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第一章:はじまりに続く道8

 セイラ一行は、やっとエスタニア最後の街を出た。

 もう一生分の馬車に乗ったと思うほどだ。

 

 一行の歩みはほんの少し予定より遅れていた。

 慣れぬ道であったこともあるが、大部分はセイラにある。

 川を見つければ入り、森があれば誘われるままに入り込む。 

 その度に、行列は歩みを止め、使者から王女らしからぬと説教が始まるのだ。

 その説教がまた長い。

 それさえ無ければ、予定通り着いたのではないかと浮んだ疑問は誰の口からも出なかった。

 ここで、また説教時間を延ばすほど愚かではなかった。

 もう少しで国境を越えるというその時、馬車ががくんを勢いをつけて止まった。

 今までに無い乱暴な扱いでセイラもハナも額を打ち付ける羽目になった。


「なっ何事ですの?」


 少々痛む額を押さえ外を窺おうとするハナを押し止め、セイラは立てた人差し指を口元に当てた。

 その意味を正確に理解してハナも耳を澄ます。


 荒々しい蹄の音。

 叫び声。

 逃げ惑う足音。

 良くない事態が起こったことは瞬時に分かった。

 必要なものは常に手元に置くようになったのはセイラの母のおかげかもしれない。

 ジニスに腰を落ち着ける前は、決まった定住場所を待たなかったという母は常に持ち運び出来るように必要なものは一袋にまとめていた。

 それに習って作っていた荷物とハナの手を取り車外へと飛び出した。

 従者のいなくなった馬車から素早く馬の手綱を切り離し、背中に飛び乗った。     

 後ろにハナを乗せて走り出が、皆が散り散りに逃げ惑ってまとめることが出来ない。

 見覚えのある顔に気づき、走り寄る。

 地面に転がっていたのはこっそりと心の中でネズミと名づけた使者だった。

 彼は蹄の音に怯えたが、乗っているのがセイラだと気づくと高く叫んだ。


「お、王女! はっ早く行きなさい! 次の街にはアリオスの兵士たちが迎えに来ているはずです」


 そこまで行けば助かると彼の瞳は告げていた。

 野蛮だ武力だけだと罵られようともアリオスの軍事力はどの国よりも優れている。

 こんな賊などすぐさま蹴散らかしてくれるはずだ。

 震える指先は行くべき方向をしかと指し示していた。


「だけど」


 此処に残された彼らはどうなるのだ。

 エスタニアがつけた護衛たちも奮闘しているが、どうも押され気味に見える。

 きっとネズミや連れてこられた侍女たちは裸馬に乗るなんて出来ないだろう。

 かといって馬車に乗って逃げ切れるとは思えない。


「何をしているのです! 早く行きなさい。貴女が無事ならばどうとでもなるのです!」


 ただの口やかましいお目付け役。

 そう思っていた男は確かに使者だった。エスタニアのために何をすべきが一番分かっていたのは彼だったのだ。


「セイラ様!」


 後ろを見やっていたハナが叫んだ。

 刀を振り上げた男たちが乗っている馬がぐんぐんと近づいてくる。

 それを見て、セイラは馬の首を叩く。


「行って!」


 男たちの狙いは自分だ。

 盗賊に見せかけて彼らは、宝物を乗せた馬車には目もくれず此方を目指している。

 きっと自分がこの場を離れたほうが仲間は無事に違いない。

 馬はぐんぐんと速度を上げた。


「……何か変だ」


「なっなにが、ですか?」


 馬に乗りなれていないハナは長いこと揺さぶられフラフラになりながら尋ねる。

 頭の中も視線の先もぐにゃりと歪んでいくようだったが、セイラの腰に回した腕緩むことが無かったのは、もし相手が弓でも使ってきたら盾ぐらいにはなれると考えての事だ。


「追いついてこない」


「おっ追いつかれては困ります!」


信じられない答えに舌を噛みそうになったが、セイラの声は真剣そのものでふざけたところなどカケラもない。


「目的は何なのかな?」


 最初は本気で走らせていた。

 けれど、次の街までどれほど距離があるのかセイラには分からない。

 脅威が後ろに迫っている輩ばかりとは限らない今、全速力で走らせ続けて途中で馬が使い物にならなくなるのは非常に困るのだ。

 余力を残しつつ、掴まらない速さを見極めなければならない。

 それなのに此方が僅かに速度を緩めても、チャンスとばかりに迫っては来ないのだ。

 一定の距離を保ちつつ追い立てる。

 それが意味するのは?

 それに襲おうと思えば、もっとやりやすい場所はあったはずなのだ。

 襲われたのはまるで逃げてくれと言わんばかりの見通しの良い場所で国境のすぐ近く。


 前方には森が見えてきた。

 木々の間にひっそりと隠れてしまえば見つからないかもしれない。

 馬を放すと木々の葉に隠れ、息を押し殺す。

 二人とも坑道でのかくれんぼで息を殺すのは慣れたものだ。

 掘り起こされる前、何万年もの眠りについた鉱石の如く動きを止めていた。視線の下を男たちが通っていく。


「行ったか?」


「そのようだな」


 男たちが頭に体に巻きつけていたボロ布を剥ぎ取ると、鎧が見て取れた。

 セイラを護衛してきたエスタニアの兵士たちのものとは明らかに違う。

 胸には烏の刻印が押されていた。

 彼らが消えてしばらく経ってからも二人はようとして動かなかった。

 侵入者のいなくなった森がいつもの騒がしさを取り戻すとやっとセイラはハナの肩を叩いた。


「もう大丈夫」


「そうですか」


 ハナの長いため息に傍を飛んでいた小鳥が驚いて何処かに逃げさっていった。

 背中が一筋だけ青いその鳥はエスタニアでは見かけないものだ。

 ジュドーの森に入り込んでしまったのだろう。

 タナトスへと続く街道はこの森を迂回するように北へと伸びている。

 森を過ぎれば街までは眼と鼻の先。

 けれど、案内役も無く未知の森を抜ける自信はハナには無かった。


 ああ、もうどうして。

 自分はこんなにも役立たずなのだろう。

 腕が立つわけでも案内が出来るわけでもない。

 この森がどれほど続くかの答えも出せず、夜の森を渡る知識も無い。


「さぁ、行こう」


 落ち込むハナの横でセイラは明るくいった。

 まるで遊びに行こうかというほどの軽やかさ。


「ジュドーの森はそんなに深くないらしいよ。森に流れている川を辿っていくと街道に出ることが出来るって母様が言っていたもの」


 毎夜聞かされていた母の冒険譚。

 その話の舞台にいると考えれば、気力が上がる。


「深くないといっても、もうすぐ夕暮れでしょう。日の暮れた森を歩き回るのはお勧めできませんわ」


 暗闇は方向を狂わせ、獣たちを潜ませる。

 一番怖いのは表立って街道を行けないもの達、つまり罪人たちと鉢合わせしてしまう事だ。


「じゃぁ、洞穴で明るくなるのをまとう。きっと一日くらいアリオスの人たちも余分に待ってくれるでしょ」


 川沿いに進めばいくつかの洞窟があることも母の話から分かっている。

 洞窟の傍に自生している薬草を火にくべれば、匂いを嫌がって獣たちも寄り付かない。

 母は、まるでセイラが此処を訪れる事を知っていたかのように必要な情報を与えてくれた。


「セイラ様って本当に前向きですわね」


 悩んでいるのが馬鹿らしくなってしまう。

 ハナは動きやすいように長いスカートを持ち上げた。




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