第一章:はじまりに続く道
エスタニアは秋の女神の恩恵を受けて豊穣の季節を迎えていた。
最も早く季節の巡るルンドイで作物の刈入れに精を出し、実りの絨毯が半分に減った頃、ジニスにも秋めいた風が吹いてきて今年の夏の暑さを思いほっと息をついていた。
アデラスト山の麓にあるジニスは鉱山の街だ。
鉱脈師の一族が興した人口数百人の小さな街ではあるが、ここで採れる玉の質と加工技術の高さから有名な街だった。
これから涼しくなるにつれジニスの主な仕事は玉の加工から採掘へと移って行く。
今は丁度中休みの時期で、専ら品物を買い付けにやってきた商人たちとの交渉に精を出している。
騒がしさの消えた加工場にちらりと影が走る。
部外者が入り込めばすぐさまたたき出されるジニスで最も秘密をもった場所ではあるがジニスの子どもたちには許された。
普段なら長が座る椅子を引っ張りだして座っているのは亜麻色の髪を揺らした少女だ。
漆黒の瞳を爛々と輝かせ目の前に広がった色彩の渦にうっとりと魅入っている。その前で箱を掲げ持っている少年はへへへと笑うと胸を反らした。
「おいらの玉はどれなのか当ててみな」
皇かな布を張った箱の中には色も細工の方法もさまざまな玉がちりばめられている。
とびきり美しい夜空のようだ。爪の先ほどの小さな玉も都の高級装飾店の看板商品になってもおかしくないほどの仕上がり具合だ。
「これとこれ。それにサイの細工も」
少女は赤、黄、それに乳白色をした玉を手にとってにっと笑った。
「おめでとう。オーリィ。見習いを卒業したんだね」
オーリィと呼ばれた少年は頬を染めもう一度笑った。
ジニスでサイと呼ばれる此処でしか取れない乳白色の玉の加工が許されるということは、やっと半人前になったと認められた証なのだ。
「こっちとその青いのはダンの作だね」
殊更削りがまろやかな二組は鉱山の長であるダンの手によるものだ。
どれほどたくさんの玉に紛れさせても一目で分かってしまう。
「いつか絶対追いついて、追い越してやるんだ」
目指す先はあまりに遠いけれど、オーリィの瞳は真剣そのものだ。
いつかジニス随一の職人へとなってみせる。その強い意志を秘めた瞳はどの玉より輝いている。
「オーリィならきっと出来るよ」
セイラの言葉に気を良くしたオーリィはふふんと胸を張る。
胸を反らしていたのはほんの数秒のことで、オーリィの顔には急に自信なげな表情が浮ぶ。
「なぁセイ。もしもおいらが最高の加工屋になったらさ……」
「おい! セイいるか」
オーリィの言葉に被さるように、春先に天を割る雷鳴のような声が届いた。
掠れ気味だったオーリィの声なんぞそよ風に等しい。
声の主は先ほどまで話題に上っていた長であるダンのものだ。
爪の先ほどの小さな玉に緻密な細工を施すとは思えないほど筋肉隆々の大男で、固い髭に覆われた顔のせいで大熊と呼ばれることもある。
ダンが勢いよく扉を開けると建てつけの悪い家具がぐらりと揺れる。耳を塞ぐ二人の下へ足音も高く近づいてくるとオーリィの手元の箱へと視線が移った。
にやりと笑って一言。
「まだまだだな」
「わっわかってらぁ! 今に見てろよ。すぐにあんたなんて追い越してやる!」
鼻息も荒く言い返した期待の星。
ダンは荒れた手のひらでオーリィの頭を掴むと無遠慮に撫で回した。
あれは少し痛い。微笑ましいと思いつつ痛みが甦り少女はぶるると身を震わせた。
撫で回す腕を剥がそうとすればするほど相手も力を込める。
されるがまま耐えるのが一番早く開放される手段だ。
どうやらオーリィはその奥義を悟ってはいないようだ。
助け舟を出してやろう。
「ダン。何か私に用があったの?」
本来の目的を思い出したダンは撫でくりまわすことは止めたが、がしりと掴んだ力を緩めてはいない。
微かに漏れた「いてぇ」というオーリィの泣き言は聞こえていないようだ。
「おうさ。おめぇの所に変なのが来ているからさ。何事かとおもってな」
「変なの?」
ジニスには変なのは事欠かない。
もちろん高価な玉を狙って襲いに来る賊たちもいるが、これはジニスに男衆たちに任せていれば問題ない。
中には歯に埋め込むための玉を注文しにきた客や、玉で靴を作ってくれだなんてやってくる変わり者もいる。
前者は全歯に違う玉をはめ込んでご満悦で帰っていったし、後者は重すぎて歩くことを断念した。
こうした珍客は多々いるのだが、鉱脈師でも加工師でもない少女の下へ直接やってくることは無い。
「でっけぇ馬車だ」
「ユリザねぇさまが来たんじゃないの」
わざわざ馬車に乗って尋ねてくるような知り合いは姉ぐらいのものだ。
だがダンは首を横に振った。
「ありゃぁ、トゥーラの旗印じゃねぇよ。自分の目で見てみるといい」
加工場はジニスの街の一番高い場所にあるため街の隅々まで見渡すことが出来る。
大通りでは行商人が小さな市を立て、夕飯の買い物をしに出てきた奥さん方がちらほらと見える。
広場では子どもたちがはしゃぎまわっており、加工場に人影を見つけるとひとしきり手を振った。
それに応えつつ東の端へと視線をむければ鉱山の街には似合わない豪奢な建物があった。
塀を備えたその屋敷の前にはダンの行ったとおり大きな馬車が止まっていた。
彼らの掲げる旗は真紅で金の竪琴が描かれている。
それは芸術の神タトラの印。
そしてそのタトラはエスタニア国王リューデリスクの旗印でもある。
屋敷の主の名はセイラ・リューデリスク・リーズ=エスタニア。
月の女神の名前を冠する8番目の王女。
母親の身分が低かったがために都から離れたジニスへと屋敷を与えられた不運の王女。
その王女を王直々の使者が尋ねてくるのは、それほどおかしなことではない。
その訪問が王女が生まれて初めてだという点さえ除けばだが。
「そういえば、誰か都から来るんだっけ?」




