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第二章:遠き場所よりきし者は5

 さぁ、こちらへと案内された廊下の先には光が溢れていた。

 恐らくあそこの開け放たれた扉から外へと出ることが出来るのだろう。

 耳を澄ますと金属が激しくぶつかり合う音と威勢の良い掛け声がした。

 導かれるまま足を運び、レンガのアーチを抜ければ、そこには勇ましい女たちの姿があった。

 あるものは剣を振るい、あるものは槍を翳す。正真正銘の武器を支える腕は逞しいけれど、やはり女の腕だ。


「わぁ」


 思わず漏れたため息にも似た感嘆を一人の女性が聞きとがめた。

 その一際長身の女性がここを取りまとめているのだろう。

 指示を出すとこちらへと向かってきた。


「そこに居たら危ないよ。見かけない顔だね」


 王妃付きの侍女頭であるマキナは侍女全体の取りまとめ役でもある。

 優に百人を越す侍女たちの顔を覚えておくのもマキナの仕事だ。

 相手の戦闘時の弱点まで逐一記憶できる抜群の頭の中に、ぽかんと間抜け面をした少女と黒髪の少女は入っていない。

 新しく侍女が入ってくるという話はマキナの耳には届いていなかったが、人手不足を解消するためには一人でも入ってくれるとありがたい。

 

 マキナはざっと視線を通した。

 普通の少女だ。好奇心いっぱいの瞳を除けばどこかが特化しているようには見えない。

 はてさて、その細っこい腕を鍛え上げれば城に入り込んだ不逞な輩を撃退することが出来るようになるだろうか。

 値踏みをしている間も、感嘆は止まらない。

 空を裂く鋭い音がすると奇声に変わった。

 鍛える依然に最低限の礼儀作法から必要だろうかと頭を抱え始めたマキナにおずおずと侍女の一人が近づいた。

 

 非戦闘の侍女。

 マキナが戦力にはならないだろうと思っている者たちだ。

 彼女たちは気位ばかりが高く、己より身分が低いものには辛くあたる。

 調練は嫌だと駄々をこね、やっと仕事を覚えたと思えば、さっさと消えていく。

 彼女たちにとって侍女の仕事は箔をつけ、少しでも力のあるものたちと繋ぎをとるためのものでしかないのだ。

 はっきりと言って頭痛の種なのだが長年続けられた悪習はマキナ一人にはとても手に負えない。

 他の侍女たちと同じだけ厳しく指導するのだが、陰口をたたかれていることも知っているし、時には彼女たちの両親からお叱りの書状を送りつけられることもある。

 彼女たちが苦手としているマキナに擦り寄ってくる時には、大抵揉め事を抱えている。


「あの、マキナ様。お二人はエスタニアの方々ですわ」


 いつものように大女と呼べばいいのに。

 彼女たちは長身で男勝りなマキナのことを影では大女と呼んでいる。

 殊勝に『マキナ様』など空々しい。

 思いながらも口にすることはない。

 

 「では、セイラ王女の」


 「セイ殿とハナ殿ですわ」

 

 さっそく繋ぎをつけたのか。手早いことだ。

 だが、猫目の少女は友好とは言いがたい表情を向けている。


「すっごーい。みんな女の人だぁ」


 セイラは思わず歓声を上げる。

 ジニスではまともに武装して剣を振りかざす女性たちを見たことが無かった。

 エスタニア全体でみても戦闘に関わる女性は稀有だ。


「エスタニアの方には理解できないかも知れませんが、これがアリオスでは当然です」


「そっかぁ。ジニスでは武器を持った女の人は居なかった」


 平和ボケしていては分かるまい。

 男たちが戦に行けば家を守るのは女の役目。

 それがアリオスの掟。

 マキナたちにとっての家が城であり、それを守るために日々鍛錬を惜しまず、武器を手にするのは当然のことだった。

 白い手のひらを見せられて自分たちのやっていることを野蛮だと否定されれば噛み付く用意は出来ていた。

 けれど、ころりと笑う少女は予想外のことを口にした。


「ジニスの奥さんたちは日用品で襲うからねぇ。フライパンに包丁、煮えたぎった油……食卓椅子も立派な武器だね。もう背中に赤ちゃん守ってるからね、

強い強い」


 侍女たちの顔は一様に歪んだ。

 どんな顔をされようともジニスではそれが常識だ。

 高級装飾店の看板商品になってもおかしくないような品が常にあるジニスは盗賊にとって見れば宝の山だ。

 毎日のように命知らずの馬鹿どもが襲い掛かってくるが、彼らの襲撃が見事に決まることは無い。

 馬の嘶きが響いたら「さてやりますか」と朝の体操をやるように軽く腕を回すと意気揚々と男たちは外に出て行く。

 女性たちがしばらく大きな物音を無視しておけば、盗賊たちは二、三十回「もうしません」と「改心します」と叫び、自ら遅まきながら駆けつけた警備隊に捕まえてくれと懇願するようになる。

