第一章:はじまりに続く道4
休みの日でも玉の加工場は騒がしい。
朝から家でぐうたらしようものならば、奥さん方の雷が落ちるので大抵の男衆はここに集まってくる。
かしこまって玉の流通の話をしていたと思ったら、隣街の酒場の話に摩り替わり、誰のかみさんはおっかないだのと盛り上がり収集がつかなくなることもしばしばだ。
今日はまだ、今月に入ってやってきた哀れな盗賊の話で済んでいた。
「ダン」
セイラが呼びかければ話の輪の中心にいたダンが振り返る。
「よぉ。元気か?」
ダンはにかりと笑いながらセイラの頭をかき回す。
くちゃくちゃになる髪もいつもの事なので笑って頷いた。セイラが年頃の貴族の娘のように髪を結い上げない理由はこの行為のせいでもある。
七割は面倒くさいという理由なのだが、残りの三割は飾りをつけたまま頭を撫で回されると痛いのだ。
以前ハナにせがまれて髪を結い上げた姿のままこの加工場に来たとき、同じく大きな手で撫でられ、本気で禿げるかもと思った。
「昨日の大層な馬車は誰のだったんだい?」
「お頭、大変だったんだよう」
セイラが屋敷に帰ってからも、ずっとやきもきしていたダンは屋敷まで殴りこみに行こうとしていたというのだ。
止めてくれて本当に良かった。
もう少しで『ジニスで使者が襲われる!』と早馬が出るところだった。
ジニスが有名になることは嬉しいのだが、悪評はいただけない。
「都からの使者だったよ」
「使者? 都の連中が今更何の用があるって言うんだ」
声を荒げるダンに引き寄せられるように加工場中に散らばっていた男衆が集まってきてセイラに挨拶ついでに菓子を渡す。
ここにくれば小さな店が出来そうなほどお菓子が手に入る。
「私の結婚が決まったんだって」
がやがやと騒がしかった室内がしんと静まった。
いつもは聞こえるはずの無い街の喧騒が微かに聞こえてくる。
周りを囲んだ男たちが目配せをし合い、言葉の真意を確かめる。
誰もダンに視線を向けない。
もう少し反応があるだろうと思っていたセイラは拍子抜けし、聞こえなかったのかと同じ言葉を繰り返した。
「誰とだい?」
ぴくりとも反応しないお頭に怯えながら先ほどの青年が尋ねた。
「アリオス国のジルフォード王子だって」
明るい声が不穏な空気を孕んだ部屋に思いのほか響き、男たちはすっと一歩分身を引いた。
「アリオス……?」
地を這うような声にあるものはすくみあがり、あるものは次に行動すべく準備し始めた。
「そう」
「じるふぉーど?」
俯いていた顔を突如上げたダンに驚き、セイラも微かに身を引いた。
ひくりと痙攣を繰り返す口元と見開いた瞳が怖い。
「どこの馬の骨だ!」
怒号にびりりとガラス窓が音を立てた。
やれやれと数人の男たちがダンを椅子に押さえつけると、ダンは牙をむく獣のように喉を鳴らした。
「え~……」
一国の王子を馬の骨呼ばわりする彼にどう説明していいのだろう。
セイラとて相手の情報は名前しか持っていない。
「アリオス?」
「アリオス! 今すぐ玉の流通と加工取引の中止だ!」
「ええっ!」
予想だにしなかった展開にセイラは驚きの声を上げる。
いやいや、それは拙い。
何を焦るかって、ダンがやろうと思えば出来てしまうのだ。
それどころか鉱山に関することならば国王の命令でさえ突っぱねることができるのだ。
取引中止ぐらい本気でやりかねない。
セイラが制止しようとしたとき、顔を真っ赤にして息巻くダンの肩をしわくちゃの手が叩いた。
「止めんか。馬鹿者」
ダンの半分ほどの身長しかない老人は先代の頭だ。
引退した今でもふらりと現れては茶をすすっていく。
セイラにとってダンが父親代わりならば、彼はおじいちゃんが代わりだ。
深い黒曜石のような黒を湛える瞳は鉱山の全てを知っている。セイラはその瞳を細められるのが好きだ。
冷静な人が出てきてくれてよかったとため息が漏れる。
「娘の門出だ。快く送り出してやろうじゃないか」
その言葉にダンは手を握り締め、ぐぬと唸った。
ダンとて解っているのだ。
国同士の契約に口を挟めぬことぐらい。けれど、今まで一度として顔も見に来ぬ国王の言いなりにさせるのは腸が煮えくり返りそうなほど腹立たしい。
愛娘を他国の顔も見たことの無い連中の元に送るのも嫌だ。
鉱山の誰もが認めセイラを幸せにしてくれる男に嫁がせようと思っていたのに。
「セイはジニスの娘だ。どこへ行っても変わりはせん」
「だがよ……」
それでも言い募るダンに老人はふと瞳を緩ませる。
ぐずる子どもによくやってやる表情だ。
大概の子どもはその瞳の色に惹かれるように涙を止める。
その色が突如、性質を変えた。
「アリオスの連中がセイを泣かすようなことがあれば、その時はアリオスとの契約をすべて破棄じゃ!」
筋張った拳が突き上げられると、その意見に賛同した男たちも次々に拳を上げ、咆哮する。
―絶対泣き言なんて言わないもん……
