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第一章:はじまりに続く道11

 合流するはずだった街にたどり着くと宿の一室にたっぷりと湯が用意された。

 汚れを綺麗さっぱり洗い流せば体がすっと軽くなったような気がし、ハナに丁寧に髪を梳いてもらうと亜麻色の髪は輝きを取り戻す。

 未だにぶつぶつと文句を言い続けるハナに苦笑を一つ。

 セイラは服や身体に泥がつくことなど全く構っていなかったのだから見事に泥だらけ。

 とても王女様にはみえるはずもない。

 彼らが間違えるのも無理も無い話だ。


「もうハナが王女になっちゃえばいいよ。ハナメリーはいないんだしさ」


 エスタニアの王女の中で聖母の娘はそれぞれ季節の四女神の名を冠している。

 第一王女が冬の女神ユノー、第二王女が夏の女神トゥーラ、第六王女が秋の女神のフープといった具合だ。

 春の女神のハナメリーの名を冠するものだけが居ない。

 丁度いいとばかりにセイラが笑う。


「ハナはハナメリーのハナだもん」


「何を言っているんですか」


 ハナは腰のリボンを力を込めて絞った。小さなうめき声は聞こえないふりだ。


「ちゃんとした恰好をしていればセイラ様が王女だってすぐに分かりますわよ」


 そうかなぁとセイラは首を傾げた。

 都から取り寄せたというドレスは、着慣れないせいかどうにも浮いているいるような気がしてならないのだ。

 サイズは合っている。セイラの苦手とするひらひらする裾や可愛らしいレースを覗けば、ぴったり過ぎるほどだ。

 採寸なんてしていないはずなのに。

 

 姿見の前で唸っていると来訪を告げるためにドアが二度鳴った。

 慌てて脱ぎ捨てていた踵の高い靴に足を突っ込むと、体勢が崩れてもバレないように椅子にしっかりと腰をかける。

 無理やり好感度が高いと言われた微笑を貼り付けるのを見届けるとハナが扉へと急ぐ。顔の筋肉が硬直しそう。

 現れたのが知った顔だと知ると途端に呆けた顔へと戻る。

 その早業に顔を歪めたのは『ねずみ』改めニキ・オーディスだ。ニキの服装も変わっていた。

 控えめな黒ながら全面に竪琴の意匠が織り込まれている。

 竪琴は国王の守護神でもあるタナトの意匠。ジニスで見せたような子どもっぽい強情さは影を潜めていた。


「ご無事でなによりです。セイラ様。貴女がたの後ろを賊が追っていった時は肝が冷えましたよ」


「ニキも無事でよかったよ。他の人たちにも怪我はなかったのでしょう?」


「擦り傷きり傷の多少はありますが、命に関わるようなものではありません。損害は馬車だけ。荷物さえ無事です」


 憮然としたニキの表情に「おや」と首を傾げる。

 彼の言い方では無事であったほうが問題があるといっているようではないか。

 確かに命に比べれば荷物なんてと思わないでもないのだが、無事ならばそれに超したことは無い。


「何か問題でも?」


「どうも中途半端なような気がしてなりません。王女を浚うには手際が悪い。かといって荷物を強奪していくわけでもない。なんだかよく分からない連中ですね」


 セイラ自身は行列が何を運んでいるのかは把握していないが、一国の王女として嫁ぐ身だ。

 ドレスに装飾品にと高価なものは山ほどあるだろう。

 それにちらっとでも心を動かされない賊がいるだろうか。


「国境で襲われたのがどうにも残念ですが、今回のことはアリオスにも責任があります。厳重に抗議をして事態の収集にはかってもらいましょう」


 ニキの薄い唇がつりあがる。対応に掛かる時間によってエスタニアをどれほど重視しているか量りますだなんて言うニキは賊よりよほど悪人ぽくみえるのは気のせいだろうか。

 完全にアリオスに入ってから襲われていたら全責任をアリオスに被せただろう。

 賊と兵士たちが同じ鎧を着けていたことは何となく言い出せないままになった。

 ニキはこんな人物だっただろか。彼がまだ「ネズミ」だった頃は、やたら説教臭くて怒りっぽくて、ほんの少し子どもっぽいところがあったが、腹黒くは無かったような気がする。

 顔を見合すセイラとハナの前でニキは彼の出来る最高の笑みを浮かべた。


「さて、セイラ様」


 猫なで声に鳥肌が立った。

 ニキの怒鳴り声には免疫がついてしまっており、右から左へと綺麗に聞き流すことが出来るのだが、妙に甘い作り声は脅威の粘着力で耳に残る。

 応えてはいけない。

 返事をするということは聞く気があると取られてしまう。

 だが、ぎらぎらと光る瞳に負けてしまった。


「……なに?」


「倒れてください」


「……はい?」


「倒れてくださいと申し上げました。理由はなんでもよいですが、今回の賊の件で体調を崩したというのがよろしいでしょうねぇ」


「すこぶる元気なんだけど」


 汚れを落とし、疲れも流し、むしろ気分爽快です。

 狭い馬車から抜け出して森を歩いたのも良かったようで変に凝っていた身体もほぐれました。

 言う前に視線で牽制された。ああ、なんだか覚えのあるパターンだ。


「ふりでかまいません」


「ふりといっても……」


 馬車を抜け出せたと思ったら、今度はベッドに引きこもらなければいけないのか。 

 何故そんなことをと口を尖らせてもニキはセイラの不満などお構いなしだ。


「セイラ様。貴女はお遊びでアリオスへ嫁ぐわけではないのですよ。貴女はエスタニアの駒の一つなのです。どんな事態であろうが利用して、エスタニアに有利になるように働きかけるのが貴女の役目だと自覚していただきたい」


