第一章:はじまりに続く道6
セイラがうんざりするほど馬車に揺られてジニスで木々がよくやく葉を染めようとする頃、タナトスでは冬の支度が整いつつあった。
吹き付ける風は日増しに冷たくなり、防寒用の厚いコートを羽織った人々が足早に路地を駆けて行く。
そんな寒さとは無縁の部屋の中で二人の青年が対峙していた。
一人は書類に目を通し、一人は壁に身を預けて。
書類に目を通す青年の髪は銀に煌き、彼が手に嵌める指輪形の紋章は王家のもの。
ルーファ・アリオス。
アリオスの国王だ。
その青年に鋭い視線を向ける眼帯の男はジョゼ・アイベリー。
漆黒の衣装で包んだ均整の取れた体と腰に帯びた剣は彼が軍人である事を示し、真紅の腕章で、軍人の中でもかなり身分の高い事が知れる。
格好を見ずともアリオスで隻眼の軍人といえば誰もが尊敬と憧れの目を向ける。
月影の将軍にして、魔剣の持ち主。
名を聞いただけでも敵が身を凍らせると言われた男は、全身から不穏な空気を出していた。
そんな人物が目の前にいようともルーファは、翠色の瞳を上げることは無い。
無言の攻防戦。
予想通り先に音を上げたのはジョゼの方だった。
思い立ったら即行動。
腹に本音を隠したまま笑顔で貴族の間を渡るなんて芸当が出来ないジョゼが、その世界で王を演じきるルーファに叶うわけがない。
「何でダメなんだよ」
不機嫌を隠そうともしない声がジョゼの口から零れ落ちる。
四方に鋭い棘のある声だ。
気の弱い者ならへたりこんでもおかしくはない。
きっと眼光だけで泡を食っていることだろう。
「どうしてもだ」
ルーファは刺さるような視線も一言でいなし、新たな書類に判を押す。
届けられる書類は後を絶たず、ジョゼが訪ねてきてから三回ほど新たに届けられた。
まったく困ったものだ。
エスタニアの王女を貰うことは驚くほど早く事が進んだ。
来春にと思っていたのだが、エスタニアはもう王女を送ってくるという。
それならば雪が降り積もる前に迎え入れる準備を終え、王女の護衛の選抜、各地の警備など方々のことをこなす必要があった。
全力でそっちにかかっていた付けが回ってきたのだ。
去年より夏の時期が少なかっために北のほうでは思ったほどの収穫量が無かった。
南の商業ルートを確保しなければ。これはエスタニアとより親密になり航路が開拓されれば、少しはましになるだろう。
ローラ山脈付近の少数民族が小競り合いを起している。
頭をかかえたくなる問題は山とあった。
「何でケイトはよくて俺はダメなんだよ」
「立ち位置が違うだろう。ラルド殿が辺境の守りに当たっているのだから、お前はここを守れ」
次第に声が大きくなるジョゼに駄々をこねる子どものようだと苦笑が浮んだが、声は厳しいまま。
一番の理解者であり、ライバルでもある陽炎の将軍、ラルド・キースの名を出してもジョゼの不機嫌さに変わりは無い。
「俺だってジニスのお嬢ちゃんを早く見たいんだよ」
隣国から嫁いでくる王女の出迎えに自分が選ばれなかったことが気に食わないと怒鳴り込んできて早一時間。
せめてもの配慮に彼の隊からで出迎えのものを選んだのに、それも気に食わないらしい。
名誉でもなく己の力を示したいわけでもなく、ただ嫁いでくる王女を早く見たいという理由だけで彼は憤っている。
ルーファも戦場を共にする男の性格をよく知っていた。
「ジョゼ・アイベリーという男は私の言葉など聞かぬ奴だと知っているからな」
その言葉から相手の意図を読み解いて、ジョゼはにやりと物騒な笑みを浮かべた。
ジョゼ・アイベリーは都の守護をしている。
その名文だけあればいい。
ジョゼ・アイベリーの名はただのお飾りではない。
その名を聞いただけで相手は二の足を踏んでしまう。
姿が見えなくともその畏怖だけで敵は竦みあがり、味方を鼓舞する。
ここは戦場ではない。
本当に姿が見えなくとも良いのだ。
名前だけ貸しておけば自身は何処へなりと行けと言う。
全てのものに愛されたかのような容姿をしながら、狸オヤジどもに一向に引けをとならない若き王の腹黒さがジョゼは嫌いではない。
「ダリアがお茶を用意するようだが、どうだ?」
気が済んだのか背を向けるジョゼに声をかけた。
ダリアとは王妃のことだ。
「お忙しい国王様の至福の時間を邪魔するほど野暮じゃないんでね」
ルーファが愛妻家である事は周知の事実だ。
一日に一度は王妃が淹れたお茶を口にすることも。
国王夫婦の日課であるお茶会に居合わせた者は幸せになるなんて可笑しな噂もあるようだが……
確かにお茶も菓子も申し分ないのだが、終始花を飛ばす二人と同じ空間にいるのは少々うざったいとジョゼは思う。
「いらん気遣いをするより、早く軍の編成案を出して欲しいのだがな。将軍?」
「気が向いたらな。どうせお前が考えているし」
ルーファはジョゼが去った扉に向けてため息を吐いた。
確かに彼の頭の中には完璧な編成案が出来上がっていた。