 それはまだ幸運と言えよう。

 男衆が皆鉱山に出かけていると、怖い怖い奥さんたちの出番だ。

 尾てい骨から脳天まで痺れるほど強く尻をはたかれ、夫の不甲斐なさやら子どもが寝付かないことまで自分たちのせいにされ追い回される。

 挙句の果てには畑仕事やら掃除やらを手伝わされる始末。

 ある囚人が言ったそうだ。あそこはハリカの水牢より怖ろしいと。

 ハリカの水牢はエスタニアの最恐スポットとして名高いというのに。


「武器なんて持たせたら毎日大惨事だね」


 己を取り巻く空気が硬化したことなど気づかずに少女が笑う。

 口元を引きつらせて固まった侍女たちの中で、年長者のマキナの回復は早かった。


「何か扱えるのかい?」


 フライパンや油以外に。


「ん。剣なら少し」


 ああ、よかった。

 こぼれた吐息はマキナのものだけではなかった。

 そのうちの一人が進み出る。


「では、手合わせをしてみませんか? 力量を知っていた方が後から組む時もやりやすいでしょう? どうです。マキナ様」


 名乗り出た女性は背も高くがっちりとしている。

 後ろでは小さな笑いが起こる。

 一部では隣国から来た二人の少女は面白い見世物になっていた。

 対応を間違えば、この二人はひいてはエスタニア王女は良い笑い物になってしまう。

 視線の先で長い髪が踊る。

 輝く瞳がまるですばらしい招待を受けたとでも言いたげだ。

 反対にハナと名乗った黒髪の少女は眉を寄せている。

 おそらく見世物にされようとしている自分たちの立場を理解している。

 マキナは二人にかけた。

 この手合わせの結果がどうなろうとも彼女たちは自ら居場所を獲得しなければお話にならない。


「それは構わないけど、セイ殿は?」


「いいよ。あっでも何か貸して」


 明るい声には此方の懸念などまるで感じられなかった。


「ちょっとあの娘には荷が重くないかい?」


「そんなことはないさ。ミキはベテランなんだ。上手く相手との力量をはかることができる。出来ない相手に無体を働いたりはしない。……って、気配も無く後ろに立つのは止めてくださいと何度言いましたか!」


 いつから居たのかマキナの背後で眼帯をした男がにやにやと笑っている。

 何度も気配を断って忍び足で近づいてくるなと訴えているのだが、ジョゼ・アイベリーのは全く聞く耳がないようだ。

 圧倒されるほどの存在感だというのに、その気になれば気配さえ掴ませない。

 味方で無い限り嫌な相手だと心底思う。


「俺が言っているのは、そのミキっていう侍女のことだ。あのエスタニアのお嬢ちゃんは、中々やるぞ」


「まさか」

 