「……それがどうして倒れるって話になるの?」


「アリオス側の対応が楽しみでしょう?」


「ニキひどいぞ! ハナも何か言ってやってよ」


 憮然とするセイラの横でハナはじっと前を見据え考え事をしている。


「ハナ?」


「前から気にはなっていたのですが……ニキ殿がなぜ使者に選ばれたのです? いえ、誰が選んだと言った方がいいでしょうか」


「誰って……国王とかじゃないの?」


「ええ、国の上層部ということは確かだと思うのですが、私先ほどのニキ殿の話を聞いていると、ある方の影が脳裏にチラついて仕方がありませんの」


 四季の女神の話などしたからだろうか。

 炎の女神を守護に持つ彼女は目をきつく瞑って頭を振ったぐらいでは脳裏から消えてはなくならない。

 若干青くなったハナの頬を見て、セイラの脳裏にも鮮やかに同じ姿が浮かび上がる。

 セイラの場合、音声付だ。


―倒れなさい。今すぐに。


「ニキは、ユリザねぇさまの回し者なの!」


「回し者とはひどい言い方ですね」


 非難めいた口調ながらもニキは満足げに頷いた。

 ユリザ・リューデリスク・トゥーラ=エスタニア。

 彼女の威光は世界の隅々まで照らし出す。

 片田舎で忘れ去られる運命だった王女の頭の中さえも。


「さぁ、役にたってもらいますよ。セイラ様」


 ニキの後ろにユリザがいるならば死ぬまでこきつかわれる。

 セイラの頬からは血の気が引いた。

 色を失くしたセイラに見事な病人っぷりですとニキが賞賛した。

















「体調……不良ですか」


 ハナから報告を受けたケイトの声には明らかな狼狽が混じっている。

 当然のことだろう。

 つい数時間前には、ジョゼを打ちすえ歓談をしていたのだから。

 だがハナの曇った表情をみれば、何かあったのだろうと想像はできる。

 いくら気丈に振舞っていても十代の少女が見知らぬ森で一晩過ごすのは神経をすり減らしたことだろう。

 宿について緊張の糸が切れてしまったのかもしれない。

 最初に与えられた王女という情報は頭の中で大きな割合を占めていて、実際に見たはずの光景を幻だったのではないかと思いつつある。


「しばらくお休みになりたいとのことなので、そっとしておいてくださいませ。すぐに出発ではないのでしょう?」


「ええ、まぁ」


 本来なら直ぐにでも出発してしまいたいのだが、体調を崩させるわけには行かない。

 明日の朝出発でもかまわないだろう。


「何かご入用なものはありますか? すぐに準備しますが」


「今のところ、ありませんわ。必要なものがあったら声をかけさせてもらいます」


 ハナの頭の中ではセイラが呪詛のように呟いていた「馬、馬、う~ま」の声が繰り返されていたが、聞き流す。

 今、自由を与えたら当分の間、帰ってこないだろう。


「どうした?」


 足音も騒がしく登場した隻眼の男にハナはおよそ友好的には見えない視線を送る。

 まだ猫の子のように首根っこを掴まれたことを根に持っているのだ。


「セイラ様の体調が優れないようです」


「はぁ? ありえないだろう。あの嬢ちゃんだぞ?」


「どういう意味ですの!」


「言葉通りさ。ちょっとやそっとじゃ倒れたりするやつじゃないと思うがね」


 その通り。

 頷きかけた首を無理やり止める。


「ふん。大方、使者殿の入れ知恵ってとこか」


「ちっ違いますわよ。本当に体調が優れませんの!」


「まぁ、いいさ。なぁ、嬢ちゃんたちは王女様の婚約相手のことどれ位知っているんだ?」


「どのくらいって……」


 ハナは唇を噛んだ。

 考えるまでもない。全くだ。これっぽっちも知らない。

 仮にも一国の王子の情報が全く掴めないなんて、そんなことありえるだろうか。


「そちらはセイラ王女のことをどれほどご存知なんですの?」


「ああ? そうだな。ジニスで育てられた変わり者の王女だって聞いたぞ。母親の身分があまり高くないそうだが、色恋に淡白なリューデリスク王が手を出したと一時騒がしかった気がするがなぁ。」


 そう。その程度の噂話もしらない。

 それどころか存在さえ知らなかった。

 得られた情報は名前だけ。


「私たちは何も知りませんわよ」


「そうか」


 ハナの拗ねた声に帰って来た呟きは、あまりにも短くて、そこにどんな想いが含まれているかなど気づくことが出来なかった。



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