戦に参戦して貰う為に鉱物資源の売却に関しては優先させる事を約束する。国家と云う物がどの様な形態をして居ろうが、国益に対して行動するのは確かな事だからな、精々高く売りつけるが良いさ」
女王は全ての状況が頭に入っているのだろう、1の質問に対して10を返す勢いで答える。
無論、相手の利益も考慮する形にして政治的な対処を行う。
だがそんな優れた女王も全てを知っている訳ではない。
想定外の出来事もある。
特に人物に関しては観察しただけではそのひきだしの全てが覗ける訳でもないのだから。
「それについてはある程度彼が目星を付けて置いてくれたので、既に構想は出来ております」
「ほうっ! 意外と優秀なのだな! 正直見誤って居たぞ!? で、どの様な構想なのかな?!」
女王の目が獲物を狙う鷹の様に陽介を捉えて逃がさない。
正直云ってそれだけで陽介は構想をぶちまけてしまいそうになるが、その様子を見た前田が割って入る。
「それはまだ内緒ですよ。ですが、この国で必要とされている鉱物ではありません。我が国は工業国です、技術大国でもあります、この国から輸入した資源を元に必要とされる商品を提供しましょう」
「ふむ、つまり外貨を稼いで国内経済を成り立たせているのかや? それが国の大部分を占めているとなると、諸外国の経済状況に左右され過ぎて経済的に、そして社会的に不安定と成りはせぬだろうか」
「過去の失敗から内需中心に経済を切り替えておりますれば、その心配はご無用です。さて、そろそろ私は送還の準備に参ります。後の事は宜しく頼みますよ、女王陛下」
「うむ、任されよ」
「では失礼をば。陽介君、私が居ない間に例の件は宜しく頼む」
例の件とは、この都に入る前に宿屋で『日本語で』会話した内容の事である。
正直それほど大した内容ではないのだが、少々含みを持たせることで勿体を付けているようだ。
「それにしても…ふぅ~む。そなたが神託の男か。冴えないな」
--そんな事は分かっている。--
とキッパリ言ってやりたいが、相手は一国の女王陛下である、しかも日本国自体と交渉を持とうと云う重要人物だ、下手なことを云うつもりはなかった。
しかし、思わず片眉が吊り上がってしまうのは仕方がないだろう。
そんな陽介の顔を見てクスリと笑うと右手を伸ばして陽介の前髪を撫でつける。
「だが、髪の色は素敵だ。艶々(つやつや)とした漆黒の髪か、我が城の色と同じだな、悪くない」
「…恐縮です」
「勇者様を召還して、髪の色がグレーである事を誉めたら、自らの民族は黒の髪色をしていると言っていた。我が国には錆銀や深紺の髪はいるが、漆黒の者は居ないから興味が沸いたのだ」
「それは」
「ふむん。元々我が城の色は、遠けき父祖達が他大陸からこの大陸に移住してきた頃の追憶を込めて建てられたと伝説にはある」
「ほう」
「大陸接近時に大海洋を渡り、優れた航海術と海軍力にてこの内海を制した父祖ら種族の姿は漆黒の肌と銀の髪であり、被支配民達の白い肌をボヤケた色として下に見ていたそうな」
「へえ? し」
「うむ、その通りだ。父祖の民族の数は多く無く、時代を経る毎に血は薄まり今では美肌と云えば抜ける様な白い肌の事を云う様になったのだ。まあ、妾の美意識もそれに準じて居るがな」
「ではじ」
「そう、お主も察した通り、妾の髪が銀色であるのが王位を継ぐ直接の要因になった訳だな。だが、為政者としての資質を磨く事だけは忘れてはいないぞ!? それだけは譲れぬ」
「分か」
「そうか、でもな偶には羽目を外してみたいのだ。こんな事は身内にしか話せぬのだがの」
「いやし」
「ハッハッハッ照れるな照れるな。イヤイヤ、グウェンの良人は察しが良くて話せるな」
「違」
「だがグウェンを裏切ったら惨たらしく殺します」
「……」
「クックックッ」
酷く残忍な顔をして彼を脅す。
だがそれに対して当のグウェンが抗議する。
