第1話 取り敢えず現状報告を。
本編です。
少しの間プロローグで起こった出来事は関わってきません。
主人公にはまったりとして貰うお話です。
ではどうぞ。
第一話 取り敢えず現状報告を。
西暦2021年早春。
専門学校に通う男子生徒、長田陽介は一年後に迫った就職が頭から離れないまま、学校帰りの道を歩いていた。
何しろ彼は高卒就職を諦めて専門学校の門を叩いた口であり、卒業までに色々と技能や資格を取らなければとその事で頭が一杯だったのだ。
ヨロケそうに重い、肩に掛けた大きなバックの中には都心の駅から学校までポタリングする為の折りたたみ自転車が仕舞われており、背負ったバッグには教科書や参考書、ノートや筆記道具、ノートパソコンにデジカメ、頭痛薬に正露丸に風邪薬、あと色々が詰まっていたので総重量はかなり重かったが必要そうな物を鞄に詰め込んで歩く性質なので仕方がない。
最近のマイブームである外国語のテキストを読みながら、繁華街を抜ける道を駅に向かって歩いていた。
その筈だったが、「はて、ここは何処でしょうかな」、彼の頭に疑問符が浮かぶ。
店が並ぶ繁華街の道である事は間違いない。
町の広報誌に載っていた情報で、レトロブームと欧州趣味で商店街の外装が統一されていたのも知っていた。
だが、彼の目に映ったのはどちらかというと中世ヨーロッパとか西部開拓時代的な風景だったのだ。少し埃っぽい空気の匂いがしている。
思わず足を止める彼であったが、雑踏の中と云うことを忘れていたのは迂闊であった。
突然左の尻を堅いもので蹴り上げられたのだ。
不意を付かれた彼は痛みと云うよりも衝撃で一瞬パニクってしまい、バランスを崩して頭の方から地面に転倒してしまった。
「高校の時の授業で柔道をやっていなければ危なかった」
その様なことを言いつつ、反射的に前回り受け身で地面に転がると慌てて後ろを振り返る。
彼の視界に入って来たのは地面をしっかりと踏み締めた蹄の四つ足、少し上を向くとしっかりとした胴体が見えた。
「馬?」
更に上を向くと中東周辺の民族衣装的な格好の女の子の姿が見えた。
「馬に乗った女の子、じゃなくてケンタウロス?」
「kentaurosu? み ね kentaurosu. み のーも zohara」
彼が唖然として観察すると、馬の胴体から人間の上半身が生えている様なファンタジーな生き物がそこにいた。
彼は女の子が声を掛けて来たにも関わらず、返事もせずに暫く呆然としていた。
何かリアクションがあるかと思っていたケンタウロスの少女は地べたに転んだままの彼を変な生き物を眺めるような顔で横を歩いて行く。
顔の直ぐ横に降ろされた彼女の脚は間違いなく馬の物だった。
着ぐるみには見えなかったし、着ぐるみだったとしたら纏足でもなければ足は入らない程に細くしなやかな代物だ。
取り敢えず彼は人通りの多い通りに寝転がったままであると危険であると思いつき、立ち上がると道の脇に歩いて行った。
気持ちを整理する様に、そのまま立ち止まって道行く人々を眺める。
道を歩く人々の大半はインドからヨーロッパ辺りにいそうな白人的な顔立ちの人が多い、特徴としてはゆったりとした服装にナイフをぶら下げている事だろうか、銃器を携帯している者はいなかった。
だが問題はそれ以外の「人」にあった。
先程のケンタウロス少女ほど変わっている人は少ないが、耳が尖っている細身の男女や背は低いが豆タンク的な筋肉をした髭男、狼男や豹頭の男、猫耳少女などファンタジー作品の定番的な特徴をした種族がちらほらと確認できる。
ぶっちゃけエルフにドワーフに獣人だった。
彼は懐から携帯を取り出すと目立たないように写メを撮る。
その不審な行動は、幸いなことに通行人に見咎められる事もなかった。
彼がなぜ写メを撮ったのか、これがラノベやネットの小説なら何らかの方法で元の世界に戻ったりして、証拠がないから夢だった的な展開にならないかなと云う気がしたからだった。
或る意味現実逃避の行為であったが、結局それは必要のない事になってしまった。
少なくとも一年間は彼はその地に留まる事になったのだから。
《時は流れて一年後》
時は夜明け前。
彼の姿は町外れの一軒家の中にあった。
余り人の手が入っていない二階の片隅に三畳程の狭い部屋がある。
部屋の中は、ベッドとテーブルに戸棚で既にキツキツになっていた。
木戸の代わりにビニールのゴミ袋を張った窓の内側には、太陽電池式の充電スタンドが置かれている。
