第一章:はじまりに続く道5
隣国へ嫁ぐという話が決まった後にはとんとん拍子にことが進み、あっという間に出発の日となった。
都に呼ばれて父である国王に会うこともなく、いくばくかの使者がジニスを訪れ決まりきった文句を述べて頭を下げていった。
ソレに比べ街中の人々は賛辞と別れの悲しみをない交ぜにして盛大に送り出してくれた。
数人の使用人たちは、屋敷に残り、母の墓を守ると約束してくれた。
鉱山の長であるダンなど厳つい顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら笑い「辛くなったら帰って来い」と馬が驚くような大声を上げた。
しめっぽいのは似合わないとばかりに鉱山の男たちは愛娘のようなセイラの旅出を歌を歌い、踊り、酒を飛び散らして彩った。
行商に来たほかの街の人が目を剥くほどだ。
なかなか終わらない騒ぎに堪忍袋の緒が切れた使者が何度も怒鳴り散らしたが、声の大きさで鉱山の男たちに敵うはずない。
ちなみにこの使者は、手紙を届けに来た使者ではない。
体は細く、少々長い前歯をむき出して甲高い声で話すものだからダンはネズミと呼んでいた。
ネズミと命名された使者は、彼らが聞く気がないと知ると、ふて腐れて自分の馬車に閉じこもってしまった。
朝一に出発のはずが、ジニスを出たのはもう日が傾きかけてからだ。
「ふふ、少し寂しくなりますわね」
馬車に向かい合わせで座ったハナはその様子を思い出して苦笑した。
窓の外は鉱山の面影は無く、田園が続く。
もはやセイラの生活圏はずっと後方に置き去りにしてきてしまった。
「そうだね」
寂しいという思いは胸の奥をつんと突き刺し、小さな痛みをもたらすけれど不安は感じなかった。
きっとたくさんの涙と笑顔が拭い去ってくれたのだろう。
窓の向こうに思いを馳せると、農具の後片付けを始めた人々が、何事かと行列を見つめている。
こんな田舎には貴族が来ることさえ稀だというのに、国王の旗印を先頭にずらりと行列が続くのだから驚くのも当然だ。
セイラでさえ、これでもかと装飾を施された馬車に目をむいたのだから。
国王の旗印の後ろには、セイラの守護神である月の女神リーズの旗が風にそよぐ。
細い三日月が闇を抱くその旗は、太陽の雫を受けどこか誇らしげだ。
同列に並んだジニスの旗印は笑う魔物が描かれている。
エスタニアではどんなに小さな町村でも守護神を掲げているが、魔物を守護としているのはジニスだけだ。
その魔物がこの道行きは愉快だと笑っている。
それにダンの大きな笑顔が重なった。
「どんなに離れていても皆は家族だよ。寂しいけれど、大丈夫」
言い切ったセイラにハナも微笑を浮かべ頷いた。
「タナトスは良いところだといいですね」
「そうだね」
タナトスとはアリオス国の都のことだ。
自国の都すら知らない二人には他国の都など想像することもできない。
「どれくらいかかるの?」
まだ出発して数時間しか経っていない。
セイラは、もともとじっとしているのを好む性質ではない上に馬車など乗りなれていないのだ。
普段は着ない裾の長い服で動きを制限されている事もあるのだろう。動けないと思うと余計に動きたくなる。
「……十日はかかりましてよ」
ハナはその様子にため息をついた。
鉱山の街ジニスはエスタニア国の西にあり、国境にも近い。
しかし、都からほど離れていないにしろ、他国とは遠いものだ。都からだと一月は優にかかる。
ハナの口にした十日も何もなくめいいっぱい急げば可能だという数字であり、セイラをなんとか納得させる日数に過ぎない。
そういえば、出発前に地図を見ながら、ぶっとばせば2、3日で着くかなぁだなんて怖ろしいことを言っていたような気がする。
もちろん、忙しいせいで幻聴が起こったのだと綺麗さっぱり流した。
「馬に乗りたい」
ほそりといった言葉はすぐに却下された。
エスタニアでは高貴な女性が馬に直接乗ることなどまずない。
所作が美しく、お淑やかで出過ぎないことが好しとされるのだ。
ジニスでは多少のお転婆も許されたが嫁ぎ先の道中ではまずかろう。
このお転婆王女は裸馬をも見事に乗りこなし大の男に感嘆の息を洩らさせたのだが。
「ああ~早く着かないかな」
茜色の空に呟きは静かに消えていった。