「お姉さま、そんな酷い事はわたくし望みませんわ」
「む、そうか」
「はい、わたくしなら座敷牢に軟禁します」
「ほう、それもまた手じゃな。対外的にも言い訳がし易いしのう」
「ええ。ベッドに縛り付けて好きなだけ…子供は五人は欲しいですわね」
エメラダーはグウェンの言葉に感心した様に呟き、グウェンは指を組みうっとりとした顔で笑う。
それに戦慄した陽介は思わず卑屈になりながらも抗議するべく口を開いた。
「う、ええと。二人とも中二病…じゃない、趣味の悪い絵草紙の読み過ぎですよ? そう云う際どいのは止しましょう、ね?」
「「もちろん冗談じゃ」ですわ」
「うう…胃が痛いかも」
「ふふ、そなたは純情じゃな」
純粋な多神教故に、性的な縛りが緩く大らかなこの国の冗談は、文明開化以来性的な規律を強めて来ていた日本人には多少キツい物があった。
更にこのふたりは王族故の残酷に成らざるを得ない家風により、多少ブラック寄りな冗談を口にする悪癖があったのだ。
そんな王族の言葉にゾハラは目を見開く。
「これが噂のロイヤル・ジョーク。参考になるなぁ」
「そこ、参考にしない」
「まあ裏切ったら残虐に殺すのは嘘ではないが」
「えっ?」
「座敷牢も本気ですわよ?」
「えっ!?」
「それはともかくそなた達の活動拠点となる屋敷は手配が済んでいる。ちゃんと地下室には拷問部屋も座敷牢も手配してあるからの、情報を扱う手の者や冒険者ギルドにも手配して置こう。何と有れ、そなたはそれ程器用では無さそうじゃからな。国として勇者殿との約定は果たして置く。今日はそちらに泊まるが良い。ではな」
そう云うとエメラダーは後から来ていた衛兵や侍従を引き連れて颯爽と去って行った。
だが一人、そこに残っている人物が居た。
豪奢な服に身を包み、頭環は高い位階を示す物である。
身分が高く優秀な者にありがちな事に、彼も幸せそうな顔をしていなかった。
「あらダラパニ様、お久しゅう御座います」
「お久し振りに御座いますな。グウェンディロン様」
「ダラパニ様、こちらの方が勇者様と同郷でこの度直属の部下と成られたヨースケ様です。ヨースケ様、こちらアクアマンデ国宰相のダラパニ様に御座います。相変わらず疲れた顔を為されているので御座いますね」
「ふん、相も変わらずエメラダー姫の無茶振りに振り回されておるわい。これで貴女まで王家に復籍されたら心の臓が止まりますわ」
「まあ怖い、でもそれなら心配いりませんわね。わたくしはヨースケ様の」
「一つ質問が!」
陽介は今の今まではぐらかそうとしてはぐらかし切れなかった事を質問する決意を得た。
「はい、ヨースケ様。何なりと」
「自分の立ち位置は公式にはどうなっているのでしょう」
「今も説明しました通り、勇者様の直属の部下で御座いましょう?」
グウェンディロンは不思議そうに瞬きを行うが、次の陽介の言葉を聞いた後に口の端を釣り上げる事になった。
それに対して陽介は周りを不安そうな顔で見守る。
「いえ、そちらではなく、自分とグウェンディロンさんの…」
「……あら、さっそく座敷牢行きですか?」
「いえ、その、自分とグウェンさんの間に起こった出来事は神託の結果だと伺っていますので、その事について不満があったりしたらイヤだなと」
「まあ、王族や貴族が結婚相手を選べるなんて聞いた事がありませんし、愛が欲しければ結婚してから育めば宜しいだけですから。それにわたくしは姫巫女として一生暮らすと思っていましたから、嬉しく思っていましたのですよ。何の問題もありませんけども」
「しかし」
「今まで何回も言いましたが、現在のわたくしは王族でもなければ姫巫女でもない、ただの身寄りのない女です。見捨てられたら花街にでも身売りするしかないのですが? ああ、そうなったら親子共々身の不幸を嘆いて暮らすしかないのですわね。可哀想なわたくし達」
「うわっヨースケ、それは最低だわ」
