第一章:はじまりに続く道2
屋敷の中はかつて無いほど忙しかった。
なにしろ都から使者を向かいいれることなど初めてのことなのだ。
今まで訪ねてきたお偉いさんと言えば、隣接する村や町の長ぐらい。皆気心も知れているので、近所のケーナおばさんの手製の菓子があればどこまでも話は膨らんだが、今回はそうも行かない。
まだ用意しているところに予定より随分早く着いた使者一向に慌てずにいられようか。な
んとか整った部屋に通してお茶を出したところまでは良かったのだが、問題が一つ。
王女が行方不明なのだ。
―ああ、もうセイラ様ったらどこに行ったのよ! お昼過ぎには帰ってくるって行ったのにぃ!
悪態をつきながら曲線のきつい黒髪を振り乱して走り回っていた少女はセイラ付きの侍女であるハナだ。
小回りの聞く体で誰よりもすばやく動く彼女は重宝され朝からずっと働きづめだ。
お茶と茶菓子であとどれだけ使者を引き止めて置けるだろう。
さほど長い時間では無さそうだ。
セイラの居場所はだいだい予想が付いた。一か八か迎えに行こうかと思ったとき背後から声がかかった。
「ハナ。こちらへ」
先輩侍女の腕に抱えられたドレスと厚いベールが視界に入り、この先の事態を悟ったハナは深くため息を吐いた。
―セイラ様のばかぁ
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「まったくいつまで待たせるつもりだ」
国王からの手紙を運ぶ使者として選ばれた男は、苛立たしげに足を踏み鳴らした。
お茶はもう二杯もおかわりしたし、用意された菓子も食べつくした。
都のものには到底及ばないが中々味はよかった。
それにしても遅い。
さっさと用事を済ませて埃っぽい田舎からは去ってしまいたかった。
ここにいるのは客を楽しませることも喜ばせることもしない連中だ。
奥様にどうぞと装飾品ひとつ包んでこない。
それどころか華やかな馬車を見る目つきの剣呑なこと。
常識すらわきまえていない人々の中で過ごした王女などどんな人物か。
想像図は最悪だった。
だからこそ今度の件に名も忘れかけられた王女が選ばれたのだろうけれど。
カップを口に運び空だったことを思い出し、乱暴に戻した時、待ちに待った王女の訪れを告げるために扉が叩かれた。
「お待たせして申し訳ありません」
軽やかな愛らしい声の主は、ほんのりと淡いピンク色のスカートを持ち上げるとお辞儀をした。
ベールを被っているため顔の隅々まで見ることは出来なかったが霞のようなベールの向こうでふっくらとした唇が綻んだ。
「いやいや、これはセイラ王女。お目にかかれて光栄ですよ」
「私もです。ビラスト伯爵。何か不手際がなければよろしいのですけれど」
「いえ、そんなことは」
おや、これはとんだ予想外だ。
王女はてんで普通ではないか。腰を下ろす時の作法を申し分ない。
はにかんだ様な笑みも深窓のお嬢様に引けを取らないだろう。
おしゃべりな使者の眉毛が彼の心情をくまなく伝えてくれる。
「それでご用というのは?」
「おお、そうでありましたな。実はこれを国王陛下より預かってまいりました」
差し出されたのは染み一つ無い真白な封筒。
かざりっけの無い封筒には竪琴の形を押された封蝋がついていた。国王直筆である証拠だ。
使者はそれを王女に押し付けるとほっと息を付いた。
王女は封筒を一瞥しただけで開けもしない。
使者は二三度咳をして促してみたが、一向に動かない王女に痺れを切らして先ほどより大きく咳払いをした。
これから重大発表をするのだと分からせるために。
「お喜びください。セイラ王女」
使者は瞳を潤ませてにっこりと微笑んだ。
「結婚が決まりましたぞ」
「は?」
ちょっと待ってくれ。
喉元まで出掛かった声は使者の声に阻まれる。
「こんな良縁はありません」
「私が結婚?」
「ええ、そうでございますとも」
声もでない王女を喜びのせいだと勝手に勘違いした使者は祝福の言葉を述べたが、王女の耳に届くはずも無い。
むしろ聞くまいとかぶりをふった。
これはどうもきな臭い話だ。
第8王女にいきなり舞い込んだ結婚の話。
王家にはまだ適齢期の王女がたくさんいるはずだ。
それなのに一番年下でしかも片田舎で忘れ去ろうとされていた王女に話を持ってくるだなんて、一体どういうつもりなのだろう。
「お相手はアリオス国のジルフォード王子ですよ。これでわが国の西の憂いはなくなりますな」
「……アリオス」
これで納得がいく。
アリオスはエスタニアの西にある軍事国家でここ数十年の間に急速に大きくなった国だ
野蛮だと陰口を叩いている国へは、大事な王女を嫁がせるわけにはいかないのだろう。
セイラの母は貴族の娘でも大商人の娘でもない。ただのジニスのルカだ。
その上彼女は他界しており誰も文句を言うものがいない。恰好の貢物だ。
挨拶もそこそこにセイラ王女は部屋を後にした。
使者が少しの傷もつけまいと押しいただいて持ってきた封筒は手のひらの中で無残に折れ曲がった。
自室に入ると乱暴にベールを剥ぎ取って、勢いよく長椅子に腰を下ろす。