 どれでもいいとぞんざいに剣を選んでいる少女が強いとはとても思えない。


「剣の腕だけなら、うちのケイトとも張れるだろうよ。そっちの侍女殿はうちのケイトを軽くいなせる実力があるのかい?」


「ケイト殿って貴方が目をかけている赤毛のおちびさんだろう?」


「それ、ケイトに言うと泣くぞ。あんたより年上のはずだ」


「嘘だろう!」


 動じることの少ないマキナの大声に侍女たちが驚き、一時手が止まる。

 けれどマキナはそれどころではなかった。

 どう多めに見たってあの青年は、せいぜい17,8歳に見える。ちょっと大人びた15歳と言ったって疑うことはないだろう。

 それがマキナより年上となると二十歳は超えているということだ。


「将軍より年上ってことは……」


 ジョゼは人の悪い笑みを浮かべた。

 答える気はないと視線をセイラへと向ける。 

 マキナは咳払いをして気持ちを切り替えた。


「侍女の中では使えるほうだけれど、毎日鍛え上げている兵士に太刀打ちできるほどじゃないよ。本当にあのお嬢さんがそこまで強いと?」


「ほら、聞いてみな」


 剣を選んだ少女が手首を返す。

 ひゅぅんと大気が裂けた。

 何度かそれを繰り返すうちに、音は鋭くなった。

 顔が引き締まる。

 けれど爛々と輝く瞳には好奇心がいっぱいで、口元には同じ笑みが浮んでいる。

 マキナの口元には苦い笑みが広がった。

 自分の認識の甘さを自覚せざるを得なかった。

 空を切る音だけで力量の差が現れている。

 鋭い太刀筋と軽い体を持ってすれば懐に入るのは容易だろう。

 リーチを生かした戦法のミキは、一度懐に入られると途端に弱点をさらす。


「おい、嬢ちゃん」


 聞き覚えのある声にセイラが振り向くと眼帯の男がひらりと手を振っていた。

 普通に受け答えそうになり、はっと息を飲む。

 彼はセイがセイラ王女だと知っているのだ。

 奇妙な笑みを浮かべたまま瞬きを繰り返すセイラにジョゼは笑った。

 侍女服を着てうろついているとなればやることは一つだ。暇を持て余していたのだろう。


「頑張れよ」


 どうやら見逃してくれるらしい。

 げんきんなもので、それが分かると背中を伝っていた冷や汗は途端に止まり、指先が手招きする。


「将軍はしないの?」


 空気が揺れる。

 それも一瞬のことで場はおかしなほど静まり返った。

 方々から驚愕の視線がセイラを貫く。

 半開きの侍女たちの口からは「なんとおそろしいことを」と口に出せぬ言葉が覗いてる。

 指名を受けたジョゼは頭をかく。


「俺か? 嬢ちゃんがやりたいっていうのなら喜んで」


 笑み一つが答えだった。

 やれやれとため息をついているわりにはジョゼの方も乗り気で上着を放り投げ中央に立つ。

 並んでみれば差は歴然。

 男と女の体格差は元よりあるが、それ以前にまるで大人と子どもだ。


「マキナ。合図を頼む」


「あっ、はい」


 そう言われてみてもこれから何が行われるのかわからないほど場は穏やかだ。


「はじめ!」


 号令がかかっても二人の間の空気はぴんと張り詰めることも無く常と変わらない。

 それどころかやる気の無さそうに出た欠伸のせいで空気が撓む。


「ジョゼ将軍から来てよ」


「嬢ちゃんからどうぞ」


 仕方がないなぁと剣を抜くセイラは全く様にはなっていない。

 先ほどの風切りの音は幻聴だったのかと己の耳を疑いたくなるほどだ。

 逆にそれだけで身が凍るのがジョゼ・アイベリーの身のこなし。

 漆黒の刃が間の前に現れただけで戦時には率先して動くマキナの身体も鈍る。


(月影……)


 どれほど血を呑もうとも色を変えないその刃。

 初代王マルスの対の魔剣の片方であり、『月影』軍の象徴でもある。

 数多の豪傑を沈めた刃に向けるのは畏怖の混じる視線。

 止まっていたマキナの思考が突如動き出す。


(将軍はあの魔剣をあんな娘に向ける気なのか!)


 あんなに華奢な身体で一撃でも耐えられるわけが無い。

 止を叫ぶ声に乗ってセイは大きく一歩を踏み出す。

 しなやかな足の筋肉を使い一瞬のうちに間合いを詰め、首筋を狙っての一撃。

 上手く交わされたが右足を軸に回転しつつもう一撃。

 白いスカートが花のように広がる。

 今度の一撃は漆黒が迎え撃つ。

 キィンと高い音がして弾かれたセイラの身が宙を飛ぶ。

 猫のように器用に着地したかと思うと次に備えたが、息の詰まる攻防は長くは続かなかった。

 セイの剣が儚い音を立てて折れたのだ。

 半場で折れた切っ先が地面に衝突して遊びは終わりだと告げる。


(おしい)


 つい先ほどまで止めなければならないとまで思っていたというのに、いつのまにか魅入っていた。

 もう少し見ていたかったという欲さえあった。

 セイへの評価はがらりと変わり、マキナは自ら進み出た。


「アンタは即戦力になるよ。セイ殿。近いうちに私とも手合わせをお願いしたい」


「ぜひ」


 息の詰まる攻防を今までやっていたとは思えない笑顔。

 まるでほんのお遊び、立ち話程度の出来事。

 そんな態度には恐れ入った。

 もう声を殺して笑うものはいない。

 二人を連れてきた侍女たちは紙の様に色をなくして立っている。

 手合わせするはずだったミキからは値踏みをするような視線は消え、感嘆が混じる。

 今向き合っていなかったのが自分ではなかったことを少なからず残念に思っていることだろう。

 マキナと同じように。



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