第一章:はじまりに続く道10
いくら待ってみても王女一行が現れない。
エスタニアの護衛力を疑っているわけではないが、ちょっと国境付近まで見てこいと命令を受けた数人の兵士たちは馬車の残骸と震える使者たちの姿を発見した。
近づいてみると使者は訴えた「王女様はどこですか? 貴方がたのいる街にむかったはずだ」と。
街に王女はやってこなかった。
来る途中でもそれらしき娘は見ていない。
「まさか森に?」
兵士の声は絶望で色づけされていた。
何の用意も無く、まだ幼さの残る娘だけであの森に?
森には獣も毒花も、そしてそこに身を隠した恐ろしい者もいるというのに。
捜索隊がすぐさま編成されたが、王女が姿を消して一夜が明けようとしていた。
「いいか。正午を区切りとする。それまでに見つけることが出来なければ、一度ここへ戻ってくるように」
5人編成で6隊を作った。
あまったものは街道や、近くの町へと聞き込みへと言ったがめぼしい証言を持ってくるものはいない。
ケイト・メイスンは小さなため息を押し殺した。
今は、ケイトが上官になる。醜態を曝すわけにはいかないのだ。
初めて任された大きな任務は始まる前から大問題を抱えていた。
ケイトの仕事はアリオスの初めの街からタナトスまで王女を無事に送り届けることだ。
その王女が行方不明になっている。
半狂乱の使者が叫び、残された侍女たちは帰りたいと泣いている。
これから王女が逃げ込んだと思われる森の捜索を行うところだ。
「何か言いたいことがあるものは?」
その問いに手を上げたものが一人。
視線を向けたケイトの喉から可笑しな音が漏れる。
―なっんであの人が此処に!
もしかしてという危惧もあった。
でも、いくらなんでもという思いもあった。
自分の甘い思いはガラガラと積み木の城を壊すように音をたてて壊れていく。
精神が不調をきたす前に、あのぴんと伸びた手を見なかったことにしようか。
「聞いていなかったのですが、自分はどこの配属でありますか?」
わざと声音を代えてはいるが、そんなの現れたときからバレバレだ。
兵士たちからはクスクスと笑いが漏れる。
やはりなと。
「……私の隊と一緒に森へ」
「了解であります!」
元気すぎるその声にケイトは、もはや隠すこともなく深くため息をついた。
☆ ☆ ☆
自称ジュドーの妖精に別れを告げてセイラとハナは道を急いでいた。
太陽のおかげで昨日よりずっと森の中は歩きやすい。。小川沿いにいくようにという忠告を守って突き進む。
「無事に合流できるといいですわね」
「そうだね。気長に待っていてくれるといいんだけどね」
一晩休んだので足取りも軽い。
これならば早々に街道までたどり着くことが出来そうだ。
鼻歌交じりの歩みもセイラが人差し指を立てたところで終わった。
「誰か来るね」
風の音に混じって何人もが木々を掻き分ける音がする。
重い足音が乱れずに近づいてくる。
「昨日の人たちでしょうか」
「分からないけど、誰かを探しているのは確かみたい」
音は複数の方向から迫ってくる。
何者も見落とすまいと言う意思が読み取れそうだ。森全体がぴりぴりとしていた。
二人は低木の茂みに身を隠し、息を殺す。
しばらくすると足音の主たちの姿が見えるようになった。
「見つかりませんね」
息を付いた青年がこちらを向いた。
セイラたちのいるほうをじっと見つめたが興味をなくしたように別の方を向いた。
その時、青年の着ている鎧が差し込む陽光を弾いた。
「あの紋章」
ハナが口を押さえたときには遅かった。
背後から太い腕が伸びてきて、子猫を摘むようにハナの首根っこを引っつかむ。
「ひっ」
悲鳴が最後まで迸る前に、太い腕は引っ込んだ。
セイラが手にした枝で思い切り打ち据えたのだ。
ハナを背後に隠しながら距離をとる。
手痛い返しをされた男は痛む箇所を擦りながら、さも面白いと言ったように口笛を吹いた。
「もう。何をしているんですか。怖がってしまっているじゃないですか」
オレンジ色の髪の青年が慌てて飛んできた。
垂れ目気味の目がなんとも優しそうな印象を抱かせるが、青年もあの紋章のついた鎧を着ている。
警戒心は一向に解けない。
隙の無い臨戦態勢。
ケイトは困ったと眉を下げた。
「女の子二人では森の中は危険ですよ。供をつけますから早く出てください」
婦女子の安全を確保するのも月影軍の役目。
今は緊急事態だ。
供は一人でいいだろうか。
計算をするケイトを尻目に男はとっくりと二人の少女を見た。
亜麻色の髪の少女の体勢には隙が無い。
構えたのが枝ではなく細身の剣ならばさぞや様になったことだろう。
背後に守った少女に少しでも手を触れることは許さない。
ゆるぎない思いが瞳の中で弾けていた。
後ろの少女もただ恐怖に慄いているだけではなかった。
射抜くような視線は、ここにいる全てのものに注意深く注がれていた。
「なぁ、お嬢ちゃんたち」
好奇の滲む男の声はどう良心的に聞いても何かをたくらんでいるように聞こえる。
その証拠に、少女たちはじりっと体勢を変える。
「ジョゼ将軍。やめなさいったら。貴方、もともと顔つきが怖いのですからね」
「言いたいこと言うなぁ。お前」
肩を竦めるのは隻眼の男。
「……将軍?」
呟きを聞き取ってジョゼはにっと口の端をあげた。
「アリオス国、月影の将。ジョゼ・アイベリーと申します。そちらはエスタニア国のセイラ王女で間違いは無いでしょうか」
視線は庇われている少女へと向かう。
黒目黒髪。
今は多少汚れているが、本来はまろやかな象牙の肌。
エスタニア王家特有の容姿を持つ少女。
きりりと引き締まっていた表情が途端に歪む。
一瞬、安堵のために泣き出すのかと思ったが、眉は更に天を突き、口元がひくりと痙攣する。
こりゃ、やばい。
ケイトよりも人生経験豊富なジョゼは、とっさにケイトを盾にした。
あんな顔をした女は8割がた叫ぶ。
残りの1割は怖ろしい形相のまま貝のように口を噤み、さらに残りの1割は手が出る。
最後の一割は、運がよければ平手だろう。それならば甘んじて受けるべきだ。
ケイトが。
今回の責任者はケイトなのだから。
「どこに目をつけているんですの!」
幸運なことに8割の中におさまったようだ。
あまりに大きな声だったために、驚いた鳥が飛びたち、ケイトは目を白黒させている。
その場にいた大半の人間も声の大きさに驚き内容を把握できていない。
「セイラは私」
「はーい」と伸ばされた手に兵士たちの眉がついと上がった。
視線は黒髪の少女から亜麻色の髪の少女へと移る。
たった今、将軍の腕を打ち据えた少女。
闘志満々で構えていた少女。
「こっちはハナだよ。言いたいことは分かる。ハナの方が王女様っぽいって言いたいんでしょ?」
ぎこちなく頷いたのは何人いただろう。