グウェンディロンは『ヨヨヨ』と泣き崩れるジェスチャーでヨースケにアピールした。
そのヨースケは虚ろな目をして独り言を呟いていたが。
「親子、親子ですか」
「それはあれだけ情熱的になされれば子供の一人や二人出来ても不思議では無いと思いますけれど? 実際は二ヶ月しか経っていないので出来たのか確認されてはいないのですけれどもね」
「ああ、だからお見舞いに行った時、あんなに精も根も尽き果ててたんだ。心配して損した」
あの時の魔族サキュバスによる事件は親父達によって隠蔽されたので、ゾハラはその事実を知らなかった。尤も知っていても結果は変わらなかったろうが。
色々と覚悟の足りない陽介を見て残念な顔をするグウェンディロンとゾハラ。
それを余所にダラパニは陽気そうな声で二人の仲を祝福する。
「いや、めでたいですな。神によって祝福された二人の仲という訳ですな? 王族で有れば国を挙げて婚姻を祝う所でしたが」
「あらあら、ご祝儀でしたら喜んで受け取りますわよ」
「まあ、その前にお二人の新居をご案内しましょう。騎士カゼイロス、これへ」
「ハッ」
控えていた騎士の一人、カゼイロスがカツカツと足音を立てて四人の前に直立する。
「騎士カゼイロス、この方達を例の屋敷へと案内して差し上げろ」
「御意」
「では私はこれで。おお~忙しい忙しい」
ダラパニは挨拶もソコソコに逃げるように去って行った。
「…姫様…」
「ああカゼイロス、従騎士から騎士になったのですね。喜ばしい事です」
「姫様の御為ならばと努力して参りました」
白銀に輝くプレートメイルを纏った偉丈夫が背筋を伸ばしグウェンディロンの言葉に感激している。
幼い頃から同い年の姫を自らのレィディーと定め、必死の努力を続けてきた彼であったが、それを横からかっさらった薄汚い盗人野郎を前にして思わず『人を殺せそうな視線で』陽介を睨みつける。
すかさずグウェンディロンが手鏡を彼の前に翳すと『実際に人を殺せる魔眼』から放たれた光線が反射してカゼイロスの顔面に直撃した。
破裂音がして、豚の様な悲鳴を上げながら床を転げ回るカゼイロスの頭を、グウェンディロンが踏む。渾身の思いを込めて踏み付ける。
「ぅぐぅああああっ、目がっ、眼がぁっ!」
「ぅわたくしのダァーリンに何をしているのですか?」
「ああ、グウェンディロン様のお御足がっ、お御足がぁっ!」
「本っ当に、死ねばいいのに」グリッ
「ありがとうございま~すっ!!」
積年の恨みを込めてグウェンディロンが踏みにじると流石の騎士も意識を失った。
ビクンビクンと痙攣しているが、決して或る感情が極まった結果ではない筈である。
「騎士になって少しは落ち着いたかと思ったら、パワーアップしていました」
「でもグウェン、そいつが居ないとお屋敷の場所が分からないよ」
「あっ」
後の祭り、後悔先に立たず、だがこれを介抱して場所を案内させるのも何となく嫌だった。
そうしていると怖ず怖ずとした態度で部屋に入って来る小姓の姿があった。
小姓の髪型であるマッシュルームカットにした彼は、目線を床に落としながら怖々と口を開く。
「失礼します。ぼ、ぼくはトーマスと言います。そこの変態の…そこの騎士様の下働きをしている者です。お屋敷の場所でしたらダラパニ様から手紙を預かっていますので、ご案内する事が出来ますが」
「あら、可愛い」
「ちょっと良いかも」
「俺はそこはかとなく毒舌なのが気になるな」
「ご、ご案内致しますか?」
上目遣いでオドオドするトーマスに女性陣はメロメロだ。
色々と覚悟を決めて頑張って行こうと決めた陽介が、代表で意志を示すべく口を開く。
「ああ、よろしく頼む」
「…ご案内します。(チッ、ド平民が。オレは姫様のお声が聞きたいんだよ)」
何やら不穏当な科白を聞いたような気がした陽介だったが、敢えて気にせず勝手口の方へと周り、厩舎の前に置いておいた軽馬車に近付く。