妃たち
時々 殿下が青惺殿に来るようになって
私は帝国の歴史の教本を読み返しながら殿下を待つのが最近の日課になっている
リラックスできる茶葉か
疲労回復効果がある茶葉か
それとも美肌効果のある茶葉にしてみようか
そんなことを考えながら茶葉の入っている箱を漁る
「……それ何か違いがあるんですか?」
すると いつの間にか後ろに殿下が立っていた
驚いて勢い良く振り向く
頭一つ分違う殿下の顔が上にあった
声も出さなかった私を見て殿下は目を細め
「…貴女は叫ぶことを覚えた方が良さそうですね」
「……殿下は足音をたてることを覚えた方が良いですよ」
言われたことで冷静になって私も目を細めて負けじと言った
そのまま暫く お互い見つめ合っていたが
私が耐えられず小さく笑うと殿下も小さく微笑む
軽く茶葉の種類の説明をして殿下の飲みたい茶葉を選んでもらった
お茶の準備していると殿下が頬杖をつき本を数頁 捲りながら熱心だと言った
「歴史は苦手なので忘れない為に読んでるだけです」
教育係の話では特に問題はないと言われたけど浼雨は王女
そして婚姻関係にあるのは殿下だ
少しでも知識が薄いことが露呈されれば二人の評判が悪くなる
極力 迷惑はかけたくない
私が忘れっぽいっていうのもあるが体調管理も含めて程々にやるつもりだ
そう言うと殿下は怒っていないのか訊いてきた
迷惑をかけられているのは私の方だろうと
「怒りましたよ?
あの男は今度会ったら殴るって決めましたから」
あの男とは浼雨の父親だ
私が真顔で拳を握り そう言うと殿下は
「そうではなく浼雨や私に怒っていないんですか?
巻き込んでいるのは間違いなく私たちですよ」
二人に怒ったことは無い
殿下の前に お茶を置きながら面倒だとは思ったが事実だと言った
浼雨と殿下に巻き込まれたって言えば そうだけど
二人にとっても巻き込まれた形だと思っているから
こんな事態にした何かには怒るとは思うが二人に怒る理由にならない
「…確かに そうですね
勝手に罪悪感を抱いていましたが止めておきます」
「そうしてください」
そんなことを言って小さく笑い合う
淹れたばかりの お茶を冷ましながら殿下を見る
殿下は随分と笑うようになって最初の頃より雰囲気が柔らかくなった
崔さんも嬉しそうにしていた気がする
良かったと思いながら お茶を一口飲んだ
「そういえば暗月国の話ですが」
すると殿下が思い出したように話し出した
噂は ほぼ全国民に行き渡り続々と移動してきているらしい
最初は疑っていた人たちも
今よりはマシな生活ができるんじゃないかと考えて来ているみたいだ
聞けば聞くほど呆れる暗月国王の人望の無さに溜息を吐いた
それは殿下も同じだったらしい
だけど嬉しいことも聞けたとか
「陽明国などから感謝の文が届いてるんです
後で崔に届けさせますが優秀な人材が入ってきたと喜んでいるみたいですよ」
浼雨の記憶の情報だけど暗月国の民は優秀な人が多かった
だけど国王のせいで生活していくのが やっとになってしまい力を十分に発揮できなくなった
そのまま日の目を見ないままという人も出てきてしまう
それは可哀想だし才能の無駄遣いだと思ったと同時に
あの男に大きく仕返しできるやり方はないかと考え
国民を移してしまえという考えになったのだ
結果的に良い方向に繋がっているから悪くなかった
「それは良かったです」
それから しばらくしてから
今日は天気が良いし体調も良いからと青惺殿から出て少し散策していた
大庭園に行かずとも色んな花が植えられている
運動不足解消も含めて歩く中で唯一の楽しみだ
梓晴さんと思妤さんも一緒に歩いてくれるのも嬉しい
「そこの貴女
ちょっと お待ちなさい」
すると声をかけられ大勢の女性に囲まれた
突然のことに驚いていると小声で梓晴さんが教えてくれた
一番前に立っているリーダーっぽい人は皇帝陛下の二十七世婦の一人 水晶美人
それだけ聞いて なんとなく理解した
この女性全員 皇帝陛下の妃たちだということか
この白魄城に入ってから殿下と情報交換した時に
父である皇帝陛下には何人もの妃がいるのだと言っていた
あたり前なんだろうと思っていたが
何故か殿下は眉を寄せていたから覚えている
「…何か ご用でしょうか?」
睨む彼女たちに対し あくまで笑顔で答える
立場で言うと私のほうが下になるんだろうけど
敵意には気づいていない振り
「貴女あまり調子に乗らないことよ」
……は?
