第一章:はじまりに続く道12
セイラを気遣った一行の歩みは、ゆっくりとしたもので行く先々でケイトは休憩をとってくれた。
申し訳ない気持ちもありながら、街の様子を知ることが出来て満足だ。
ニキから大人しくしているように強く言われたので、こっそりと馬車の窓の外を眺めれば、我知らず感嘆が零れ落ちる。
「すごいね」
「本当ですわね。舗装もまろやかで、馬車がちっとも揺れませんわ」
ジニスの街々の素朴な感じはジニスと似通ったところがある。それが心の底に潜む不安がゆっくりと溶かしいった。
違うといえば全ての街道が石畳で舗装されていることだ。
その道幅も十分に広く、馬車が何台すれ違っても不自由を感じることはなかった。
街には市がたちたくさんの人が行きかっている。
市に並ぶものはジニスとは違うようで、よく見ようと身体を乗り出そうとしてハナに止められた。
もう少しで見ることができたのに。
ふくれっつらのセイラの耳に魔法の言葉を流し込む。
「ユリザさま」
途端に大人しくなるセイラがおかしくってハナはころころと笑う。
今ならば「ニキ」も同威力を発揮することだろう。
「むぅ。ハナってばひどい!」
「使えるものは使っておきませんとね。あら、お客さんですわ」
馬車から少しはなれたところに立っている少年がじっとこちらを見つめている。
4、5歳だろうか。
温かそうな外套にくるまれているが、むき出しの耳と頬は真っ赤だ。
手袋に包まれた手が2度3度と結んでは開いてを繰り返している。
どこかそわそわとしていて、もどかしくて今にも地団駄を踏みかねない雰囲気だ。
何か用事があるのだろう。少年の視線は一心にセイラに注がれている。
指先で手招けば、はっとした少年は辺りを見渡しつつ、一人頷くと一直線に走ってくる。それがリスのようで笑いを誘う。
大きな瞳が零れ落ちんばかりに見開かれてセイラを見上げる。
白く息が煙る。だが、少年の頬が赤い理由はそれだけではないのだろう。
潤んだ瞳は極度の緊張のせいかもしれない。
「どうしたの?」
「あの、あのね。おねーちゃんがお姫様?」
少々震えの混じる少年の質問の答えに窮した。
どう考えてみてもお姫様という柄ではないのだ。
お仕着せのドレスだって脱ぎ捨てたいぐらいだもの。
綺麗に整えてもらった顔だってもうすっかり化粧がおちているのではないかしら。
「お城にくるお姫様なんですか?」
「うん。まぁ……そうだよ」
嫁ぐために来たのだから仕方がない。
しぶしぶ頷けば、途端に少年の瞳が曇る。
瞳の表面を覆っていた水気が瞬きによって集約され、目じりで美しい球体を作る。
お姫様が予想と違って泣くほどがっかりしたのだろうか。
次の言葉を待ったセイラに少年は意外なことを告げた。
「お城には魔物がいるの」
「……まもの?」
「そう。父ちゃんが言っていたの。お城には魔物がいるからお姫様が可哀想だって」
おや、それは初耳だ。
セイラとハナは顔を見合わせた。
自称妖精の居座る森に、存在を知られていない王子、魔物のすむ城。
秘密を抱え込んだアリオスは退屈する暇はないかもしれない。
セイラはにっこりと笑い、少年に赤い飴玉を差し出した。
魔物は何もアリオスの専売特許ではない。
エスタニアにだってたくさんいるのだ。
嵐を起こす泣き虫ティーロウ。
人の多いところに現れる愉快なことが大好きなチューヴァ。
そしてジニスにだって魔物はいる。
「私の住んでいた街はジニスって言うのだけど、そこにも魔物はいたよ」
少年の瞳から堪え切れなかった涙が一粒転げ落ちた。
「ジニスは鉱山の街なんだけど、その魔物はせっかく採れた玉を食べてしまうんだ」
セイラは黄色の飴玉をがりりと噛み砕く。
「でもね、魔物と言ってもとても優しい生き物なんだ。今も一緒に暮らしてるよ」
「本当に?」
「うん。仲良くなる方法を知っていれば大丈夫。心配してくれたんだね。ありがとう」
少年は恥ずかしげに顔を伏せたが、またおずおずとセイラを見上げた。
「おねーちゃんは、お城の魔物と仲良くなれる?」
「きっとね」
「でも……前の王妃様はおかしくなっちゃったんだよ。ずーっとずっとお城に帰ってこないんだって」
どういうことかと続ける前に飛び上がった少年はやはりリスのようにかけていった。
少しはなれた店の前で少年によく似た女性が呼んでいる。
きっと母親の目を盗んで、秘密を教えに来てくれたのだろう。
感謝の意を込めて手を振れば、少年は身体全体で応えてくれた。その風景を置き去りにして、馬車はゆっくりと走り出す。
「なんだか物騒な話ですわ。元王妃さまって、ジルフォード王子の母君ではなかったかしら」
ハナはむすりと顔を顰めた。
やはり貧乏くじを引かされたのだという想いがむくむくと立ち上る。
「全くひどいものですわ! こんなに物騒なところにセイラ様を放り込むだなんて」
「なんとかなるよ」
「セイラ様は楽観しすぎだと思いますわ」
ハナの文句を聞きながら、馬車はまた走り出す。
「もうすぐ着きますよ」
促されて窓の外を見やれば、前方に巨大な城壁が見えてきた。
街道から続く大門は漆黒でいかにも堅牢に見える。
決して落ちぬと謂われたタナトスの街。その中で剣の城と呼ばれるタナトス城が空を割って建っている。
「すごい」
我知らず零れ落ちるセイラたちの賞賛の言葉に、ケイトは気を良くした。
「門を閉ざせば、街全体が城砦です。今まで一度たりとも落ちたことはないんですよ」
街に溢れる人は皆が兵士だ。女も子どもも馬を駆り、剣を振るう。
城壁の上に立つ兵士たちが、一斉に右の拳で胸を打つ。
「ようこそ。タナトスへ」
ケイトの言葉を合図に一向は門の中へと吸い込まれていった。