まだ行く準備も整っていない内からアリオスでの生活規則その一が出来てしまった。
後で奥さんたちに変なことをしないように注意して欲しいと言っておこうと密かに決めた。
血気盛んな彼らもジニスの女性陣には頭が上がらないのだ。
「婚礼には他の誰にも負けねぇ贈り物をしてやる」
「うん。楽しみにしてる」
ぽそりとまだ納得してないと感じられる声で呟かれ、セイラは満面の笑みを浮かべた。
ほろりと涙が浮ぶ場面だったが、昼食を届けに来たダンの奥さんに一喝され男たちはクモの子を散らすように帰っていった。
事情を聞いて彼女はきりりと目尻を上げた。
「まったく馬鹿お言いでないよ。セイがたった一人でしくしく泣くもんか。仲間を見つけて楽しくやるよ。あんたらが手を出しちゃ、余計厄介な事になりか
ねないじゃないか! まったくうちの男共ときたらろくな事考えないんだから」
ダンは奥さんの前で出来るだけ小さくなっていった。
老人はダンが捕まっているのをこれ幸いと早々に逃げ出した後だ。
「心配なのは分かるよ。可愛い娘は嫁にやりたくないもんさ。だけど、この子が人一倍強いのはあんたがよく知っているじゃないか」
気風の良いダンの奥さんは怒ると怖いが慰め方もうまいのだ。
縮こまっていたダンも「おう」と顔を上げた。
彼女はセイラの傍に来るとそっと背を押した。
「行くんだろう?」
「うん」
加工場を抜け、山を登っていけば、街全体を見渡せる場所に出る。
少し開けたその場所には小さな盛り上がりが在り、その周りには白い花が群生していた。
まるでセイラが訪れるのを知っていたかのように一番美しい状態を保つ花に笑みを向けた。
「母様」
土の下に眠るのはセイラの母だ。
彼女の墓を飾るために幼いセイラは懸命に彼女の一番好きだった花を植えたのだ。
誰よりも強いと思っていた母はあまりにあっけなく最期を迎えた。
病魔が巣くっているとは思えぬほど毎日豪快に笑う人だった。今でもひょっこりと現れるのではないかと思うほどだ。
「セイは結婚するみたい」
セイラは墓の前に座り、まるで其処に母がいるかのように話しかけた。
「しかもアリオスの王子とだよ」
すごいでしょとセイラは笑った。
アリオスの話はなぜか母がよくしてくれたのだ。
ほとんどが雪の話だったけれど。
嬉々として語る母の言葉を聞きながら何時かアリオスの地を踏みたいなぁと漠然とした憧れはあった。
それが、まさかこんな方法で叶うなんて予想もしていなかった。
「行ってくるね」
その言葉に「いってらっしゃい」と風が花を揺らし、「大丈夫」と風に揺らめく髪が頬を撫でた。
「セイ」
「オーリィ」
振り向けば厳しい顔をした幼馴染が立っていた。
「行くのかよ」
拗ねたような声。
皺の入った眉間。
泣き出す前の子どものようにくしゃりと顔が歪む。
「うん」
せっかく半人前と認められたのに。
これから腕を磨いてジニスの職人だと胸を張れる様になったら……そう思っていたのに。
「セイが王子様の嫁さんかよ。似合わねーな」
「そうだよねぇ。全然想像が出来ないよ」
オーリィは唇を噛み締めた。
「俺は、ジニス一番の職人になるからさ、セイはすんげぇ嫁さんになれ!」
「それってどんなお嫁さんなの?」
「んん。それは、さぁ。セイが考えるんだよ」
「何それ。ん~まぁいいやすんげえ嫁さんね」
「お前がすんげぇ嫁さんになったら、俺が大陸一の玉を贈ってやる!」
「それじゃぁ、お互いに頑張らなきゃね」
「約束だからな!」
「うん。約束」
出された両手に手を重ね額をこつりとくっつけあう。
子ども同士のお呪い。
手のひらに伝わる熱が忘れるなと身体に刻む。
熱が離れていく瞬間、やっとセイラの胸の中に小さな痛みが生じた。
もうここに帰ってくることは無いのかもしれない。
ジニスの風景は目を瞑っていても鮮明に脳裏に浮ぶけれど、オーリィの見るジニスを、ダンの見るジニスを、そして母がみるジニスをセイラは見ることは出来ないのだ。
もう少したら、イーサンの鮮やかな黄色の花は散り、果汁のたっぷり詰まった実がたわわに実る。
その光景は想像はつくのだけれど、違うのだろう。そう思うと途端に寂しくなる。
「なっ何泣いているんだよ!」
オーリィの声につられて、ほろりと涙が転がる。
頬の上で踊り転がり花へと落ちる。
「私ね。ジニスが好きだよ」
「お、おう」
「オーリィも好き」
「……おう」
「ダンもみーんな。みんな好き」
「セイはきっとアリオスも好きって言うようになるだろうさ」
「そうかな?」
「そうだよ。もしも、どうしても嫌なら帰ってくればいいさ。ここの連中はさ、セイのためなら城にだって乗り込んでいくさ」
ダンを筆頭に城に攻めあがるジニスの面々が容易に脳裏に浮び、セイラは噴出した。
「そうならないように祈っていて」
セイはオーリィの曖昧な頷きをわざと見ないふりをした。