室内乾し用に張ってある麻紐には、貧乏で値の張る下着が買えなかった代わりに布地を買って自作した褌が数本干してあった。
因みに横紐がある越中褌である。
こちらの人は余り下着を取り替える習慣がない様で、普通に数週間履きっぱなしもザラらしい。
出来るだけこちらの世界の習慣に慣れる様に心掛けている彼であったが、流石にそれは無理と自作に走ったのであった。
実際の所、下着の需要が少ない事から、肌触りの良い生地を使用した下着は意外と良い値段をしていたのだ。
机の上には何やら弄くった箇所のある馬具が置かれている、途中で放置されている事から眠気に負けてしまったのだろう。
この部屋の借り主は狭いベッドの中で死んだ様にグッスリと眠り込んでいる。
ファンタジー世界の朝は早い。
空の天井に浮かぶお天道様が月の陰から顔を覗かせ、真っ暗だった大地が光に照らされ始めた。
急速に明るくなる窓の光に刺激を受けた長田陽介はベッドの上で目を覚ます。
夢を見ていた、この世界に来た当日の事だ。
目を覚ましても半分夢心地の彼はあの日の事を思い出そうとしていた。
あの時、しばらくの間呆然としていた陽介だったがその内、無意識に歩き出していた。
目的地など無かったが、ジッとしてはいられなかったのだ。
商店街と思しき一角を抜けると緑地帯があり、その向こうに高い壁が聳えている。
中世ヨーロッパや中国で有名な都市を囲う外壁なのだなとあたりを付ける。
外壁と市街の間にある緑地帯には隊商の思しき馬車が数基と冒険者のチームが数隊テントを張っていた。
まるで野営でもするかのような様子だったので思わず時計を見るが、ここでは役に立たないと思い直し太陽を観る。
天頂で燦々と輝く様子からして正午丁度の様な気がしたが、不意に影が差してきた。
不審気な眼差しで空を見ていた陽介だったが、ある事に気付いた。
月が太陽に呑まれて行くような現象、そう日食が起こったのだと彼は思った、異世界転移のラノベやネット小説では日食が重要な役割を果たしている事がある、これこそが原因なのかと推測する。
そうして輝き出した月を見て疑問を感じたのかポツリと呟いた。
「アレ? 何で日食なのに月が光っているんだ? 月光って太陽の光を反射しているんじゃないの?」
地動説を理解しているなら当然の疑問が湧く。
しかも、いつまで経っても太陽が出てこない。
周りの様子を見てみると、誰も騒がずに焚き火を囲んだり、食事を取っている。
至って自然なものだ、つまり、これが夜なのだ。
ここに至り彼は理解する、此処こそはファンタジーの支配する世界なのだと。
天動説ですらないのだ、記憶を辿るとエジプトの古代王朝時代に似たような神話があった事を思い出す。読んだのは成人向けの同人誌だが。
ベッドで此処へ来た当初のことを思い出していると、階下から声が聞こえてきた。
「ヨースケ、朝だよ、早く起きて来なさいよ」
「あ、はーい」
彼が厄介になっている家の娘さん、ゾハラの声である。
返事をしたことから分かるが、この一年の間非常に苦労してこの地の言葉を覚えていた。
覚えた単語をメモして、ノートPCに外字フォントを作り、表計算ソフトに記録して、毎晩復習したのだ。
これも小学校から続けてきた勉強と云う学習方法を身に着けて来れたお陰だろう、学校という組織で普段知らずに繰り返している予習実習復習宿題こそが、知らない知識を身に着けるのに非常に有効なのだ。
しかも自分が興味のない物や嫌いな物程身に付けた時の勉強力の強化に役立つのだ。
さて、ファンタジー物では定番とも云える冒険者というシステムは存在した。
存在はしたが、彼の体力ではどう考えてもフルボッコ間違いなしだったので冒険者として戦いに出ることはなかった。
異世界補正? 勇者補正? ゲームで培った能力の付与? そんな物は見た事も聞いた事も心当たりもない、そんな便利な物は無かったのだ、彼には。
だので彼は彼に出来る事を頑張って金を稼いできたのだ。
理不尽な事や言葉が分からない故の偏見や迫害もあったが、涙を呑んで働いた。
食わなきゃ死ぬ。金が無きゃ死ぬ。働かなきゃ死ぬのだ。
そしてファンタジーだけど死んだらそれまでなのだ。
それでも気遣いをしてくれる人がいて、手助けをしてくれる人達がいたから彼は未だに生きている。
だから彼は根本まで捻くれずに、周りの親切な人達に感謝して生きて来られたのだ。
それはともかく、結局のところ町中の雑用も冒険者ギルドに依頼が出るので、冒険者登録はした。