本当ならば窮屈なドレスも脱ぎ去ってしまいたいが、二人がかりで背中を締め上げるタイプなので自力でどうにかすることは出来なかった。
「ハナの方がよっぽど王女様みたいだよ」
「ええ、そうでしょうとも。王女様は庭の木を伝って窓から出入りしたりしませんもの」
セイラ王女もといセイラ王女付きの侍女であるハナには、わざわざ振り返ってみなくとも後ろで繰り広げられている光景が容易に想像がついた。
無造作に束ねた亜麻色の髪を揺らしながら一人の少女が窓に足をかけている。意志の強そうな大きな瞳が楽しげに笑ってる。振り返れば、まさにその姿があった。
「もう! お昼には帰ってきてくださいって言っていたのに」
「まだ、お昼だよ?」
正午を告げる鐘の音がしてから、まださほど時間も経っていない。
天空の王者である太陽も中天からは退いたものの僅かに傾いでいるだけだ。
「……そうですわね。使者殿もしっかり時間を守って欲しいものですわ」
怒りに任せて髪をかきあげようとして、ようやく手元の手紙に気がついた。
「セイラ様。これを預かりましたわ」
「なんだ。開けてくれても良かったのに」
押し戴いて持ってこられた封筒はぞんざいに扱われ、タナトの印が押してある蝋封はパキリ割れ、床の上へと落ちたがセイラは気にした素振りも見せずに封筒の端を破いていく。
「そうはいきませんわよ。国王直筆の手紙ですもの」
「どうせハナにも見せるのだから、関係ないよ」
あっさりそう言うセイラにほんのり胸の奥が暖かくなり、ハナは頬が緩むのを見られないようにと下を向いて封筒の残骸を拾った。
そして、無造作に机の上に座るセイラにハナは衝撃的事実を教えるために口を開く。
「セイラ様、結婚なさるようですわ」
「そうみたい」
意味が分かっているのか疑うほどさらりと流される返事に驚いてハナは声を荒げた。
ドレスに締め付けられていなかったらもっと大きな声が出たに違いない。
「結婚ですよ! しかもアリオス王国の王子と!」
「そう書いてあるね」
ほらとセイラは手紙をよこした。
書かれた文字は優雅で、けれど内容は事務的にたんたんと結婚が決まったことを告げていた。
詳しいことは何一つ書かれていないが、なぜ婚約に至ったかは手にとるように明らかだった。
アリオス国王は婚姻による和睦を申し入れてきたらしい。
大陸の華と呼ばれササン大陸一の大国であるエスタニアだが、最近は厄介ごとを少なからず抱えていた。
大陸の東、シャオンの海に浮ぶ島国シンバ皇国が大陸に手を伸ばそうと海岸を荒らし、南の海の十三列国の小競り合いがよくエスタニアまで飛び火する。
また国境を接するジキルドとあまり仲の良くない現在、西の守りは堅いほうが良いと判断したのであろう。
その申し入れに快く応じたらしい。
「だからって何故セイラ様に」
おそらく、第4,5王女が候補にあがったが、あんな成り上がり国嫌だと突っぱねたのであろう。
どちらも正妃の娘だ。
野蛮だと言われる軍事国家に嫁がせるには抵抗があったのかもしれない。
それに比べ、セイラの母の身分は低い上、すでにこの世にはない
誰も文句を言うものなどいない。
何故と問いながらも、セイラにこの話が届いた経緯が容易に想像できて、ハナは頬を膨らませる。
「まぁ、いいんじゃない」
セイラは膨らんだ頬を指で突き、空気を抜けさせた。
「どこがですか!」
あっけらかんというセイラにハナはかみついた。
「アリオス国がどんなところか興味もあるし。あっちは雪も降るらしいね。楽しみだね」
「セイラ様」
脱力してハナは座り込んだ。
どうしてこの人はいつもこうなのだろう。
どんなことでもさらりと受け止めてしまう。被害をこうむるのは回りにいるものなのだが、本人はいつでも楽しそうだ。
確かに嫌だと泣き叫ばれても、無力な少女に国王の決定を覆す事など出来ないのだから受け入れる他はないのだけれど。
「私もお供しますからね」
王女であろうとも覆せない事はハナもよく知っている。
使者も手紙もこれは決定事項だと言っているのだから。
ハナは少々涙目になりながらもきっぱりと言い放った。
これはハナの決定事項。何があっても覆す事のできない少女の誓いなのだ。
「当たり前。ハナも一緒に雪遊びしなきゃね」
一生を左右する話の中で嬉々として雪遊びの話をする少女に軽くため息が出る。
「……それにしてもジルフォード王子なんていましたかしら。ルーファ王子……今は国王ですわね。彼の話は聞いた事がありますけど、弟君のことなんて聞いた事がありませんわ」
アリオス国のルーファの名は近隣にも知れ渡っていた。
王子であったときはその優れた武勇で国を大きくするのに貢献し、国王となった今では武力でなりあがった国とも思えないほど柔軟に隣国とも渡り合い、治世も悪くないと聞く。
妹姫がいる事はおぼろげに聞いたことがあるのだが、はたして弟君など聞いたことが無い。
「向こうも第8王女のことなんて聞いた事ないんじゃないかな?」
憤慨する友人にセイラはにっこり笑った。
「なるようになるさ」