私の態度に さらに眉を寄せて言った水晶美人の言葉に首を傾げる
苛立ちながら話す彼女たちの話を聞くと
春筍節で途中で殿下と抜けて私が戻って来なかった
殿下に気にかけてもらえるなんて今だけ
だから調子に乗らないように、ということだった
「貴女が殿下の妃になれたのは偶然ですからね
勘違いなさらないことね!」
顔を真っ赤にして怒鳴る水晶美人を冷静に見る
忘れてたけど殿下は攻略対象だった
浼雨だけに結婚の申し込みをしてたけど それは互いの利点が一致したから
確か殿下は縁談を断るためだと言っていた
浼雨とは愛を持っていない同士だったし
私が中に入っていなかったら接点も ほとんど無かったと思う
それぐらい殿下は女性に対して辟易していたということだろう
「ちょっと! 聞いてるのっ!」
この人たちは殿下に近づいたんだろう
あわよくばを狙ったのかもしれない
だけど言い寄ってくる相手だったら殿下は相手にしない
むしろ鬱陶しく感じると思う
彼女たちの後ろにいる女官たちも辟易した顔をしている
日常的にやっているんだと想像がついた
接近禁止にでもされた怒りからか
側に居ることを許されている私が許せないってところか
…要は気に入らないって話かな
ただの嫉妬っぽい
こういう人って何で自分に非が無いこと前提なんだろう
ーー見苦しい
そう思いながら目を細めると水晶美人たちが肩を震わせたように見えた
「… 春筍節では持病で座っていることも辛かったのです
それを殿下が察して連れ出してくれただけ
皆様は殿下の心遣いを無碍にされるつもりであると?」
首を傾げながら そう言うと水晶美人たちは眉を寄せる
「そもそも殿下が私をどう思っているのか分かりません
一人の人間の頭の中が分かるなら神か何かです」
ゲームだったら分かったのかもしれないけど ここは現実
彼だって一人の人間なのだから
頭を真っ二つにしたって分かることじゃない
「ですから殿下から話しかけられた場合は?
私を好ましく思わないように振る舞っても殿下は優しい御方です
必ず声をかけてくださるでしょう
それすらも調子に乗っていると仰いますか?
無視しろと不敬を仰るわけありませんよね?」
捲し立てると水晶美人たちは苦虫を噛み潰したような顔になった
私は小さく溜息を吐く
『……嬉しかったんですよ』
今だったら分かる気がする
あの時の殿下の気持ちが
殿下のことを考えていない
自分たちのことしか考えていない
誰も殿下自身の幸せを願っていない
そんな人たちしかいない中で ただの友人ができた喜びがーー
「…っ、そ、その態度が調子に乗っていると言ってるのよ!
舐めた口をきかないでくれるっ⁉︎
それに殿下は仕方なく貴女に優しくしているだけでしょう!
卑しい者の相手をするなんて殿下は可哀想な御方で」
「貴女に決めつけられたくはありませんね」
前のめりで言い返してきた水晶美人に
どうやって黙らせようか考え目を細めると凛とした声が響いた
お互いに目を丸くしたと思えば水晶美人が真っ青な顔で振り向く
女官たちに拱手され道を開けられていたのは
目を細め私たちを見つめる殿下だった
隣には崔さんも居る
「…で、殿下…あの…これは…っ」
「メイ」
焦りながら何か言おうとしていた水晶美人
それを制して殿下は私を呼ぶと
「行きますよ」
それ以上 何も言わず踵を返していった
水晶美人たちは真っ青な顔で立ち尽くしている
一番堪える答え方だと目を細めつつ
崔さんに続き私も その場から離れた
「…あぁいうことは よくあるんですか?」
水晶美人たちに絡まれた庭園から青惺殿に戻る途中
暫く無言で歩いていたが廊で殿下が口を開いた
前世の私だったら何度かあったけど
「こちらに来てからは初めてです」
そう言うと殿下は眉を寄せた
後ろで崔さん達も顔を見合わせている
…あ、殿下以外は私の前世を知らないから今の言い方だと昔は受けたことがあるって意味になっちゃうか
顔を顰めるのも あたり前だな
まぁ浼雨は絡まれる以上のことを家族からされてただろうから嘘ではないけど
でも何で殿下まで顔を顰めてるんだろう?
「…子犬に噛まれた程度と気にしておりません
ですので殿下も気になさらないでください」
もしかして私の心配をしてくれているのかと思い そう言うと
眉を寄せたまま歩いていた殿下は一瞬 目を丸くしていた
その後 小さく吹き出し声を抑えて笑っている
変なことを言ったかと目を細めながら訊くと
「いえ、さすがだと思いまして」
殿下は優しく笑って そう言った
本当に心配してくれていたことに驚きつつ
無駄にイケメンなキラキラに目を細めて
どういう意味なのか追求するが はぐらかされた
教えてくれる気はないらしいから潔く諦め視線を外に移す
そういえば散歩の途中だったと思い出した
「…殿下、お時間あれば一緒に散歩していただけませんか?
邪魔されたので不完全燃焼なもので」
「構いませんよ
私も休憩にしようと思っていた矢先のことだったので」
殿下は視線で崔さんに何かを伝えながら そう言ってくれた
崔さんが無言で頷くと梓晴さんと思妤さんが頭を下げ拱手した
そのまま殿下と私は さっきとは別の庭園に向かい歩き始める
いつも思うけど流石と言うべきか
あの三人は洗練された動きをしていて感服している
音もなく現れては音もなく居なくなっている
そんなことが しょっちゅうある
仕えている主人を立てることを忘れることもないし
殿下も あの三人のことは信用しているみたいだ
そんなことを考えながら庭園を歩く隣の殿下を見上げ微笑んだ
「そういえば殿下って おいくつなんですか?」
「24です」
「え、若…っ
浼雨は いくつなんですか?」
「…確か17と記憶してます」
「わっか…高校生やん…
それで もう結こ…婚姻関係 結んでんの…?」
「こーこー…?
この世界では遅い方ですよ
貴女…メイは?」
「34で死にましたね」
「……婚姻は どなたかと?」
「してませんしてません
婚約もしてません
バリバリに働いてましたよ」
「…そうですか」