普段着を纏って階段を降りて行くと一階は土間になっている。
ここの家主の種族柄、床が木や石だと蹄が痛むそうだ。
食堂へ入るとゾハラさんがエプロンを着けて立っていた。
基本的にセントール族は立ちっぱなしなのでこの食堂にも椅子の姿はない、下半身が馬なので当然と云えば当然である。
幸いな事に彼女の家族は木曽馬やポニー並の小柄な種族なので、机の高さも立ち食いそば屋と同じ位だった、これが重輓馬やサラブレッドだったらどうなっていた事か。
「おはようございますゾハラさん」
「おはよう、ヨースケ。ずいぶんグッスリね」
ゾハラが片眉を上げ皮肉気に云うと陽介は苦笑気味に言い訳をする。
「すいません、もう少し改良できないかと思って夜更かしをしてしまいました。どうです?」
「うん、今までの胴引きよりも段違いに楽ちんね。これなら楽に荷物を運べるけど、早く荷物運びじゃなくて冒険に出たいなぁ」
彼女は胴体を覆う服飾が施された頸帯を撫でて満足げな表情をしたが、一転して不満げな顔に変わる。
彼女も冒険心に溢れた若者なので広野を行く冒険の旅に憧れていたのだ。
だが、未だに若者と云うよりも未熟者扱いされていたので、外壁の内部の街での荷役運搬の業務しか冒険者ギルドで受けられなかった。
陽介がこの家に厄介になって暫くした頃、ゾハラが口を開くと荷運びの時に荷馬車を引くと帯が引っ張られて下半身の腹が辛い、帯がきつくて呼吸が苦しいと不満を述べていた事があった。
彼がノートPCにインストールされているアプリケーションの百科事典を調べた所、馬車用馬具は地球の歴史でも胴体に帯を巻いた腹帯式と肩甲骨で牽く頸帯式があったことを知り、馬車の効率を飛躍的に向上させた頸帯式を模した物を試作してみた。
聞いた所、この世界では未だに馬の呼吸が締められて苦しい腹帯式しか発明されていなかった事を知った。
セントールも同じ悩みを有していたので試作した馬具を試してみて貰ったら中々好評だった。
ゾハラの父親のゾハルに提案されてギルドに試作品と一緒にアイデアを売った所、小金を手に入れる事になったのである、知識の宝庫ノートPC様々である、目出度し目出度しである。
その様な事があり、それまでの赤貧生活に比べて生活は楽になったらしい。
陽介はゾハラの望みを聞いたが、現状に対しての不満よりも危険が少ない事が良い事だと言葉を繋いでみる。
「まぁ、街中ならモンスターの危険はないんだし」
「その危険が欲しいって云うのよ。最近は魔族が暴れてるって云うのに。1人でも戦力が必要って物じゃない?」
ぶるる、といななきを上げていきがるゾハラ。
「それなら、いま勇者が魔人を倒しに行ってるって噂が」
「勇者『様』ね。でも、このアクアマンデ王国が魔王の手に落ちれば、大陸の半分以上が魔王の物になってしまう。そうなったら太陽の神様が去って暗黒大陸になるまであっという間よ。日和ってる暇なんてないんだからね」
ここが彼の思う所、最大のファンタジー要素だった。
この大ユグドラシル大陸に伝えられている伝説によれば、この世の果てまで続く広大な海が広がっており、その上に浮かぶユーラシア大陸以上の巨大なプランクトンこそが彼の立っている大地その物だというのだ。
もちろん、言い伝えでは色々と装飾されてはいるが、地球の水棲生物の定義に当てはめれば水に浮遊する生物は大きさに関わらずプランクトンである。
そして、魔法の存在と魔法生命体である神々が存在し、深海の底から沸き上がる魔法の基を大陸の上に住む人間が使うことによって出来る魔力香を神々は喜ぶ、と彼は聞いた。
現地に馴染もうと彼は色々な人から色々な話を聞いた、雑談の中で生活習慣について、宗教について、娯楽について、地理について、種族について、それらの話は全て仕事が終わった後に纏めてノートPCに記録していった。
それらの大半は科学的にあり得ない話だが、彼は目の前で起こっている事を受け入れることにしていた。
目の前で実際に起こっている事を「あり得ない」と否定していたら正直何も出来やしないのだ。
陽介はゾハラの言葉を聞き頷くと目の前に置かれている朝食に手を伸ばした。
今日も一日しっかりと働いて明日を生きる金を稼ぐ為に。
いきなりですが一年飛ばしました。
ここの苦労する所が話の種になるのですが、一々描写していたら何時まで経っても終わらないので話を進める事にしました。
時々回想シーンが出て来ますので、それでご勘弁を願います。
ではでは。